第4話 撲殺聖女

 セラーラに絡んでいる貴族は輝くばかりの金髪を有した甘いマスクの美男子である。

 しかし、にやにやと彼女を舐め回すように見ている事からも、性格の方は残念に思えた。


「……いいねえ……こんな美女、そうお目に掛かれるもんじゃないぞ……このオルストリッチ、いやブリエンセニア中を探してもいないんじゃないのか?」

「……」

 

 黙ったままのセラーラは、冷めた視線を貴族の男に向けている。


「クククッ、いいじゃないの……その強がる眼。すぐ哀願するようになるからよ……またそれが堪んねえんだよな」


 ……風向きが悪いな……


 良くない傾向だと判断した俺は、自分を引き留めている兵士に許可証を見せた。


「おい、俺たちは何も違反はしていないぞ。ほら、許可証だってある」


 しかし兵士はそれを見ても、だからどうしたと言わんばかりに嘲笑う。


「フン。そんなもの、俺たちの前ではただの紙切れだ」

「なんだと?」

「お前、何も知らないのか。さては流れ者だな? いいか、よく聞けよ。あの方はこのオルストリッチ辺境伯領の領主、ドミナンテ様の五男、アンドレイ様だ。少しでも逆らうと命はない。言葉に気を付けろ」


 ……おいおい、なんでそんな奴と初日に出くわすんだよ……


「……その五男様が、どうしてこんなところにいるんだ……?」

「アンドレイ様は日々、このオルステンの治安を守るために巡回なさっておられるのだ」


 巡回? 遊び回っているだけなんじゃないのか……?


「お前たちは人だかりを作り、他の者の通行を邪魔していると苦情が入った。だからこうしてアンドレイ様が直々に取り締まりに来られたわけだ」


 なるほどね。

 アンドレイの手の者が美少女のセラーラを見つけ、奴に報せたって訳ね。


「主様!」


 セラーラが俺に気づき、弾んだ声を上げる。


「主様だと? 報告では従者だと聞いたが、違うのか?」


 領主の五男アンドレイは、眉根を寄せて俺を見たが、すぐに下碑たツラへとその端正な顔を歪める。


「おい、お前! この女は俺様がもらっといてやる! 感謝しろよ!」


 ……すごい上から目線だな……


「待ってくれ、そいつは俺の娘のようなものだ。少しだけ話を聞いてくれないか?」


 俺の言葉で場の空気が一変した。

 周りの群衆から騒めきが立ち、悲壮な言葉が方々で囁かれる。


「あーあ。俺の警告を無視しちまったな。言葉に気を付けろって言っただろうに」


 俺を引き留めている兵士でさえも、哀れみの視線でこちらを見ていた。

 いったい何なんだとアンドレイに視線を向けてみれば、彼はわなわなと拳を震わせ、その目を憎悪に染めているではないか。


「……貴様……ウジ虫の分際でこの俺様に反論するというのか……?」


 え? あれだけで怒ったの? 沸点低すぎない?


「おい、その馬鹿を引き裂き刑にしろ」

「はっ!」


 取り囲んでいた兵士たちが、俺の身柄を拘束しようとする。


 ……ひ、引き裂き刑……?

 ……確か四肢をそれぞれ縄で繋いで、馬かなんかで引き裂くやつか?


 待て待て待て。

 それは重罪人にやるやつだろうが。


 ……何考えてんだよ……

 ちょっと話を聞いてくれと言っただけだぞ?

 ここまで横暴な奴がいるか?

 漫画や映画でもこんな無茶苦茶な貴族はいないぞ。


「……待ってください……」


 セラーラが消え入りそうな声で呟いた。


「ん? なんだ? そんなにあの男が大事か?」


 彼女が自分に哀願して来ると思ったアンドレイは、嗜虐的な顔を見せる。


「くくく、ならばこうしようじゃないか。お前は俺様に奉仕する。それで俺様が満足できれば、あいつの命を取ることだけは堪えてやってもいい。くくっ、どうだ? いい提案だとは思わないか?」


 アンドレイは間違いなくセラーラが了承すると高を括っていたが、返ってきた言葉は全く異なる台詞であった。


「……汚物の分際で主様に大層な口を聞くとは……身のほど知らずも甚だしい……」

「へ?」


 刹那、アンドレイの視界がぐるりと反転する。


「あれ?」


 大の大人が軽やかに宙を舞い、俺はその様子をただ呆然と眺めていた。 


「ぐあっ!」


 そしてアンドレイは、盛大に石畳の上へと叩きつけられる。


「アンドレイ様!」


 背後に控えていた四人の騎士とローブの男が、尻もちを着いたアンドレイに慌てて駆け付けた。


「だ、大丈夫、です……か……」


 心配して声をかけた騎士だが、次第に言葉尻がすぼんでいき、その顔からは血の気が引いていく。

 彼だけでなく、俺や群衆も同様に顔面を蒼白とさせた。


「くそったれめ! あの女! 俺様を投げ飛ばしやがって! ってお前ら、その目は何だ……」


 自分に向けられる視線に訝しんだアンドレイは、ゆっくりと己の体を確認する。

 目にしたのは、肘から先が引き千切られた無残な左腕であり、傷口からは止めどなく血が流れ出ていた。


「……お、お、俺様の腕がぁあアぁああアァあああっ!!?」


 狂ったように喚き叫ぶアンドレイを、セラーラは侮蔑の目で見下している。

 その手には、もぎ取られた奴の左腕が握られていた。


「……なんて穢らわしい存在なのでしょうか……このような汚物は早急に処理すべきです」


 セラーラはゴミでも捨てるかのように、左腕を地面へと投げ捨てる。

 そして自分の法衣が汚れないよう裾を上げると、思いっきり踏み付けた。


「主様を罵った罪、万死に値します。これだけで終わると思ったら大間違いです。覚悟しなさい」


 ちょ、ちょ、ちょっと待てえええええええええええええええええええええ!!!

 この娘、何してくれちゃってんの!!?


 まだこの世界の者たちの平均的な実力は分かっていないんだぞ!

 いくらスキルが有効だとしても不用意すぎるだろう!

 それに他にもやり方はあったはずだ!

 腕を引き千切るなんて惨い!

 惨すぎる!


「早くアンドレイ様に治癒魔術をかけろ! 止血するんだ!」

「は、はい!」


 騎士の言葉でローブの男がアンドレイに駆け寄り、彼の傷口に両の手のひらを翳した。

 そこから光り輝く幾何学模様が発生し、出血を抑えていく。


 あれが魔術か。

 ……でも今はじっくり見る気にもなれん……


「女をひっ捕らえろぉおおおおおおおおおおお!!!」

     

 アンドレイの叫び声に、騎士たちが続々と剣を抜き放ちセラーラに向けた。

 それに準じて俺を取り囲む兵士も得物を構える。


「お、お、女は生かして捕えろおおおおおおおおおおお!!! あのアマぁああああああああああ! 朝昼晩と、毎日毎日毎日毎日犯し続けて生き地獄を見せてやるっ!!!」


 その言葉が耳に入った俺は、全身に巡る血が急速に頭に上っていくのをはっきりと感じ取った。


 次の瞬間、自分でも驚く速さでアンドレイの正面に移動する。


「お前、今なんて言った……?」

「へっ?」


 突如として目前に現れた俺を、アンドレイは茫然と眺めていた。

 そして俺を取り囲んでいた兵士たちも、捕縛対象がいきなり目の前から消え別の場所に現れた事で、驚愕の色を隠せず右往左往としている。


「……き、き、き、貴様ああああああ!!! こんな事をして楽に死ねると思うなよ!!!」


 我に返り激昂するアンドレイだが、俺はそれ以上に頭に来ていた。


「やかましいわ!!! セラーラを犯すだと!!? てめえ!!! 死にてえのか!!!」


 殺気が混じった怒声にアンドレイは気後れする。


「ひっ!」


 一応、言っておこう。

 俺は温厚な人間だ。

 こんなに怒ったことは、十代の頃に弟と喧嘩をした時以来だ。

 例え容姿を馬鹿にされようが、嫌がらせをされようが、我を失うほど激怒することはない。


 但し、俺の手懸けた乙女精霊に関していえば話は別。

 彼女たちを貶すことなど断じて許さん。

  

「俺が手塩にかけて育てたセラーラを、てめえは難癖つけて攫おうとしやがっただろうが!!!」


 考えれば考えるほど、アンドレイに対しての怒りが増していき、我慢できなくなった俺はついつい手を出してしまった。

 平手で彼の頬を思いっきり引っ叩いたのだ。


 しかしそれが、想定外の結果を招く事となる。 


――パァアアアン――


 小気味よい音と共に、花火のごとくアンドレイの頭が爆散した。


「は?」


 頭を失った首からは、噴水のように血が噴き出す。 


 数秒後、物言わぬ胴体はその場にどさりと倒れ、流れ出る大量の血で血溜まりを作っていった。


「……」

「……」

「……」 


 この場にいる誰もが、あってはならない光景に固まっている。


 え……? 

 なんで……? 

 なんで今のでああなるの……?


「……主様が私のことを、こんなにも想っていただなんて……セラーラは幸せ者です……」

 

 何時の間にかセラーラが傍にいた。

 彼女は俺の胸に両手を付けて、桜色に頬を染ながら上目遣いでうっとりと見ている。


「……お前ら……自分たちがどれほどの事態を引き起こしたのか分かっているのか……」


 騎士の一人が青褪めた顔で口を開いた。


 しかし俺は、先ほどの出来事で頭が一杯となっており、周りの言葉が耳に入らない。


 ……な、なんであれだけで死ぬの?

 ……しかも叩いた感触が、水風船が弾けたみたい……な……?


 そんな俺を置いといて、セラーラは騎士たちを睥睨する。


「今のを見て分かったでしょう。主様はあなた方を許しません。それでも慈悲深き主様は、痛みを感じさせず一瞬で殺して差し上げました。私も主様と同様に、あなた方に苦痛を与えず処分して差し上げましょう」


 そう述べた彼女は何を思ったのか、法衣の裾を捲り始めた。


「え……?」


 美しく艶めかしい腿が顕れて、騎士たちの目を釘付けにする。

 と思ったのも束の間で、セラーラは法衣の下からとんでもないものを取り出した。


 それは鉄の棒先に刺鉄球が付いた武器、メイス型のモーニングスターである。


「な!?」

 

 驚愕した騎士たちはセラーラの魅了から解き放たれた。


「全員!!! 構えろ!!!」


 物恐ろし気な武器に危機感を感じ、全員が一斉に臨戦態勢をとる。


「いいか!!! このままこいつらを逃がしたら、俺たちがドミナンテ様に縛り首にされる!!! 殺しても構わん!!! 絶対にここで仕留めろ!!!」


 騎士たちはじりじりと間合いを詰めた。


「掛かれ!!!」

 

 怒号と共に、全員が襲い掛かる。


「遅いです」


 セラーラは一番近くまで肉薄していた騎士に、軽々とモーニングスターを振るった。


「ぐぎゃえ!」


 棘鉄球の部分が騎士の胴に食い込む。

 それもでモーニングスターの勢いが衰えることはなく、胴体だけを吹き飛ばして中に詰まった臓器をぶちまけた。


「なっ!!?」


 あらぬ惨事に騎士たちは蹈鞴を踏んで立ち止まる。


「どうしたのです。来ないのですか? ならばこちらから行かせていただきます」


 そこからセラーラによる殺戮が始まった。

 容赦なくモーニングスターを振り回して一人、また一人と撲殺していく。


 そんな惨劇の合間でも、俺は不可抗力で殺してしまったアンドレイを蘇生させようと知恵を絞っていた。

 こいつを生き返らせなければ、俺たちはこの領地で大手を振って歩けない。

 

 セラーラに蘇生スキルを使わせる手もあったが、あれをアンドレイみたいなクズに施すのは憚られた。

 となると、試しがてらにこれを使うか。


 手に持つのは楕円形の透明な宝石。

 これは【甦りの秘石】と言い、乙女精霊サーガでの蘇生アイテムである。

 使いどころは戦闘中に再起不能となった場合であるが、一つだけ条件が設定されていた。

 それは【甦りの秘石】ひとつに付き、百人のプレイヤーを倒さなければ使えない仕様になっていのだ。


 詳しく説明すると、透明な石の中には分数が告示されており、一人のプレイヤーを倒せば百分の一、二人倒せば百分の二と分子が変化する。

 これが百分の百ともなれば、秘石自体が琥珀色に変色し、使用条件を満たしているとプレイヤーに報る仕様となっていた。


 俺はこの【甦りの秘石】を大量に持っており、すべてを琥珀色にしてある。


 ……筈であった……

 

 どう言う訳か、俺が所有する在庫目録インベントリ内の【甦りの秘石】は全て透明になっていたのだ。

 

 ……世界が変わったから、命の価値も変わったのか……?


 そんな事を考えながら、俺は秘石の分数を見る。

 

 ……はい?


 そこに告示されていた分母は到底受け入れ難い数値であり、百万分の十五と示されていた。


 ……ひゃ、百万……?

 何なの? ……このデタラメな数字……

 あんなクズを助けるために百万人を犠牲にする?

 ないないない、ありえない。 

 よし、アンドレイは死んだままでオーケー。


 結論が出た俺は現実に意識を向けるが、さっそく逃避に走りたくなる。

 

「……すごい血の海なんですけど……」


 二十名近くいた騎士と兵士が、今やたった一人となっていた。


 あ、秘石の数値が百万分の十八になってる。


「殺さないでくれよおおおおおおお!」


 最後の一人はアンドレイに治癒魔術を行使していた男であり、石畳にへたり込んで失禁している。


「お願いです!!! 助けてください!!!」


 魔術師の男は嘆願するも、セラーラは容赦なく宣告した。


「一人だけ逃げのびようだなんて感心しません」


 モーニングスターが容赦なく振り下ろされる。


「ヴぇべぇっ!!!」


 棘鉄球が魔術師の頭蓋を砕き、脳を破壊して首を潰した。


「これで皆さん、仲良くあの世に行かれました」


 セラーラは首から胴に埋まりこんだモーニングスターを抜くと、屈託のない笑みを俺に向ける。


「主様、お掃除が終わりました」


 彼女が纏う純白の法衣は返り血で真っ赤に染まっており、俺は頬を引き攣らせることしかできなかった。


 周りの群衆もドン引きして逃げ出すのかと思っていたが、彼等は予想だにしない行動を取る。

 皆が跪き両手を組んで、祈るような仕草をしていたのだ。


「……せ、聖女様だ……」

「……撲殺聖女様……」

「おお! 撲殺聖女様!」

「撲殺聖女様!!!」「撲殺聖女様!!!」「撲殺聖女様!!!」


 誰が言い出したのか分からないが、広場は撲殺聖女コール一色に包まれた。


「……理解が追い付かん……」


 居た堪れなくなった俺は、すぐさまセラーラを小脇に抱え、背嚢を担ぐと一目散にその場から逃げ出すのであった。





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