第14話 怪しいセミナー 3

「ハルコちゃん、ハルコちゃん!」


 誰かが呼ぶ声。私を一生懸命呼ぶ声。

 私は瞼を開ける。

 頭がぼーっとする。何だかお腹が気持ち悪いような気がする。

 あれ……目の前のこのグレーのスーツの女の人は……


「よかった……怪我とかはないみたいだけど、大丈夫?」


 立花さんだった。


 とりあえず頷いておく。

 見回すとあの女子トイレの個室のよう。ここで気を失っていたということか? ……おかしい、大牙に謝ろうと決意して、扉を開けた後の記憶がない。


「あの子、西野君がね、かなり時間がたつのにあなたが戻らないって血相を変えて私のところに来たの。それでトイレに行くって言ってたっていうから、会社中の女子トイレを探したのよ、私」


 大牙、やっぱり私のこと心配してくれてたんだ。


「扉が開いたままだったからびっくりしたわ。今回は無事だったみたいだけど、個室でねちゃいそうな時は、ちゃんと扉の鍵をかけてからにするのよ」


 立花さんにはもう何も言えない私は、ただただ頷く。

 彼女だって今日あんな目にあった後だというのに。

 息をきらせているところを見ると、私のために走り回ってくれていたようだ。

 本当に申し訳ないと私は思った。

 そしてこんな時でも私のことを思いやってくれる彼女には、やっぱりウチの学校の先生になってほしいと心から思ってしまった。


「無理にしゃべらなくてもいいからね、立てる? うん、大丈夫か。とりあえず医務室かな。外で西野君も待ってるからね」


 大牙が待ってくれてる。嬉しい。

 どんな顔をしよう。

 ……あんまりデレデレだと良くないかもだから、ちょっとムッとした感じがいいかな。大牙だって悪いんだもんね。

 私はトイレの扉に向かいつつ、そんなことを考える。



 でもやっぱり、外に出て大牙の顔を見たら、考えていたことが全て吹っ飛んでいってしまった。


 どことなくやつれた感じ、元気が無い様子で、座っていた彼が、私の姿を見て、ぱーっと顔を明るくするのを見てしまったから。


「晴子、急にお前の霊力の反応が途絶えたから驚いたぞ……その大丈夫か?」


 私は答える。もちろん――


「大丈夫なわけないでしょ」


 あ、あれ……口が勝手に動いていた。


「何? 見た感じは問題なさそうだけど、どこか悪いのか?」


 いけない、心配されてる。はやく取り消さなくちゃ。


「頭は痛いし、吐き気がするの。大牙あなたの顔を見てるとね」


 ええええええ。何言ってるのよ、私ぃいいい。


「それ……どういう意味だよ……」


「言ってる通りよ。べつにあなたになんて分かって貰おうなんて思わないわ」


 さすがの大牙も、この私の毒舌に泣きそうな顔をしている。

 普段だったら、白虎様可愛いじゃないのよしよし、とかだけれど、今はそんな場合じゃない。彼の心を傷つけているのは、この私。


 でも、ダメ、全然ダメ。

 何か言おうとすると、真逆の言葉になっちゃう。

 まるで、私の口から下が勝手に動いちゃうみたいに。


 ということは逆のことを思えば逆になるはず! 私、天才!

 試してみよう。えーっとえーっと……


「大牙なんて大嫌い!」


 よし成功!

 そのままいっちゃったらどうしようって思ってたから良かった。


 でもしまった……これでは追い打ちだ。

 大牙の首ががくりって感じで下に。

 何とかしなきゃ、何とかしなきゃ。


 ……無理。


 逆のことって考えるの難しいな。どうしてさっきは上手くいったんだろう。

 私が悩んでいる間に、大牙の側は何とか自分を取り戻したみたい。


「お前……もういいや、別にお前が俺のことを嫌いでもどうでもいい。それよりな」


 どうでも……いい……の?

 大牙のこの発言に、さっきまでの気持ちがぶり返される。


「こっちだってそんなのどうでもいいよっ!」


「お、おい、ちょっと待てよ」


 もう自分が何て言ったのかなんて、それこそどうでもいい私だった。

 いたたまれず、駆け出す。当て所も無く。


 階段を上りフロアの角を曲がり、衝突しそうになった社員さんの横を無言ですりぬけ、とにかく、大牙から離れられる場所へ。



 そして、気が付くと、見たことも無い場所にいた。


 見たことも無いというのは、語弊があるか。廊下自体は、このビルのものには違いない。ただ、それがずっと続いている。まっすぐな廊下の向こう側が見えないのだ。後ろを振り向いても同じ。


 ここは一体どこなのだろうというような素人臭いことは言わない。

 囮としてではあるにしても、今までハルズガーデンの一員として迷い神と向き合ってきた私だ。

 大牙のように迷い神の気配とかはわからないけれど、現実にはありえないこの状況を見れば、自分が危機にさらされていることくらいはわかる。

 心拍数はそれは上がるけれど、深呼吸して自分を落ち着かせるくらいの余裕はある。目が回ってしまいそうだから、とりあえず床を見て状況を整理しようとする。


 問題は、私自身は迷い神と戦う力がないこと。

 私は囮、戦うのは大牙や貴子さんの役目。


 陰陽師は霊力を源として術を行使するということを聞いて、陰陽師の術を覚えたい自分の霊力を生かしたい、と政さんに向かって懇願したことはあるのだけれど、この件に関しては首を縦には振ってもらえなかった。


 陰陽師の術を覚えることは簡単なことではなく、厳しい修行が必要になる。

 その行使できる力への責任から、霊力だけでなく、自分を律する心の強さが求められ、極限まで精神を削るほどの試練が課せられる。

 まだ、中学生の私には辛すぎる。


 大牙を通じて聞いたところでは、政さんの意見はこんな感じだった。


 その代わりに、私のことは絶対に守ると、大牙も貴子さんも言ってくれた。

 二人は十二天将、最強の式神達。その強さが単なる自称ではないことは、囮をしていれば嫌という程よくわかる。

 彼らが私についていてくれるなら、そもそも私自身が術を覚える必要はない。きっと私がすぐに覚えて使えるようになる術なんか、二人の指先一つで吹き飛ばされてしまうくらいだろうから。


 けれど、こういった事態では、やはり何か戦う手段を身に着けていないのが悔やまれる。守ってくれる誰かがいなければ、囮ではなく、まな板の上の鯉というやつ。大人しくおいしく頂かれるしかない運命。

 そんな注文の多い何かのような展開はとても嫌なのだけれど……大牙は助けに来てくれるだろうか。私の霊力は感知できるはずだからここが同じ会社の中なら、探してくれればすぐに見つけてもらえるはず。


 だけど、探しに来てくれるのかが、とても不安。


 どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。思ったことと逆のことを言っちゃう病?

 慣れない会社にずっといるからおかしくなっちゃったのかな。

 立花さんではないけれど、私も精神科に行った方がいいのかもしれない。


 そんなことを考えていた時だった。

 ふいに感じた気配に、私は顔を上げる。


「大牙?」


 しかし、残念ながら目の前に現れた人影は大牙ではなかった。


 スーツを着た女性。それだけであれば助けを求めるのだけれど、その顔に狐の面をかぶっているとなると警戒心は煽られる。


「霊力の塊のような女子よの。わらわが味わいたいところであるのにとても残念じゃ」


 この声、よく通る女性の声。どこかで聞いた気がする。どこでだろうか。


 いやそれどころじゃない。目の前にいるのはどう見ても迷い神。

 この言いよう、食べられてもおかしくない。

 でも、残念って言ってる?


「ち、近くにきてよ」


 こんな時にまで……私は口を覆う。

 これでは目の前の狐女に食べてくださいっていってるみたいだ。


「人間とはもろいものよの。たかが言葉一つで自分を失う。ここまで上手くいくとは思わなんだが」


 こいつの言い様。私のこの状況は、この狐女のせい?

 彼女はどんどん近づいてくる。

 そして私に手を伸ばす。


 その時――

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