夏の暑さと頬の熱さの差

「冬樹くん」

「なんですか、春香先輩」

「そろそろはっきりさせた方がいいと思ってさ。私たちって、どういう関係なの?」


何を聞かれるかと身構えていたが、聞かれたのはよくわからない質問だった。思わず首を傾げながらそれに答える。


「それって今更言う必要があるんですか?」

「えぇ!? えっと、冬樹くん? あのね、ちょっと言いたいんだけど」

「春香先輩は先輩で、僕は後輩ですよ」

「ん? んん?」


混乱の極致に至ってしまった先輩を放って、僕は歩みを進める。時は七月、照りつける日差しが肌を焦がし、汗が次から次に湧き出てくる。木々は青々とした葉を揺らして精一杯の涼しさを与えてくれている。

そうやって先輩から目を背けていると背中に強い衝撃、パァンといい音が辺りに響いた。


「冬樹くん、からかってるでしょ」

「……少し」

「あのね冬樹くん、そうだとお互いにわかっていても、ちゃんとこういうのは言葉に出さないとダメなんだよ。そうしないと意味が変わっちゃうからね」


大袈裟なため息を吐きながら春香先輩は人差し指をピンと立てて怒り出した。いやもう全く持ってその通りで、ぐうの音も出ない正論だ。しかしこちらとしても言うに言えない事情がある。ただ、それを面と向かって言うのもまた、とそこまで考えたところで先輩と目が合った。絶対に逃がさないという意思を感じる、狩人の目をしている。


「ちゃんと言って。冬樹くんは私のことがその……す、好きなの?」


そう言う声が上ずっていて、先輩の緊張がこちらにまで伝播する。そうじゃなくてもここ最近、先輩と帰るのに妙な緊張を覚えてばかりなのだ。それに、そういう言葉を口に出すのはたとえ世界に先輩と二人きりになったとて恥ずかしいだろう。


「それは、その、好きですけど」


それだけの言葉を口に出すのにどれほどの心理的抵抗があったかは、推して測るまでもなく明白だ。顔が熱い。ただでさえ気温が高いのに、余計に熱くなって手でパタパタと仰ぐ。雀の涙程度の風でもないよりは断然マシだった。とにかく気を逸らしていたい。

先輩はどうも妙な覚悟が決まっているようで、まだまだ僕のことを逃がす気はないみたいだ。耳まで赤くしながら、けれど確かに僕に向けて質問を重ねてくる。


「いつから?」

「いつからって……ちょうど一年くらい前になるんじゃないですか」


そう言われて思い出す。確か先輩と出会ったのはちょうどこのくらいの季節だった。



生まれて初めて学校をサボった。


何か特別な理由があったわけじゃない。いじめられていたとか成績が悪かったとか、そういったわかりやすい原因はないのだ。とにかく背中から這い寄ってくる焦燥感。それから逃れたくて、気づいたら授業を受けずにふらりと公園に来ていた。ベンチに座ってぼーっとしている。補導を避けるために私服を着る、という悪知恵は働いているあたり、僕は自分が思っているよりも意図的に学校をサボったのだろう。


だからといって親にとやかく言われることもない。適当に腹痛だったとか少し熱っぽかったとか、そんな理由を付けておけば大丈夫だ。そのことに若干の虚しさを覚える。暖簾に腕押し、馬の耳に念仏。まるで手応えがない。


僕は公園で遠くを見つめるために学校を休んだのだろうか、と軽い自己嫌悪が襲う。この自分の行動にいったいどんな意味があるのか、と考え込んでいると、不意に体が揺らされた。手を置かれた方を見やる。


「君、同じ学校の子じゃない?」


そう声をかけてきたのは制服姿の女子高生だった。その服は確かに僕と同じ学校のセーラー服。しかし僕は彼女に見覚えがなく、戸惑いで上手く答えられなかった。「ああ」とか「うん」とか、意味を成さない言葉ばかりが口をついて出る。


彼女はそんな僕の様子を見て「大丈夫?」なんて言いながら笑ったあと、隣に座ってくる。


「なんですか?」


そう尋ねると「別に~?」と足をぷらぷらさせながら答えてきた。彼女に対する第一印象はそんなによくなかった。変に絡んでくる人。もしかしたら不良なのかもしれない、とよくない想像が脳裏をよぎったあたりで彼女が改めて口を開く。


「こんなところで何してるの?」


責めるわけでもなく、純粋に疑問に思ったから聞いている。少なくとも僕はそう感じて、なんだこの人はと思いつつ、それに答える。


「何してるんでしょうね?」

「何それ、どういうこと?」


くすりと笑いながら問いかけてくる。自然な語り口、軽い口調。それが原因なのか僕はすらすらと口を割っていた。


「自分でもわからないんですよ。何となくサボろうかなって思って、そしてサボってみたはいいものの、何のためにサボったのかもよくわからなくて」

「へぇ~、じゃあ私といっしょだ」

「え?」

「私もね、今日なんとなくサボっちゃったんだよ」

「……本当に?」

「こんなことで嘘吐いてもしょうがないじゃん」


なんでだろうね~なんて、そんなことを言いながらすっと立ち上がる。


「私、櫻木春香。二年生。君は?」


差し伸べられた手を見て、僕もまたベンチから立ち上がる。けれど手を取ることはできなかった。同世代の女子と手を繋ぐなんて到底できない。ましてやそれが美人にカテゴライズされる相手なら。


「藤堂冬樹、一年生です」


あの日、ふらついていた僕を偶然見つけてくれたから、僕は今の僕になったのだと思う。



「あ~、そんなこともあったね」

「春香先輩は結局あの日、なんでサボってたんですか。頑なに教えてくれませんけど」

「乙女に秘密を聞くのはあまりいいことじゃないぞ」

「というか結局先輩はどうなんですか? 僕にだけ言わせておいて逃げるのは」

「暑いね! アイス食べたくない?」


露骨に話題を逸らされる。なんとなく察しているとはいえ、やはりはぐらかされたままというのは落ち着かない。


「ちょっと、先輩もちゃんと言ってくださいよ」


肩を掴んでこちらを振り向かせる。そっぽを向いているのでそちらに顔を動かすとまた別の方向へと逃げる。そちらの方に顔を動かせば、さらに別の方へと逃げる。


「先輩はどうなんですか?」


顔を合わせるのは諦めて、とりあえず聞いてみる。春香先輩は髪をくるくるとしてみたり手のひらでパタパタと顔を扇いで見たり忙しそうだ。やがて観念したのか、一度こちらの目を見て、それからやはりそっぽを向いて言う。


「そりゃ、その……好きですけどぉ」

「いつからですか?」

「いつからって、そんなのわかんないよ。初めてちゃんと接した後輩だし、先輩らしくしようかなって思ってたら、なんかいつの間にか好きになってたの!」

「そ、そうですか」

「言わせといてその反応はないでしょ!?」


改めて先輩が自分のことを好きだという事実を、本人の口から聞かされるのはだいぶ来るものがある。言わせたこちらの方が照れてしまうという始末に男として若干の不甲斐なさを感じずにはいられなかった。


「それでさ、冬樹くん。私たちの今の関係って結局どんな感じになるの?」

「……改めて言われると、なんて言えばいいんでしょうね」


元は一緒に帰ったりたまに食事に行ったりする関係だ。今でも頻度は下がったがそれは変わっていないし、そこにお互いが好き合っているという要素が付加されただけ。


けれど正式に何かを言ったわけではないし、だとするとやはり正解は最初の結論に戻ってしまう。


「やっぱり先輩と後輩、なんですかね」

「冬樹くん的にはそうなるんだね」

「春香さんはどう思っているんですか」

「今のところは冬樹くんといっしょだよ」


手を繋ぐわけでもなく、話をしながらただ歩く二人。


この距離感を何と呼べばいいのか、僕の語彙では到底表せそうにもなかった。



いつから好きだったのか、と聞かれてはっとした。


あれ、私っていつから冬樹くんのことを気に掛けるようになったんだっけ? と。


明確に気にかけたのはあの日、公園で会ったとき。それはお互いにとって同じだった。けれど私が冬樹くんを知ったのは、もう少し前の話。


ちょっとした企画で、一年生の教室に行く機会があった。先輩にわからないことを質問しようといった具合で、中学生ならともかく高校生になってまでする必要なんてあるのかな? と思ったことを覚えている。そして私は運悪く、そのメンバーに選ばれてしまったのだ。


そこで見た一人の男の子。どこか受け答えも上の空で、悪く言えば流しているような印象の子。けれどその場に干渉しないわけではなくて、時折軽い冗談を言って場をなごませたりもする。よくわからない子だなって思った。きっとそれが初めての出会い。冬樹くんは覚えていないだろうけど。


「なんか私ばっかり意識してるみたいじゃんこれじゃあ……」


ベッドの上で顔を覆ってのたうつ。顔の熱さはしばらく残りそうだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る