第31話 私たち、妊活します?②

 まさみと晴人は剛志との面会を終えると家に帰った。二人で剛志のことを話していると、まさみの妹である環奈から電話が掛かってきた。

「もしもしお姉ちゃん? 」

「環奈? どうしたの? 」

「今日はお父さんの面会に行ったんでしょ? お父さんの様子はどうだった? 」

「いつも通りに振舞ってたけど、なんか元気なかったな」

「やっぱりね。お父さんって無駄に体が丈夫じゃん? 病気が分かって落ち込んでるんじゃないかと思った」

「無駄って……」

 相変わらず環奈の歯に衣着せぬ言い方にまさみは苦笑いを浮かべた。

「お父さんもだけどお母さんもすごく落ち込んでるよ」

「だろうね。だってお姉ちゃんの病気が分かった時だってお母さんすごかったんでしょ? 」

「あぁ。そうだったね」

 まさみは環奈の言葉で妙子に病気を伝えた時のことを思い出した。まさみは病気を治すには生体肝移植が必要だということを伝えると、妙子の顔は真っ青になって今までに見たことがないほど取り乱した。まさみはパニックになった妙子を剛志と二人で落ち着かせるのに骨が折れたことを思い出して、彼女はまた苦笑いを浮かべた。

「お父さんの手術の日はお姉ちゃんはどうするの? 会社は休みじゃないよね? 」

「お母さんもお父さんもまさみは会社があるんだから仕事に行きなさいって言ってくれたけど……」

 妙子の暗い表情を見ていると、まさみは妙子を一人だけで剛志の手術に立ち会わせるのは不安だった。

「それなら私が手術に立ち会うよ。飛行機のチケットも取ったから明後日には日本に着くよ」

「本当に? それならお願いしようかな」

「手術が終わったらすぐに連絡するから、お姉ちゃんは仕事頑張ってね」

「分かった。ありがとう」

 まさみが電話を切ると晴人が近づいてきた。

「環奈から? 」

「うん。手術の日、環奈が立ち会ってくれることになった」

「そっか。環奈なら安心だな。結構しっかりしてるから」

 晴人の言葉にまさみは頷いた。


 手術当日、まさみは仕事をしていたも剛志のことで頭がいっぱいだった。彼女は何度もスマートフォンを見ては、環奈から連絡が来ていないか確認をしていた。すると後輩の飯尾が近づいてきた。

「大丈夫ですか? 」

「飯尾くん……」

「確か今日がお父さんの手術日でしたっけ? 」

「うん……。ごめんね。父親のことが気になって集中出来なくて」

「全然! 僕だって父親が手術するってなったら仕事どころじゃないですよ」

「ありがとう」

 まさみのスマートフォンに環奈からメッセージが届いた。彼女は緊張しながら環奈からのメッセージを読んだ。

「よかった……。手術が無事に終わったって」

 まさみは緊張が解けて体から力が抜けていくのが分かった。

「よかったですね! 残りの仕事ってこれだけですか? 」

 飯尾はまさみの机に置いてある資料に指を差した。

「うん」

「僕がやっておくので高橋さんは帰ってください」

「いや。でも……」

「大丈夫ですから。これなら僕でも一時間もしないでやれると思うんで。今日は一日緊張して疲れたんじゃないんですか? 早く帰って休んでください。高橋さんにはいつか借りを返してもらうんで」

 飯尾はウインクをするとまさみの机にあった資料を奪っていった。

「本当にありがとう」

 飯尾の下手くそなウインクにまさみの口元が緩んだ。


 まさみは飯尾の気遣いもあり残業をせずに家に帰った。家に入るとリビングで談笑している環奈と晴人がいた。

「おかえり。お姉ちゃん」

「どうしたの環奈? 」

 まさみは驚いた様子でリビングへ向かった。

「お義父さんの手術が終わった後に寄ってくれたんだよ」

「そうなんだ。今日はありがとうね。お父さんとお母さんの様子はどうだった? 」

「手術の経過にもよるけど一週間から二週間ぐらいで退院できそうだって。お母さんもいつものお母さんに戻ったよ」

「そっか……。よかった」

 環奈の口から改めて説明されたことでまさみは胸を撫で下ろした。

「環奈。もう遅いし夕飯食べていくか? 」

「いいの? それじゃあお邪魔しようかな」

 晴人はエプロンを着けると料理を始めた。彼がキッチンに行くと環奈は口を開いた。

「お母さんが二人のこと気にしてたよ」

「もしかして子供のこと? 」

「うん」

「お母さんったらしつこいな。しばらくは二人で過ごしたいって言ったのに」

 まさみは頭を抱えた。

「でもそろそろ子供のことを考えてみてもいいんじゃない? 」

「環奈もそんなこと言うの? 」

 まさみは口を尖らせた。

「だってお姉ちゃん子供好きでしょ? 結婚したら子供は最低二人欲しいって言ってたじゃん」

「そうだけど。でも今は仕事が楽しいし……」

「今はいいかもしれないけどこれからどうするの? 」

「これから? 」

「うん。お父さんやお母さんが死んじゃった後にお姉ちゃんに何かあったら? 晴人さんや子供がお姉ちゃんの近くにいなかったら? 私はアメリカに住んでるからお姉ちゃんに何かあった時に、私は助けに行けないんだよ。お姉ちゃんはもう少し先のことを考えたほうがいいよ」

 まさみは環奈の言葉に何も言えなかった。まさみは晴人と何度も喧嘩をしたが、それでも彼と過ごすこの空間が心地良すぎた。まさみは心の中で二人の関係が続いてほしいと感じていた。しかし二人の結婚は契約結婚であり、どうやっても未来なんて描けるはずがない。もしも晴人と両親がいなくなった時に、自分の身に何かあったらと考えると怖くなった。

「心配してくれてありがとうな」

 晴人はテーブルにカレーライスを置いた。食欲を誘う匂いがまさみと環奈の鼻孔をくすぐった。

「これお義兄さんが作ったの? 美味しそう! 」

 環奈は目を輝かせて晴人に聞いた。

「うん。俺の手作り。さっきのことだけど環奈が心配してくれてるのは分かってる。でも俺らなりに考えたことなんだ。俺らはまだ子供はいらない。そう決めたことだから見守っててほしい」

 晴人はそう言うと環奈に頭を下げた。

「そんなお義兄さん頭を上げてよ! ごめんなさい。お節介だったよね。でも二人のことが心配で……」

 環奈も同じようにまさみと晴人に頭を下げた。まさみは環奈にスプーンを渡した。

「もういいよ。カレー冷めちゃうから早く食べよう! 」

 環奈はまさみからスプーンを受け取ると笑顔でうなずいた。


 夕食が終わり、晴人は立ち上がると食器洗いを始めた。まさみは晴人の隣に立った。

「さっきはありがとう」

「カレーのこと? カレーは俺が食いたかったから」

「それもあるけど環奈のこと」

「あぁ」

「間に入ってくれてありがとう。今日は晴人が夕食作ってくれたから、食器を洗うのは私がやるよ」

 まさみは晴人が持っていたスポンジを手に取った。

「大丈夫。環奈と久しぶりに会えたんだから環奈と話してやれよ」

 晴人はそう言うとまさみからスポンジを取り返して食器洗いを始めた。

「分かった。ありがとう」

 まさみは環奈がいるリビングに戻ると、二人でテレビを見ながら寛いでいた。環奈はテレビを見ながら先ほどから指先を気にしているようだった。

「どうしたの? 」

「なんか爪が長いのが気になっちゃって」

 まさみは環奈の爪をのぞき込むと確かに爪の先の白い部分が三、四ミリくらい伸びていた。

「気になるんだったら爪切り貸そうか? 」

「いい? 」

「うん。後ろにある棚の引き出しの中に爪切りとヤスリが入っているから使っていいよ」

「ありがとう」

 環奈は後ろにある棚の引き出しを開けると爪切りとヤスリが入っていた。彼女は爪切りとヤスリを取り出すと、引き出しの奥に一冊のノートが置いてあることに気づいた。彼女はそのノートを手に取ってパラパラと読み始めた。

「ねぇ。お姉ちゃん。これ何? 」

「え? 何が?」

 まさみが振り返るとそこにはノートを持った環奈が立っていた。そのノートは晴人と結婚するときに決めたルールが書かれているものだ。

「これは……」

 まさみは何か言わなければと思ったが言葉が浮かばない。まさみが口ごもっていると環奈は今までに見たことがないほど険しい顔になった。

「どういうこと? 黙ってないで何か言ってよ! 」

「それは私たちが結婚するときに色々決めたほうがいいってルールを書いたノートだよ」

 まさみはようやく口を開いたが環奈の顔は険しいままだった。

「それならなんで結婚一年以内は離婚しないことって書いてあるの? それに好きな人が出来ても離婚してから告白することってなに? 普通ならそんなこと書かないでしょ! どうしてこんなことが書いているの? 」

「それは……」

「もしかして二人は契約結婚なの? 」

 まさみはなんとか言い訳を考えようとしていると彼女の隣に晴人が来た。

「そうだよ」

「ちょっと晴人」

「もう言い訳はできないよ」

 晴人は環奈と向き合った。

「環奈の言ってる通り俺たちは契約結婚だ。俺とまさみは手術するために結婚した」

「つまり私たちのこと騙してたってことだよね? 最っ低! 」

「違うんだよ」

 まさみは晴人と環奈の間に入ろうとした。

「違くないよ! お父さんたちお姉ちゃんが結婚するって聞いた時、本当に喜んでたんだよ。今度こそお姉ちゃんが結婚ができるって! 」

「ごめん」

 晴人は深く頭を下げた。

「帰る」

 環奈は自分の荷物とノートを手に取ると玄関に向かった。

「待って環奈! 」

「お姉ちゃんも最低だよ」

 環奈は絞り出すように言うとドアを開けて出て行った。

「まさみ。ごめん」

「ううん……」

 二人は黙ったまま立ち尽くしていた。


 環奈がまさみと晴人の契約結婚に気づいてから数日経ち、妙子からまさみのスマートフォンにメッセージが送られてきた。まさみは妙子にも晴人との契約結婚が知られたのではないかと恐る恐るスマートフォンを見た。それは剛志の退院の日程についての連絡だった。まさみは晴人と相談して退院の日には会社を休んで、二人で剛志を向かいに行くことに決めた。

「お義父さん。無事に退院出来て良かったな」

「うん……」

 まさみは剛志が退院出来て喜ばしいはずなのに浮かない顔をしていた。

「環奈のことか? 」

「うん。もし環奈が契約結婚のことを二人に言ったらどうしよう? 」

 もし契約結婚のことを二人に知られたら病み上がりの剛志は体調を崩したり、妙子がパニックを起こしたりするのではないかと思うとまさみは不安だった。

「その時は……」

 晴人が口を開いた時、後ろからけたたましい音が鳴らされた。青信号に変わっても中々進まない晴人の車に苛立った後ろの車がクラクションを鳴らしたのだ。晴人はアクセルを踏み込むとそれから黙ったまま車を走らせた。まさみは晴人の言葉の続きを聞きたかったが、聞くのを止めた。

 二人は剛志の病室の前で緊張した面持ちで立っていた。まさみは病室の扉を開けたら最悪の瞬間が待ち構えているかもしれないと思うと、扉を開けられなかった。

「行こう」

 晴人の言葉にまさみは頷いた。晴人は病室に繋がる扉を開けて病室に入った。病室には剛志と妙子がいて、剛志はパジャマから私服に着替えていた。

「ごめんね。待った? 」

 まさみが恐る恐る二人に声を掛けた。

「まさみ! 全然大丈夫よ。来てくれてありがとうね」

「ごめんな。今日は仕事なのにわざわざ来てもらって。晴人くんも来てくれてありがとう」

 二人がまさみたちの関係について気づいてないようでまさみは安堵した。彼女は環奈がいないことに気づいた。

「あれ? 環奈は? 」

「環奈は家で待ってるよ。掃除をお願いしてる」

「そうなんだ……」

 まさみは環奈にどんな顔をしたらいいのか分からなかったので、顔を合わさずに済むことにどこかほっとしていた。

 晴人は剛志たちを車に乗せてまさみの実家に向かった。まさみの実家に着いて剛志たちを下ろすと、家から環奈が出てきた。

「お父さん! おかえり」

「ただいま」

「二人がいない間、めちゃくちゃ家をきれいにしたんだよ」

「ありがとうね」

「お姉ちゃんたちも迎えに行ってくれてありがとう! 」

「うん」

 環奈がいつもと同じ態度だったので、まさみは環奈が許してくれたのではないかと思った。まさみと晴人が剛志と妙子を家に入るのを見送ると、ポケットに入れていたまさみのスマートフォンが震えた。まさみがスマートフォンを確認すると、環奈から会って話したいというメッセージが送られてきた。その素っ気ない文面からは明らかにまだ許していないということが伝わってきた。まさみは晴人に環奈から送られてきたメッセージを見せると彼の顔が強ばったのが分かった。






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