意匠の国の旗

中川 弘

第1話 如月の望月のころに想うこと


 新暦の三月二十一日。

 それを、いささか時代じみた言い方で、表現をしますと、弥生のはつかあまりついたち、なんて言います。


 この日、実は、旧暦では、如月の望月の日、でありました。

 

 新暦と旧暦が、時に、並存する我が国では、こうした時節の表現のかみ具合のアンバラウンスを面白く感じて、私は好きなのです。


 望月、といえば、満月のことです。

 旧暦の二月十五日を言います。

 ですから、今宵、空には煌々と輝くお月さんの満面の笑みを見て取れるというわけですが、果たして、春の天気はそれを許してくれるだろうかと、毎年、心配をするのです。


 しかし、そんな地球の大気の流れに関係なく、宇宙では規則的な動きが着実になされています。

 地球は太陽の周りを三百六十五日と六時間弱をかけて一周しています。

 この六時間弱が、四年経過しますと、二十四時間弱になります。つまり、一日の時間に相当してくることになりますから、ちょっと、面倒なことになります。


 いうならば、天文的なる「ずれ」が生じてくるというわけです。

 だから、春分は、三月二十日か二十一日と、年によって変化、いや、調整を、人間はしているのです。


 だからというわけではないのでしょうが、そのような折も折に、あのお釈迦様がお亡くなりになります。

 

 実際はその日かどうかはわからないのだと思います。

 でも、仏典を学んだ中国の僧たちは、そう考えたのです。

 それが伝わってきた日本でも、その日を釈迦の入滅した日として、涅槃会なる行事が寺では行われるというわけです。


 何でもかんでも、人間というのは、自分に理解のしやすいように、ものごとを決めて、それを後生大事にして、伝統として培ってきたのです。


 佐藤義清という武者がおりました。


 平清盛が時代を翻弄していた頃のことです。

 祖先は、俵藤太、あの将門を討った坂東武者です。

 

 この佐藤義清の家、武門とはいえ、紀伊あたりに大きな荘園を持ち、京の都でたいそう豊かな生活を営み、それがゆえに、義清は鳥羽院の北面の武士として取り上げられます。


 北面の武士は、顔貌優れ、学問に深きものが選ばれたと言います。


 今風に言えば、容姿端麗、もっと下世話に言えば、イケメン。

 加えて、学力優秀ということです。


 この時代の学問の要は、歌をいかにうまく詠めるかにかかっています。

 

 家は裕福、学才があって、お顔も清々しいというのに、なんと、二十三歳で、世を捨てます。

 以来、諸国を巡り続けるのです。


 お家が豊かであったがゆえに、そのような呑気な旅もできたのだと思うのは、きっと、貧乏人の僻みかもしれません。

 でも、実際は、そうであったに違いないと、私、思っているのです。


 お金持ちの坊ちゃん、由緒正しき家の御曹司ですから、いく先々で、それをひけらかして、一宿一飯に預かっていたのではないかなんて、恥ずかしながら、僻み根性を丸出しにしてしまうのです。


 その義清、こんな歌を詠んでいます。


  願はくは 花の下にて 春死なむ その望月の 如月の頃


 もっとも、義清ではなく、出家した後の名、西行として詠んだ歌ではあります。


 この歌を見る限り、先ほどの私のふしだらな勘ぐりは一掃されるのです。


 建久元年二月十六日、西行は河内の弘川寺で没しました。 

 まさに、如月の望月のころ、なのです。

 

 釈迦が入滅したその頃に、出家の我は、桜の花の満開の下で、死にたいと願うのです。

 そして、その願い通りになるのです。

 

 やはり、本物だ。

 お金持ちのボンボンではない。

 真に、己と対面して、生涯をかけて、哲学をしてきた坊さんなのだって、己の不甲斐なさを恥じつつ、この男の歌集を手に取るのです。


  岩間とぢし 氷も今朝は とけそめて 苔の下水 路もとむらん


 そう言えば、紀貫之にも、こういうのがあった。


  袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つ今日の 風やとくらむ


 これらの歌こそ、如月の望月のころの感慨だって、そう思っているのです。


 ちょっと、寒い朝方、冷たい水に指先を濡らして、素晴らしき先人の残した言葉に託された思いを感じ取るのも、望月の如月の頃の良き姿であると思っているのです。

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