第32話 決戦 4

 人生諦めが肝心という言葉を聞いたこともあるけれど、人生諦めたらそこで終わりという言葉もあるみたい。いったい人生諦めていいものなのかどうなのか、はっきりしてほしい。


 でも、どうにもならない状況では、諦める他ないわけで、この状況で頑張れ諦めたら終わりだと言われても困るといえば困る。となると今の私は、諦めが肝心な方かもしれない。


 諦めたら、楽になるのかな……晴子、私諦めていいかな?

 本当に人間って弱い。

 私は特にヨワヨワかもしれない。


 この黒い獣が、あのコン太ならいいか。

 あーもうひと思いにやってしまってコン太。

 でも、痛いの続いて苦しいのは嫌だから一発で楽にしてね。


 ……あれ?


 黒い獣に組み敷かれ、このまま首筋に牙を受けるのが間違いない状況で、極限までに弱気になった私はようやく気が付く。


 目の前の獣が、苦しんでいる?


 グルルルル、といううなりをあげながら焦点の定まらない目で首を振る獣。

 そのうち私の両手から前足は離れた。


 私はこれ幸いと後ずさり、起き上がって距離をとる。

 獣はなおも体を振り全身痙攣させながら、うなっている。


「もしかして、コン太……」


 獣があえぎながらもこちらを見て頷いた気がした。

 そうか、コン太があの狐の支配に抵抗してるんだ。

 頑張れコン太! 君なら勝てる!


 ……しかし、それはかなわぬ望みだった。


『ええい、管狐くだきつねの分際でわらわに逆らうか!』


 狐面の声がしたかと思うと、教室の四方から、稲妻のような光が獣に降り注ぐ。

 獣は、コン太はなおも抵抗しているようだったが、やがて頭を垂れて、地に伏した。


「何てこと……」


 駆け寄ろうとする私。しかし、私の中の別の私が危険を告げる。

 立ち止まる私の前で、獣は再び起き上がった。


「コン……太?」


 グルルルとまたあのうなり声。

 先ほど一瞬だけ見せたコン太の面影は完全に失われていた。


『これで良し。娘よ、そやつはもはやあの管狐ではない。あきらめよ』


 無情な狐の声。もう、コン太はいないってこと、か。


 コン太……

 私と違ってコン太はあきらめなかった。

 あきらめてなかった。


 ……なのに、私があきらめちゃダメだよね。コン太。


 ビリッ


 私はスカートの端を破いた。

 これでよし。いつもどおり動ける。もう見えちゃってもいい。

 貴子さん、ごめん。


『何を……しておる?』


 狐の声なんて気にしない。


 そして、私はスーツの上着に隠していたアレを取り出す。

 傍目には細長い棒きれに見えるだろう。でもこれは違うんだ。


 私は両手でしっかりと棒を握り叫ぶ。


「発動せよ、アメノハバキリ!」


『何ッ! それは!』


 私の手元に現れた光輝く剣。

 そう、これこそ、貴子さんが私に貸してくれた武器。

 霊力でどこまでも強くなる私の武器。


「私コン太を傷つけたくない。でも、こんなコン太可哀そうだから。見てられないから、私、あなたを、斬る」


 私の言葉を理解したのかしていないのか、獣は私にとびかかってきた。

 その動きはよく見える。

 まるでスローモーションのよう。


 ためらってはダメ。解放してあげなきゃ。


 私は勢いをつけると、迫るその頭上に斜めに剣を振り下ろす。

 そして、そのまま左横に避けて体をやり過ごし、すぐに立ち上がる。


 振り返ったそこには、光の雫となり消滅してゆく、獣の姿があった。


 その目が一瞬あの優しいコン太の目になって、私にありがとう、言ってるみたいだった……




『くっ、しかしこの空間からは逃さぬぞ』


「……さない」


『何!?』


「許さないっていってんのよ!」


 狐は、私の剣幕に一旦は驚いたようだったが、すぐに口調を戻す。


『どう許さぬというのだ。ここはわらわの空間。そなたはわらわの手の上で踊っておるにすぎぬというのに』


「壊す」


『壊す? ハハハ、壊せるものなら壊してみるがいい』


 私は、両手に持つ剣を正面に構えた。

 そして振り上げて叫ぶ。気合を込めて。


「霊力全開!」


 もはや剣ではなく、光の奔流というのが正しいかもしれない。

 私の持つ手からあふれでた光は、四方に広がり、教室を、狐の作った空間の壁を壊してゆく――


 狐の声はもう聞こえなかった。





「晴子、無事だったか!?」


「晴子ちゃん、大丈夫?」


「あれ……ここは……大牙に、貴子さん?」


 式神二人の声に我に返る。見えるは天井?

 がばっと半身を起こして周りを確認すると、なんとあの最上階のフロアだった。

 傍らには心配そうな顔で私を見ている政さんもいた。


「狐の幻術だ。しばらく起きなかったから、お前の心の中に入るか天乙と相談してたところだったんだぞ」


「晴子ちゃんごめんね、防いであげられなくて」


「幻術……?」


「人の心の恐れや不安を具現化させてその世界に閉じ込める術さ」


 そうか、あの迷路は私の迷いの象徴で、教室は私の諦めの象徴だったんだ。

 これを聞いてちょっと悲しくなる私だったけれど――


「まさか自分で戻ってこれるとはな、信じられん」


「本当ね。心の強い人間。徳の高い僧侶や修行を積んだ巫女でもないと普通無理だから、これって凄いことなのよ、晴子ちゃん」


 この二人がここまで言うってことは……誇っていいのかもしれない。

 私は諦めなかった。負けなかったんだ。自分の弱い心に。


「貴子さんにお借りした武器と、コン太のおかげです」


「コン太?」


 不思議そうな顔をする大牙に、ナイショと言う私。

 大牙は不満そうだったけど、貴子さんは納得してたみたいだった。



「まあ、いいか、体も心も何ともなさそうだな。じゃあ、いくぞ」


「いくぞってどこへ?」


「瘴気の特に強く出てる部屋がわかったんだ。そこにいく」





 扉を開けると、そこは私たちのあの会議室の三倍くらいはありそうな広さの部屋だった。

 入って少しいったところにテーブル席があり、さらにその向こうに机がある。

 その右手には、明らかにそこだけ異質な、祭壇があった。

 祭壇の上にある神棚には、何か禍々しいものがそこにいると私にも感じられる。


 正面奥の机に座っている人物は、この部屋の主だろう。スーツを着たロマンスグレーな髪のオジサン。

 その横にいる人物は何者なのだろうか、長身の銀髪なのもそうだが、スーツではなく、ポロシャツにジーンズというラフな格好に違和感を感じてならない。少なくそも、会社にいる人間の格好ではない。


 さて、いきなり部屋に入ってきた私たち四人に応対したのはオジサンの方だった。


「何だね君たちは。ノックもせずに入ってきて。無礼じゃないか」


「あんたがこの会社の副社長さんだな。この会社に鬼や狐をばらまいて混乱させてるのはあんたの指示だろう。全部バレてるから素直に自首しろ」


 大牙が人差し指をピッとオジサンの方に向けて見得を切る。


「鬼? 狐? 何を言ってるのかわからないね。訳のわからんことで私を脅迫するというのなら警察を呼ぶがいいのかな?」


「なるほどな、昼に警察を呼んだのはお前の仕業か。まったく人を酷い目に合わせやがって」


「そーですよそーですよ。クサイ飯を食べられなかったのは残念でしたけど。もう少しで前科つくとこだったんですからね。こんなうら若き娘の将来を棒に振らせようとか、何てことするんです!」


 私もここぞと大牙に加勢する。


「知らない知らない。大体サーバルームに警察を呼んだのは私じゃないぞ。そもそも君たち二人がサーバルームの壁を壊したくらいで呼びはしない」


「何でそれを知ってるんだ? お前が」


「な、何っ!?」


「名目上は、俺と晴子がサーバルームに人質取って立てこもった扱いになってるはず。いくら会社の偉い人間だからって、俺達が迷い神と戦ったときのことを知らなきゃ、そんなことわかるはずがない。」


「くっ……」


「あんた一連の騒ぎの責任を社長におっかぶせて、自分が社長になるつもりだったんだろう。調べはついてんだぞ!」


「……フハハハ、フハハハハ」


「何がおかしいんだよ。頭が狂ったか?」


「狂ってなどいない。飛んで火にいる夏の虫が鳴いてておかしくなっただけだ。安倍君、こいつらを始末してくれ」

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