僕のGは寛人先生のワイシャツで

くにえミリセ

第1話

僕は、ゲイだ。


寛人先生、あなたとふたりで、互いに違う心臓のリズムを深く深く感じ合えたなら、僕はもう何もいらないんだ。


寛人先生と戯れたい。


寛人先生とまぐわいたい。


想像するだけなら、許されるだろうか。


僕は耳が聞こえにくいから1番前の席を陣取って先生の温度をもらってる。


僕は黒板を見ているフリをして寛人先生を眺めてる。


日本史に聞き入るフリをして寛人先生の声を感じてる。


大好きなあなたのためならば、なんだって出来る。


悪だって正義に変わる気がする。そう、


たとえ僕がそのために犯罪に手を染めようとも。



【 第1話 】『好き』と言いたいのに



僕は紺色に校章のはいった制服を着て、エンジ色のネクタイをしてチェック柄のズボンを履いて登校する。いつも僕は、この格好に違和感を感じていた。


4月の下旬でも朝は少し寒くて下向き加減に学校へ向かう。だけど寛人先生が、立ち当番で校門にいる時は、ただまっすぐにあなたを見ながら挨拶をする。


「おはようございます。」


「おはよう!」


一言あなたに言われただけで、僕の一日が

すてきな一日になるんだ。


寛人先生、大好きです。

先生が先生でなかったら、僕が生徒じゃなかったら、僕は、あなたに『好き』と言えるだろか、いや、それでも言えやしない。僕には、それ以上にどうにもならない壁があるから。


その壁は僕が『同性愛者』であること。だから、あなたにどうしても、どうしても、『好き』とその一言が言えないんだ。



僕が寛人先生を好きになったのは、高1の夏だった。水泳部のクラスメイトに誘われて練習を見に行った。


僕は、寛人先生の優雅な泳ぎを見て固まった。寛人先生が水しぶきをあげてプールサイドへ飛び上がる姿に、目を奪われた。


先生は、小麦色に焼けてつるつるした肌にタオルを叩きつけて、僕にこう聞いた。


「おっ、入部希望か?」

「‥‥‥あっ、わるい、聞こえてるかい?」


「えっ?」


「あー、補聴器、付けてるからさ、

もっとでかい声で話した方がいいか?」


先生は少し声のボリュームを上げてこう続けた。


「水泳部、どう?」


爽やかに僕を気遣ってくれた先生に僕の心は、完全に持って行かれた。


僕は、ドキドキした。そんな気持ちを悟られまいとして小さく呟いた。


「いや、泳ぎは苦手ですから‥‥。それに僕、塾もあるんで‥‥。」


先生は、少し残念そうだった。そして、


「そっか、泳ぎなんて苦手でいいんだけどな。苦手だからこそ、水泳部に入って欲しかったんだけどな、まぁ、いろいろ事情があるだろうから、仕方ないか。」


そんなふうに一度、入部を断ったのは10ヶ月前。

それから現在、高2になったばかりの僕は大好きな寛人先生が担任の2年B組に籍を置けることになった。そして毎日、先生を眺めている。


放課後も、寛人先生の近くで僕は青春を謳歌してる。水泳部の一員として。


だけど、僕は泳がない。泳げない訳じゃない。水着を着るのがたまらなく嫌なんだ。


何故僕が、水泳パンツ一枚にならなきゃいけない?

僕は、裸同然のそんな格好を深く拒否する。


僕の高校は私立のすごい進学校で水泳の授業は、ほとんどない。だからこの学校に来たってのもある。なのに、今更水着なんて絶対嫌だった。


だから僕は、この水泳部のマネージャーになったんだ。


どこの部活も、みんな勉強やら、塾やらで

部員がとても少ない。寛人先生は、僕の入部をすごく喜んでくれた。


春のこの時期はまだ寒くてプールに入れないから、だいたいは、筋トレをする。


私立なんだから温水プールくらいあってもよさそうなのに、それがないから、夏以外は、陸上部みたいなもんだ。たまに市営の温水プールを借りて練習したりするんだけど、そういう手配とか、練習中の声かけ、タイムを計る、などなどが僕の仕事。

時には後の反省のために練習中の動画を撮ったりもする。


いろいろあって大変だけど、僕は彼のそばに居られる事が幸せだった。


『秋海寛人 アキウミ ヒロト』


僕の好きな先生の名前。練習の記録をレポートして提出したりする時に『顧問 秋海寛人』

と書いたその下に『マネージャー 相田颯真』と自分の名前を書ける事がなんとなく、くすぐったくて好きだ。


先生は、授業中は、「アイダ」って呼ぶけど部活の時は、「ソウマ」ってよんでくれる。

そんな些細なことがうれしくてうれしくて

たまらない。


でも、うれしくいことがあればあるほど、僕の心は、切なくもある。ふと気づくんだ。


この先、何年経とうとも、僕は、寛人先生に『愛してる』どころか『好き』とさえ、言える日は来ないだろうと。


ある日、部活中に先生が部員達と騒いでいた。


「アキちゃーん。昨日、一緒に歩いてた人、彼女さんですかぁ?」


僕を水泳部の見学に誘ってくれたクラスメイトは、寛人先生をアキちゃんと呼ぶ。


なんの躊躇もなく先生に質問した。


僕は、胸が痛くなった。

でも真意を知りたいとも思った。


「あー?何だよぉ。俺にだって彼女くらいいるさ。」


「名前は、何ちゃんですか?」


冷やかし気味に聞かれた先生は、


「な、い、しょ! 言う訳ないだろう?内緒だよ、内緒。」


彼女?!彼女いるのか。そりゃそうだよな。

爽やかな31歳、そりゃいるだろうさ。穏やかではない僕の心は泣きそうになった。


でもそれからなんとかマネージャーの仕事をこなした。


先生をアキちゃんと呼ぶそのクラスメイトは部活も同じだからいつも一緒に帰ろうと誘ってくる。


『村井 拓 ムライ タク』ってうのがその男友達の名前。


この日も当たり前のように一緒に帰った。

そして僕は、僕が普通ではいられなくなるほどのある場面に遭遇することになるんだ。



【 第2話 】先生の恋人



「あーっ!!」


タクがでかい声を上げた。


「何?どうしたの?」


「アキ、アキ、アキちゃんの‥‥、先生の、ほら、部活中にさっき言ってた先生の彼女が‥‥。」


タクは半開きの口で固まっていた。


「昨日見たっていう彼女?」


「そう。だけどさ、一緒にいるアレ、どう見ても彼氏だよな、だってあんなにいちゃついてるし。」


そう言われて僕は、少し声が荒ぶってしまい、


「どれ?どこ? どの人よっ!!」


タクに詰め寄っていた。


「ほら、あの、みどりの花柄のスカートの人。」


タクが指をさす方を見た。十数人のひとごみの中、それを見つけた。可愛い女性だった。

いや、かわい子ぶっている女だった。


タクが言うようにいちゃついていて見ていられなかった。


彼氏の方は、なんかチャラチャラでてっぺんが黒い金髪だった。プリンみたいな頭。


僕はタクに


「あー、僕、じゅ、塾の特別講習あるの、忘れてたよ。さ、先‥‥。先に、先に帰るね。ごめん!」


そういうと走った。もちろん、特別講習なんて嘘。アイツらを確かめるためだ。


僕は、そいつらの後をつけた。そいつらが、

『ガンバ』というファミレスに入ったから、僕も距離を置いてから入った。


「お一人様ですか?こちらへどう‥‥」


という店員の誘導を無視して、そいつらの隣の席に座った。


会話を聞くためだ。


くだらない話を何分間かした後、核心に迫る内容を話し始めた。


男の方から口火を切った。


「なぁ、アイリ、早く、あの純な高校先生からお金、巻き上げてこいよ。でないとさ、アイリの腹、どんどんでかくなるぜ。出産費用だけでもさ、騙し取らないと、俺達の子、産めないじゃん。」


プリン野郎がさらっと言う。『アイリ』は、


「うん、分かってる。」


「いくらさ、高校先生が純なやつだって、やっぱ、男だぜ、いつまでもじらしておけねぇだろ。」


「うん、そろそろ限界かも。」


「早く、頂くもんだけ頂いちゃって、とんずらしなきゃ。」


僕は、握った手から血がにじむほどの怒りを覚えた。涙が出た。


寛人先生の性欲も満たされないまま、お金だけ騙し取る?‥‥。あいつら許さない!


あんな奴ら、親になる資格なんてないっ!!


誰にも見られないようにその場でしばらく鼻をすすって泣いた。


そして僕は、ある事を考えた。


スマホを手にして写真を見る。どうでもいい写真をタップして、いつでも『エアドロップ」が出来るようにスタンバり、その時を待った。


『アイリ』と呼ばれているその女の正確な名前を知るために。


『アイリ』がスマホを手にした直後に僕は、どうでもいい写真の共有アイコンをタップした。‥‥‥‥‥。出た。数人の名前やデバイス名の中から、『倉田愛理』という名前が!

これだ!


名前は分かった。で、次は、何をするか‥‥。


その時から僕は、僕でなくなった。


先生への一途な思いが、僕をドス黒い何かへ突き落とした。



【 第3話 】 僕のいない僕達の教室で



僕は、次の日、学校を休んだ。


まぶたを腫らしたその顔をクラスメイトに見られるのが嫌だった。


僕がいない教室も、ごく当たり前に時は過ぎるだろう。




「おっはぁー!」


いつもの軽い調子で村井 拓が教室へと入った。ひと通り周りを見渡した後、


「あれ?ソウマは?ソウちゃーん?ソウマ?」


「アンタ、ほんと、颯真が好きだねぇ。今日は、休みみたいだよ。」


近くにいた女子が言った。


息もつかずに村井 拓は、


「いやいや、オレは、佐和ちゃん一筋です。みんな知ってるくせにぃ。

‥‥‥えっ?で何、ソウちゃん、休みなの?」


「アンタ、昨日も颯真と一緒に帰ったんじゃないの?何か体調悪そうとか、なかったの?」


「途中までしか一緒じゃなかったしなぁ、

塾の特別講習があるとかなんとか、急に走って帰っちゃったから。」


「ねえ、アンタ、いっつも思ってたんだけどさ、颯真と仲いいよねぇ。何でいつも颯真と一緒にいるの?」


「そりゃ、決まってんじゃん、ソウちゃんって、すげー、美男子じゃん、一緒にいれば女子から注目されるからだよ。」


「はぁ?アンタ、さっきサワのこと、一筋だって言ってたのに?」


「一筋だよ、一筋。だけど、佐和ちゃん、

いつもソウマを見てる。ソウマってさ、好きな人、いるみたいなんだよね。その人の事、なんかすげー、好きみたい。だからさ、

いいかげん、ソウマなんか諦めて俺にしときゃいいのにさ。‥‥‥‥。

あっ、俺、クラブ終わったら、ちょっとソウマの様子、見てくるよ。」


「勝手にどうぞ。颯真ってさ、なんか不思議なんだよね。あんまり人の集まりみたいなとこ入って来ないしさ、つかみどころがないっていうか。美しい容姿なんだけど、何考えてるか分かんない的な‥‥。」


女子は、勝手に相田 颯真の分析をしてから


「ていうか、アンタ、颯真の引き立て役って事に気づいてないの?お気楽な性格だねぇー

まったく‥‥‥。」


独り言のように小声で呟いた。


「ん?何?」


[ガラーっ]

というドアの音と共に秋海 寛人が入ってきた。


「はーい、出席とるぞー。席についてー。」


教壇に出席簿をバタンと置いた。

生徒達は、集まっていた場所から、散らばってそれぞれの席に着いた。



【 第4話 】僕の秘密ー自慰行為



学校を休んで部屋に籠り、僕は、ベッドに横たわっていた。


ギュっと抱えた白い布は、僕を幸せな空想の世界へと導く。


その白い布は汗臭いけど心地いい、なんとも言えない香りで僕を興奮させ、やがて絶頂へといざなうのだ。


僕の自慰はたまに声が出る。家の人に聞こえないように布団をミュート代わりにして声を出す。


僕は、自慰の時は、『ウケ』ではなく、『タチ』になる。『ウケ』をすると布団を汚す可能性があるから、あまり『ウケ』はしないのだ。


寛人先生のことを想う時、先生を満足させてあげたいと思いながら寛人先生の『ソレ』の擬似に触る。すると僕も高揚する。


「あぁ‥‥。」


僕の身体は『男』だから、相手のどこをどう触ったらどんな喜びを感じるかが分かるんだ。


そんなことを考えて白い布を抱きしめる。


そう、それは、寛人先生の匂いがする、盗んだワイシャツの事だ。


そうやっていつものようにあの人を想っていたところへ、


[コンコンっ]とノックしたと同時に


「こんばんはぁ、ソウマ、元気か?」


と言ってタクが部屋に入って来た。


「えっ、何、急に入って来んなよ。」


僕は、慌ててワイシャツをベッドの下に隠した。


「あっ、ごめん!ソウマの母ちゃんにさ、『今、赤ちゃん抱っこして手が離せないから、勝手に入って、颯真の部屋へ行って』って、インターホン越しにさ、言われたんだ。」


「そっか、で、何?」


「何ってなんだよ、見舞いだろ。でも、元気そうで良かった。」


「あっ、、 、そっか、サンキューな。」


「ていうか、ソウマ、さっき何か慌てて隠しただろ? エロ本ですかぁ?どんなおっばいちゃん?」


「バカ!そんなんじゃないって。」


「颯真ぁー、ちょっと下に来てぇー。

ジュース持って行ってぇー。」


「‥‥‥‥‥。」


「ソウマ?母ちゃん、呼んでるぞ?」


「えっ?」


「母ちゃん、呼んでる。」


タクに言われて気がついた。


僕の耳は、時々、聞こえなくなる。

左耳は元々、幼い時からほとんど聞こえない。

正常だった右の耳も中学1年の時に聞こえづらくなった。耳鳴りがしたり、雑音で聞き取りにくくなったり、キーンという金属音と共に音が遠のく。他の事に意識が 集中すると、僕の『音』の世界は、全くの『無』になる。中学1年のあの時、そう、あの時、右耳を殴られてから‥‥。


「下りてきて、ジュース運んでってさ。」


「あっ、ん、じゃ、ちょっと下りるよ。」



【 第5話 】僕のいない僕の部屋で



村井 拓が独り言を言いながらベッドの下を探り始めた。


「どんなおっばいちゃん? 出ておいでぇー。」


「ん?ワイシャツ?あっ、ソウちゃんたら、

母ちゃんに洗濯してもらうの忘れてここに隠したんだぁ。あっ、違うか、校章の刺繍がないもん、普通のワイシャツかぁ‥‥。」


「えっ?!えっ?!

A ‥‥KI‥‥U‥‥MI‥‥??」


「何?何で?アキちゃんのワイシャツが?まさか、ソウマの好きな人って?‥‥いやいやまさかだよな。だってアキちゃんもソウちゃんも男じゃん‥‥。」


[ドン、ドン]


ドアを蹴る音がした。


「ねえ、タク、開けてぇ。両手、ふさがってんだ。」


村井 拓は、すぐにワイシャツを丸め、ベッドの下に戻した。



【 第6話 】僕の家庭



タクはドアを開けると、


「サンキュ。」


と言って僕の手からジュースとお菓子を乗せたおぼんを受け取り、ローテーブルに置いた。


そして、ストローでズルっとジュースを一気に飲み干して


「そういえばさ、ソウマの姉ちゃん、赤ちゃん、産まれたんだね。」


「あっ、うん。今、里帰り出産で赤ちゃんと一緒にうちにいるんだ。まあ、あと2〜3週間くらいかな、うちにいるよ。」


「ふーん、そっか、ソウマ、おじちゃんになったってわけだな。」


「まあね。」


「ソウマがおじちゃんねぇ。こんな美男子のおじちゃんとかありえねー!ハハハハハハ。」


「バカ、もう、帰れよ。フフッ。」


しばらく、タクと僕はたわいもない話をした。好きなミュージシャンの話とか、お笑い芸人の話とか。うだうだしゃべってそしてタクは帰った。僕は、コップをさげに階段を下りた。リビングには母親と姉貴と産まれたばかりの姪がいた。


「拓ちゃん、何か、急に大人っぽくなったよね。」


姉さんが言った。中学からの親友であるタクは、しょっちゅう、うちに来てたから、姉さんも、母さんもタクをよく知っている。


母さんは


「拓ちゃんは、進路どうすんのかな、大学は、どこに行くとか、もう決めたのかな?」


僕に聞いた。


「知らないよ。」


「颯真はやっぱり、父さんの病院を継いでくれるの?」


母さんは、なんだか辛そうに聞いた。


姉さんは、僕が答えるより先に、


「私はさ、結婚に逃げることができたからいいけど、颯真は、かわいそうだよね、男の子だから、父さんの期待を一身に浴びて、プレッシャー、半端無いね。」


「でも、父さん、颯真が中1の時の耳のこと、内心、気にしてるのよ、悪いと思ってるのよ。」


母さんの言葉になんか腹が立った。


「はぁ?何で今、そんな話しすんの?もう、終わった事だよ!父さんがどんな風に思おうと、なんら状況が変わるわけじゃない。

それに、ちゃんと聞こえる時は、聞こえるし、話し方だって変じゃないだろ、問題ないよ!!」


そう、問題なんかない、僕は、自分に言い聞かせていた。それよりも、結果よりも、中1の時まで僕が父さんに成績のことでどんだけ罵られ、見下され、圧力をかけられてたか、

そのあゆみの方が重要なんだ。


「ウギャーッ、ウギャーッ、」


姪が泣き始めた。あー、僕が大きな声出しちゃったからだ、ごめん‥‥。


僕は、ふと目をそらした。

その先のポットの横にある処方箋袋が妙に気になった。


「あ、あれ、誰の薬?何の?」


「あー、私の。」


姪をあやしながら、姉さんが言った。


「出産で広がった子宮の戻りをより良く、早く促す薬よ。子宮収縮剤。悪露の出がいまいちでさ、それも良くするから、飲んだ方がいいって先生が処方してくれたんだけどね、何かもう、大丈夫だろうって一昨日の診察で先生に言われてね、薬、余っちゃったのよね。」


「颯真?」


「子宮収縮剤?それ、子宮収縮剤なの?」


「そうだけど?」


「じや、早く捨てた方がいんじゃない?風邪薬とか、何か、他の薬と間違えたら、大変だろ?」


僕がそう言ったら、姉さんは軽く頷いてすぐに袋ごとゴミ箱へ入れた。

パサッと音がした。


夜中に僕は、こっそりとそれを拾いに階段を下りた。



【 第7 話 】 キス



僕は、頭を空っぽにしたい夜、よく行く場所がある。


学校のプールだ。


月が水面に浮かんでクラゲになる。

ゆらゆら揺れるクラゲを見て、心を落ち着かせる。


今日もクラゲをぼんやりと見てから、プールサイドに仰向けになった。大の字に寝て、夜の空を眺めたら、昼間の出来事を思い出した。



““

拓 「これ‥‥。佐和ちゃんからソウマへ、手紙を預かってきた。


颯真「何?」


拓 「ラブレターだよ。佐和ちゃんは、前からお前の事、好きだったんだ。」


颯真 「あー、捨てといて。」


拓 「えっ?!何だよ、それ!勇気を出して告った佐和ちゃんの気持ち、分かんねえのか?」


颯真 「興味ないんだ。」


拓 「お前!好きな人いるんだろ?だったら、佐和ちゃんの気持ち分かるだろ?!だめなら、だめで、しっかり向き合ってちゃんと振ってやれよ!」


颯真 「『気持ちが分かるだろ?』だって?

分かんないよ、分かる訳ないよ!

僕は、僕は告ることさえ、しちゃいけないんだ。告ることが出来るだけまだいいよ!

告ったら、相手が困惑する。動揺する。周囲にだって気を使う。何も知らないのに、言わないでよ!先生に迷惑をかけることになるんだ!」


颯真/拓「‥‥‥。」


颯真 「あっ、あー、じゅ、塾の先生だ‥よ。す、すげー美人でさ。」


拓 「‥‥。やっぱり、そうだったのか、やっぱり、お前!アキちゃんの事を‥‥。」


颯真 「へっ?し、知ってたの?」


拓 「ごめん、ワイシャツ、見ちゃったんだ。」


颯真 「そ、そっか‥‥。

もう、僕、おしまい‥‥‥‥」


拓 「言わないよ!誰にも!‥‥、言わないから!!」

””



〔プルルルルッ プルルルルッ。]



電話の音で我に返った。そして現実に戻った。

こんな夜に、しかもプールに誰?


「おふくろ?まただよ。俺、もう疲れたよ。

いったい何回こんな目に合わすんだよ。あのクソ親父。

バレたんだ。また‥‥。今学期以内に辞めろってさ。そりゃ、嫌だわな。父親が詐欺罪で刑務所いたなんてさ、そんな教師を保護者が許す訳ないよ‥‥。いくら苗字をおふくろの名前にしたところでやっぱり、分かっちゃうんだ!」


〔うっ、うっー。うっ。あっーーーーっ!!〕


寛人先生が泣いた。


たまらなくなって僕も泣いた。声を殺して泣いた。けど、僕の嗚咽はこんな静かな夜には無意味だった。先生に気付かれた。


「だ、誰?誰かいるのか?」


「せんせぇー!寛人先生!ぼ、僕は、あなたの味方です!!」


プールサイドの反対側で叫んだ。


「ソウマ?ソウマか?」


名前を呼ばれた途端、泣きながら走った。駆け寄ってうずくまったままの先生に抱きついたんだ。

それから‥‥先生の頭をゆっくりと‥‥優しく‥‥そっと撫でたんだ‥‥。


‥‥目を閉じて静かに僕は、先生にくちびるを合わせた。


「ソ、ソウマ?」


「僕も同じなんです。いつ周りにバレるか分からない。タクに知られてしまったから。

ぼくの秘密。」


「愛しています‥‥。


僕は、あなたのワイシャツを盗み持っています。


先生、僕があなたを満足させてあげる。


僕に委ねてください。


大丈夫です。先生、愛してるから。」


「ま、待って、 ソ、ソ、‥‥‥‥ソウマ‥‥。」


「‥‥‥‥‥‥‥。」


寛人先生の全てが愛おしくて、だから僕は優しく優しく寛人先生を愛した。


「ぁはっ。」

「はぁーっ。」


ため息混じりの先生の声に、僕は吸い込まれていく。


寛人先生の生暖かい肌の温もりを感じると、それは僕を穏やかに快楽へと導く。


僕のソレと寛人先生のソレが触れ合うと一気に僕の気持ちは急上昇する。


「あぁ‥‥‥。」

「あぁ‥‥‥。」


どれくらいの時間が経っただろう。


風が吹いてクラゲがゆらゆらと揺れた。


先生は、安堵な表情を浮かべていた。僕は先生を見てホッとした。


「今度は僕を愛して下さい。」



【 第8話 】 決心



「先生、ほら、クラゲ。‥‥。クラゲって、『海の月』って書くんですよね。」


プールにゆらゆらと揺れる月のクラゲだ。


「そうなんだ。」


「えーっ、先生は先生なのに知らないんですか?」


「いや、お、俺は、日本史がせ、専門だからさ。」


しどろもどろの先生に僕は得意げに言った。


「じゃあ、日本史の話をしましょう。龍馬ですか?武市半平太ですか?家康?秀吉?信長?森蘭丸?‥‥あー、森蘭丸って信長に寵愛されてたんですよね。信長と蘭丸は、同性愛の関係だったって‥‥。その時代にはそんなこと、さほど珍しいものではなかった。

なのにどうして?400年も経つのにさ、何で今は、こんな‥‥。こんな特別視されるの?


ねぇ、先生‥‥。辛いよ。」


先生は、そっと僕の肩を引き寄せてくれた。


「‥‥。ねぇ、先生。先生は、どうしてこの学校の先生になったんですか?」


「県の教員採用試験に一回落ちたんだ。二回目に受かったんだけどさ、親父の件で‥‥。それでバイトしてた。転々とね。そしてたまたまここの私立に空きがあってさ、それで。

‥‥‥。

ソウマは将来は?何か夢とかあるの?やっぱ、お父さんみたいに医者か?」


医者なんてなりたくなかった。親の敷いたレールに乗って脇目もふらずこの先も言いなりになって、それで好きな人と恋も出来ずに、ただただ生きるなんて、そんなのまっぴらだ。


でも、それを今、先生には言わなかった。


「いや‥‥。あっ、先生、彼女さんのどんなとこ好きなんですか?」


「何?唐突だなぁ。可愛いよ、おっちょこちょいなとことかさ、でもしっかりしてるとこもある。そのギャップというか‥‥。おい、何言わすんだよ。」


なんだか、怒りがふつふつと湧いてきた。


《僕の大事な先生の心をもてあそんだ愛理は、いい思い出のまま、僕が裁いてあげます。安心して‥‥。先生。》


「あっ、あっ、あっ、む、虫!なんかでっかいむーしー!」


先生が子どもみたいに走り回ったから、僕も走った。


「先生、はしゃぎ過ぎですよ‥‥。男のくせに虫が苦手って、何それえー。」


「ソウマ、その、『男のくせに』って、男女差別だぞー。」


「あっ、あ、ハハハハ。」


幸せだった。このまま時が止まってくれたなら、どんなにいいだろう。


「先生、僕が守ってあげる。」


「ん?ソウマ?あっ、虫?虫のこと?」


「はい。虫です。虫‥‥。」



【 第9話 】決行



「おっはー!」


タクは先日のラブレターの出来事なんてまるでなかったように明るく教室に入って来た。すごいやつだ。僕に対しても全く以前と変わらなく接してくれた。


あー、佐和からあの手紙、結局、受けとらないままだったけどあれから、どうしたんだろう。

まぁ、いいや、悪いけど僕は、それどころじゃない。


部活も普通に終えて、寛人先生も、穏やかだった。まだ寛人先生の親父さんのこと、みんなには、知れ渡ってはいないんだな。よかった。


僕も、普通に家に帰って、スマホをさわった。


SNSのアカウントを新規作成した。そして姪の写真を撮りまくった。


赤ちゃんの手。足。あくびの顔。ねんねの顔。色々だ。


「颯真って赤ちゃん好きだったんだぁ。」


姉さんに誤解されたまま、撮り続けた。


何日間かの間に写真がいっぱい撮れた。


僕は、それをSNSに投稿した。


ハッシュタグは、#赤ちゃん#育児#出産#

#妊婦 そして、


“#倉田愛理”


そしてコメントは

《習志野市の『ファミレス ガンバ』で倉田愛理さんに優しくしてもらいました。


おかげで先日、無事赤ちゃんを産みました‥‥。》


全くのデタラメだ。


これで愛理の方から、僕のアカウントにアクセスしてくるだろう。


ゴミ箱から拾って持っていた『子宮収縮剤』の錠剤をシートごと叩き割って、粉々にした。


そして

ジッパー付きの小さなビニールに入れた。




愛理がアクセスしてくるまでさほど時間は、かからなかった。


お礼がしたいからと誘い出した。


約束の日時を決めた。

喫茶店に待ち合わせ、本人の姉は、体調を崩したから弟の僕が来ましたと言って、里帰り出産の話や、赤ちゃんの話、妊娠中の姉の様子を語った。


愛理の話などほとんど聞いてない。


『へぇー』と『そうなんですか』

を繰り返し、機械的に相槌をうった。


作り笑顔で嘘をつくのも疲れた頃

トイレに立った愛理の隙をみて、粉々にして隠し持って来た例のものを、飲み物に混入する‥‥。


流産っていうのはこの世の中に少ない事ではない。これで、完全犯罪だ。


周りが白黒に見えた。


アンタが先生を騙すから、アンタの大事にしているものを奪うだけだ。


そう、それだけ‥‥。



【 第10話 】 夜の遊園地



最近、学校での先生は、元気がない。いつも周りを気にしてる。女子や、男子が集まって喋っていると、先生は父親の事がバレたんじゃないかとおどおどしてる。


僕だってタクがいつみんなに喋っちゃうかヒヤヒヤしてるけど、先生を見てると涙が出る。


先生の笑顔が見たくて、僕は先生を夜の遊園地に誘った。


「もう、1年以上も前から閉鎖してるんです。昔からある遊園地だけど、流行らなくなったんだろうな。今は、さびれて廃れてる。

さあ、入りますよ。先生。ほら。」


「ほ、ほらって、お前、門閉まってるじゃん。」


「飛び越えるんです。さあ、先生。僕につかまって。」


僕は、先生の手を引っ張って一緒に門によじ登った。


〔ドスンッ!〕


「だ、大丈夫ですか?」


「いったぁー。痛いゎ。」


「ソウマより一回り以上も年上だぞ。そんなに身軽じゃないよ。」


「行きましょう。ほら、立って。」


「行きましょう。」


僕らは、手を繋いで走った。思いっきり手を繋いで走った。


誰も見てない。誰もいない。


「メリーゴーランド、乗って下さい。」


「は、恥ずかしいだろ?」


「いいから、乗って!」


先生が木馬にまたがったのを確認すると、僕は、柱を掴んだ。ありったけの力を出して押した。


「しっかりつかまってて下さい!先生!」


結構重い。だけど手動で回せるんだ。お、重いけど‥‥。


ゆっくりと動き始めた。


‥‥。先生といる時間。誰も僕らを偏見視したりしない。いつの日か普通に同性同士が手を繋いで歩ける世の中になってくれたらどんなにいいだろう‥‥。


「こ、怖い、もう、おりるぅー。」


「しっかりしてくださいよぉ‥‥。」


笑って泣いた。


僕は、この人のせいでいったいどれほどの涙を流すんだろう。



【 第11話 】「○○○○○○○。」



数日が過ぎた。

悲しいほど気丈に振る舞う先生の姿に今まで以上に愛おしさを感じ、惹かれていた。


僕自身もまた、ゲイである事がバレないように毎日祈って過ごしていた。


今朝のホームルームは、副担任だった。


もしかして、もう?先生は、辞めちゃうの?


僕は窓から、下を見た。寛人先生が大きな荷物を持って校門を出ようとしていた。


僕はすぐさま窓からベランダに出て、そこら辺のものを踏み台にした。


「せんせえーーーー!!」


僕は、叫んだ。

先生は、気がついて振り向いてくれた。


僕は、

「○○○○○○○!!」


「○○○○○、○○○○!!」


「○○○○○○○○○!!」


「‥‥手話か?」


「○○○○。」


「○○○○○。」


先生は、右手を胸のあたりで上から下へと撫で下ろした。そして、力士が手刀を切るような動作と共に、浅くゆっくり頷いた。


先生、いつの間に手話を‥‥。



【 第12話 】僕を愛して下さい『シャワ浣』



こんなに学校にいる時間が長く感じたことはない。


僕は、終わりのホームルームが終わるや否や、先生の元へと走った。


雨が降り始めた。

待っててよ、絶対、待っててよ。


そう思うながら、息を切らしてアパートの階段を駆け上がった。


ドアを開けると、先生がいた。


僕は抱きついた。


良かった。待っててくれた。キスをした。荒々しく、ワイシャツを剥ぎ取った。ふんわりと先生の匂いがして、それがまた僕を、今以上に興奮させる。


「大好きです‥‥。」


「そ、ソウマ、やっぱ、やめよう、こういうの‥‥。」


僕の耳は、都合のいいように音の世界が『無』になっていた。


何も聞こえない。ただ、先生の鼓動だけは感じる。僕は、激しく先生のソレを貪る。


先生が後ろへ倒れこんでも僕は愛し続けたんだ‥‥。


先生も僕も息荒く官能の喜びに浸っている。


「あぁ、、、。はっ、はっ。はっ。」


そして僕は先生の手を握ってこう言った。


「今からは、僕を愛して下さい。先生のこと汚したくないから、準備をするね。待っててよ。先生。絶対、待っててください。ユニットバス、借ります‥‥。」


シャワーのヘッドの部分だけを外して僕の『中』を洗い流す。ゆっくりと少量の温水で‥‥シャワー浣腸、『シャワ浣』だ。


先生を汚さないように、そして感染症にならないように、傷をつけないように‥‥。


待っててくれているか心配だった。


同性愛者は、この間に冷めしまうという。

だけど相手に敬意を払うならば当然の準備。


入念に清めた僕はタオルで身体の水滴を拭いた。


先生は、テーブルでコーヒーを飲んでいた。


足を組んでいた。


汗で少し濡れた前髪と、コーヒーの湯気が絡まってそれがとても絵になって、なんだか吸い込まれそうだった。


「おぅ、ソウマも飲むか?」


僕は先生を好きになってよかった‥‥。


「はい‥‥。」


寄りかかった僕の髪を先生が拭いてくれた。


コーヒーの香りと共にその時間はゆっくり流れた。


暗い部屋に2人。お互いの温もりを感じ、リズムの違うそれぞれの鼓動を感じ‥‥。


『先生に委ねます。』


「そこじゃないったら、もっとした‥‥。」


「だからちがうってば。」


「‥‥‥。」


ふっふっ。やっぱり


『僕に委ねてください。』


優しく時が過ぎた。


やがて

先生のソレが僕の中に入って来たら、

僕の前立腺は、震え上がって燃えた。


「あぁーーーーっ!」


もう、死んでもいいとさえ思った。


‥‥‥‥。


どれくらいの時間が経ったのかわからない。


どうやら、寝てしまったようだ。

目が覚めたら、先生のベッドにいた。

なんだか全てが夢のようだ。


えっ、じゃぁ、先生が愛してくれた事も夢?

いや、違う。それは僕の身体が覚えてる。


震え上がったあの瞬間を全身で覚えてる。


でも、なんだか身体がだるい。頭痛もする。


風邪ひいたかな。もう一回、眠ろう。


もう外は、暗くなっていた。


それからふたたび目が覚めた時、寛人先生がうなだれて涙を流していた。


「先生?どうしたんですか?」


「いや、あの、か、彼女が‥‥。彼女が‥‥。」


「彼女さん?」


「亡くなった‥‥‥。連絡つかなくなってそれで彼女の友達に電話してみたんだ。」


「えっ?!‥‥‥。」


目の前が真っ白になった。


「ぼ、母体がですか?」


思わず、口をついて出てしまった。


「ボタイ?どういうこと?ソウマ?

ボタイって母体?‥‥どういう意味?わけが分からない‥‥。」


「あーーーーっ!嘘だ。倉田愛理が?

まさか‥‥。」


僕は、半狂乱で叫んだ。


「ソウマ?なんでソウマが彼女の名前を知ってるんだ?」


「やだ、先生、やだ、助けて、助けて。

僕、人殺しだ。やだ。やだよ‥。」


暴れた僕を先生が両腕で抑えた。


しばらく暴れた。でも、

もう、ダメだ。人間やめよう。そう思った瞬間、その場に崩れ込んだ。


気が抜けた。動かない僕に先生は、ゆっくりと聞いた。


「何があったんだ?話してくれ。」


僕は、先生への愛し方を間違えていた。

今頃それに気付いても、もう遅い。倉田愛理は帰らぬ人だ。


「先生‥‥‥。‥‥‥‥‥。‥‥‥‥。」


ゆっくりといきさつを話し始めた。



【 第13話 】先生、今までありがとう



「とにかく、俺が落ち着こう。」


先生は、そう言って台所の冷蔵庫を開けると


「ソウマ、お茶でも飲もう。」


と言ってテーブルにコップを置いてくれた。


「先生、僕、2〜3分、外で風に当たってます。」


そう言うと靴を履いた。


「ああ。」


先生の『ああ。』は僕が聞く最後の声になるだろう。


僕は、ふらふらと歩き始めた。頭が重いし、

身体だるいし、意識が朦朧としてきた。


星も、街灯も、家々の明かりも、ゆがんで見えた。


気がつくとプールに来ていた。


クラゲが誘ってる。


『こっちおいで』と誘っている。


先生、ありがとう。迷惑かけてごめんなさい。


僕は、落ちて行った。


服が水を吸って重い。


身動きとれないや。


どこかに服が引っかかっている。


苦しいよ。


立てない。


足がつかない。


もがいた。


なんだよ、なんで僕、命乞いしてるんだ?


死にたいのに‥‥。


〔バシャーーッ!!〕


水面にぶつかる激しい音と共に水しぶきが大きく立った‥‥ようだ。


「ソウマっ!!」


先生の声が聞こえた‥‥ような気がした。



【第14話】真実



どれほどの時間が経ったか、

目を開けると、アパートの天井とは違っていた。ここは何処だろう。オフホワイトのカーテンで仕切られている。


薬の匂い、窓から入る風。人のざわめき。


‥‥‥。病院か‥‥‥。


そうだ、何故、僕は、ここにいるんだ。


先生のアパートで‥‥。倉田愛理のことを聞いて、それで‥‥。


「颯真!」


「母さん?」


周りには母さんと、姉さん、産まれたばかりの姪、それと、隅っこに親父がいた。


「秋海先生に全部聞いたよ‥‥。」


ボソッと姉さんが言った。


もうすぐ、警察が来るだろう。


そんなことを考えていた時、息を切らして

寛人先生が入ってきた。


喪服を着ていた。


「事故だった‥‥。」


「えっ?」


「事故だったんです。息子さん、無関係です‥‥。左折しようとしているトラックに

巻き込まれたらしい‥‥。」


どよめく家族に


「みんなごめん、後でちゃんと話すから、

寛人先生と2人にして。」


部屋を出てもらった。家族は、それぞれ先生に浅く頭を下げ、部屋を出た。


「線香あげに行ったんだ。金髪の男がいて、

全部話してくれた。」


プリン野郎のことだと思った。


「俺に謝ってくれたよ。ばちが当たったのかもって泣いてた。

それから愛理さん、お腹をかばうように倒れていたんだって。」


「あぁ、僕は、そういう、人が必死で守ろうとする命を、ないがしろにした‥‥。

結果が、交通事故だったというだけで、僕がした事は、けして許される事ではありません。事故に遭わなくても混入した薬が原因で‥‥。」


〔コンコン〕


「相田さん、入りますよ。」


看護師が入って来た。


「お加減いかがですか?何かあったら、頭の上のブザー、押して下さいね、あっ、

それからこれ、相田さんが運ばれて来た時に身につけていた服です。ここ、置いときますよ。それと‥‥。体温計も置いとくので測っておいてください。」


早口で一方的にしゃべって出て行った。


「はい、ありがとうございます。」


「うわぁ、水浸しじゃん。」


先生は、看護師が持って来た服を見て笑みを浮かべた。


「なぁ、ソウマ、これからが大切なんだ。どう生きるか、今何をすべきか、だろ?」


水浸しになった服を手にとって先生が言った。


「これ、ハンガーに掛けといたほうがいんじゃない?」


〔コトンッ〕


という音がして、ズボンから、財布が落ちた。


「あぁ、先生、僕、この財布に、お守り入れてあるの。先生のワイシャツのボタン。見ますか?」


拾いあげてもらった財布を開けた。


「あぁ、あぁ、‥‥‥。」


涙があふれた。


「あぁ、あぁ、」


「なんだ?ボタンごときに泣くやつがあるかよ。」


「違う、違う、僕、混入出来なかったんだ。先生、子宮収縮剤、混入してなかった!」


財布に忍ばせていた、ジッパー付きのビニール小袋。小袋の中には、確かにシート付きで粉々になった薬が入っている。僕は、それを握りしめた。


「出来なかったんだ。直前でびびって周りも気になって‥‥。

でも、ちゃんと混入したって思い込もうとした。

僕は、先生のためなら、何だって出来るって、そう、思い込んだんだ‥‥。」


「ソウマ‥‥。」


先生が僕の手を握ってくれた。


「そうか‥‥。ソウマ、こんな俺の事を‥そんなに‥‥。」


先生が鼻をすすった。

すすりながら


「○○○、○○○○○。」


ゆっくりと手を動かした。


「やっと言ってくれた‥‥。僕も、先生を愛しています‥‥。」



【第 15話 】未来



姪の命音は、12歳になった。


命音ー。命の音と書いて『みこと』


姪の名前だ。命の音ー鼓動。


生意気なやつだけど可愛い姪。


もしも愛理さんが生きていて、赤ちゃんが生まれていたのなら、命音と同じ年頃だ。


時々考えるんだ。愛理さんの赤ちゃんは、どんな子になっていただろうと。


命音のような可愛い子だったらと思うと、現在、存在していない事が辛くてたまらなくなる。


命を軽くみていた12年前の僕がものすごく恥ずかしい。


だから寛人先生があの時言った『これから何をすべきか』っていう言葉をいつも考えている。


何をすべきか、そう、だから僕は今、臨床心理士をしている‥‥。


「おじさあーん!ちわー!」


「おい、みこと!仕事中に、職場に来るな。いつも言ってんだろ。

ノックしなさいって。それからおじさんって言うな。こんなカッコイイおじさんなんてありえないだろ?」


「おじさんは、おじさんじゃん。

そうだ、先週、褒められたんだ、平泳ぎのフォームがいいって!」


「あー、今日、スイミングか?」


「そうだよ。今日も褒められるかな。」


「褒めてあげてって言っとくよ。

秋海先生にさ。」


「おぅ、頼むね。私は、褒められて伸びるタイプなんでね。アハハハ。」


〔ピコン〕


「おじさん?メールきたみたいだよ。誰から? んー。ム、ラ、イ、 サ、ワ。村井 佐和って誰?」


「こら、勝手に見るな。」


(タク、嫁さんに言っといてくれ。いつも僕宛のメールで旦那の愚痴こぼすの、それ、やめろって。)


「あっ、あのね、秋海先生さ、人気あるんだよ。」


「えー、なんだか妬けるなぁ。」


「秋海先生と、おじさんのマンション、今度また、行っていい?いつものスイミングの友達とさ。」


「あぁ、いいよ。」


「部屋の番号って、何番だったっけ?」


「805だよ。何回も来てんだろ。いい加減覚え‥‥。」


「んじゃ。」


「おい、みこと!ったく‥‥。」


いつも命音と一緒に部屋に遊びに来る友達は‥‥知っている。

僕達のことを。


少しずつは変わってきた。


でもまだまだ世の中は、同性愛者を受け入れてはくれない‥‥。


だからこそ、今出来ることをやる。

臨床心理士として出来ることを。


そうだ、メールしておこう。


『寛人さん、今日は早く帰ります。』

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僕のGは寛人先生のワイシャツで くにえミリセ @kunie_mirise_26

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