呪いの絵馬を楠木(くすのき)に打ち付ける女

 私が 武蔵野で有名な深大寺にお邪魔したときの話です。(深大寺恋物語じんだいじこいものがたりという短編の賞があるので、そのためにお邪魔しました)


 知る人ぞ 知る 私の最後の恋人、ザビエルさんと別れたばかりで(ちなみに、今では 良い友人です)


 私はネタ帳を持って 武蔵野付近むさしのふきんを ウロウロしていました。


 神代植物公園かみしろしょくぶつこうえん


 それに


 蕎麦そばく水車小屋やら


 甘味屋かんみや、美味しそうな出店


 など


 色々回って最後に夕方になって人影ひとかげまばらになった深大寺の境内けいだいに戻ってきました。


 そして、そういや、絵馬えま書いてないやー なんか 書こうかなー あー 早くしないと 社殿しゃでんが閉まってしまうしなあー


 なんて、思いながら 何気なく絵馬を見ました


 志望校しぼうこうに合格しますように!


 とか


 父の病気を治して下さい


 とか……


 うちの、っている猫を どうかどうか お助け下さい


 など。


 私がもし神様ならば 叶えてあげたい絵馬の数々を見て回っていると、浅黒あさぐろい木の絵馬を一枚 見つけました


 私は 視力しりょくが良いので(左目は1.5あります)、その絵馬を見遣みやりました……


 すると


しゅうとめの浅野(仮名)が死にますように」


 と、そこには 書いてありました。


 カラン、と 音がしました。


 私がボールペン(Dr.グリ○プ)を落とした音でした。


 はっ と しました。


 いつの間にか辺りは夕闇ゆうやみに包まれていて、居るのは私一人だけ。


 やばい。


 ヤバい、やばい。 何がやばいって、このタイミングで これ を 見つけてしまったことが やばい。


 古語だと やばいは 『矢張い』 と 書きます。


 要は 自分を 矢で貫いてみよ! という 挑発行為ちょうはつこうい


 決して 口にしては いけない 禁句タブー……tabooなのです。


 気がつくと ふくろうか 木兎みみずくの 鳴く声まで 聴こえてくる始末。


 時計を 見ると もう19時半でした。


 まずい…… 逃げないと。


 そう。浅黒い絵馬は一つでは、ありませんでした。


『浅野が死なない 何故なぜ 死なない?』


『浅野め……にくい 憎い 憎い』


『もうすぐ 古希こき だ。 その前に』


ね死ね死ね死ね 浅野死ね』 


 冷や汗が ひたいをつうっと つたいました。


 私はきびすを、返そうとして……気付きました。


 かあん…… かあん……


 階段かいだんのぼりする音? いや、違う。


 気付くと 小さな ほむらが 二つ 見えました。


 神楽舞かぶらまいの わけ が ない!


 こんな時間に神楽舞を奉納ほうのうするなんて情報は公式サイトには、絶対なかったはずだ!


 自分の呼吸こきゅうが浅く 短く なる のを 感じましたが、いや、逆に。


 私は覚悟かくごを 決めました。


 研ぎ澄ませとぎすませ 五感ごかん


 目を 耳を 鼻を 舌を 直感を


 私は ハタヨガ初心者用ヨガ習得しゅうとくした 呼吸法こきゅうほうを 使いました


 目をつむって フーっと 無音むおん で 息をき その場にとどまる。


 そうすれば 哺乳類ほにゅうるいである人間の目だろうが夜目が 少しは 利くはず


 ぱっ と 目を開けると 飛び込んできたのは鮮烈せんれつあか


 一人の女が 緋色ひいろ死装束しにしょうぞくのようなものを着て、まじわい? 祝詞のりと の 正反対 のような 禍々まがまがしさを放つ 何かを 唱えていました


 左手には太い釘…… 初めて見たが 五寸釘ごすんくぎ というより 八寸釘はっすんくぎ くらいに 太く 長く 見えました。


 何かの花の香りがしました。サボテンの花……月下美人げっかびじんのような。

 しかし、それさえ 今は それに 獣脂じゅうしを混ぜ込んだような 生臭なまぐさい 匂い が 混じっています


 怖がるな


 高校生のときに母にすすめられて合気道あいきどうを 三年習った


 ヨガは 二十年近く


 気功きこう も 練功十八功れんこうじゅうはちこうも 二年はやった


 勝てない相手ではない!


 勇気を出せ! なんのために習った護身術ごしんじゅつだ!


 痩せた 女 が 瘦區そうくを 曲げて 痛々しい嗚咽おえつをあげます。


 ……主人しゅじんが死んだのは お前のせいだ


 カン!


 お前がいなければ……! 浅野はまだ生きていた!


 カン!


 お前さえ、お前さえ、居なければ……!


 血をくような 絞り出すような 苦しげな声。


 ふと、祖母の声が 耳をよぎります。


「いい、真世。 お前に 一つだけ 邪法じゃほうを さずける 人の寿命をうばい 浄化じょうかし、 自分の ものにするワザだ」


 え? よみがえる いとけない 自分の声。


地球ちきゅう は 今 人類 に 対して 怒っている。だから 普段ふだんは 地球 の マグマ から エネルギーを 分けてもらう わざを 教えている」


「うん! ちゃんと 毎日まいにち……やってるよ! 紅玉ルビーみたいなきらきらが足から入ってくることをイメージして、それが、碧玉エメラルド蒼玉サファイアみたいなきらきらになるようにねんじるんだよね」


 祖母は 私をいい子良い子 するように 撫でました。


「邪法は 禍々まがまがしい ものから 黒いきりを吸い取って、光り輝く白玉ダイアのような光を放つイメージで……」


 私は はっ と しました!


 いつの間にか 若いような、しかし、老婆ろうばのように見える 細い身体の その女が 血走ちばしった目を 私に向けていました。


 眼球がんきゅうは うみを持ったように 黄色きいろにごり、手や足には青白い血管けっかんいて見えました。


 私は思わず息を飲み 睨み合いにらみあいが続きましたが、女は くるり と 楠木くすのきに 向かい、無言で 浅黒い 絵馬を 八寸釘 で 打ち付け続けました。


 私のことなど歯牙しがにも かけない、と 言ったように。


 私はじりじりと後退こうたいし、ある地点でパッと駆け出しかけだしました。


 まるで 夜を駆ける兎よるをかけるうさぎのように、我ながらすさまじいスピードで後ろを振り返らずに 時には 木の根を かわし、石が敷き詰められた 場所を 飛石とびいしでも するかのように ちょうのように ひらり ひらり と。


 そして タクシー乗り場まで たどり着くと、大急ぎで立川たちかわのタクシー会社に 電話を掛けました。


「す、すいません! 私 立川の市役所しやくしょつとめております 福倉 真世 と 言う者ですが、深大寺じんだいじのタクシー乗場のりばまで 来ていただくことは可能でしょうか」


 ぜいぜい、という 呼吸音 が こえたのか、タクシー会社の方が息を呑むのが 分かりました


「大丈夫ですか⁈」


「大丈夫です。 喘息ぜんそくがあるだけです。 同僚どうりょうも まだ残業を している時間ですから……」


 私は 御守おまもり代わりに持っていた 準公務員時代の 名刺を 握りつぶさぬよう 細心の注意を払って 取り出しました。


 指先ゆびさきが カタカタカタカタ ふるえていました。


 震え止めの 錠剤じょうざい 御守り代わりにおまもりがわりに持っていた 咳止せきどめを 自動販売機で売っていた温かいお茶で流し込んで、私はタクシーが到着するのを待ちました。


 スマホの充電は50%。私は即座にスマホを節電モードに切り替えて、


 すると、またもや 私の頭の中に響く 祖母の声。


『今はダメ。あんたは力を使い果たして 死にかけている。私がアンタの記憶を封印する』


 『封印?』


 幻聴げんちょうだったら嫌だなあ、と思いながら私は、つらつらとスマホを閉じて、頭の中の祖母と対話を続けます。


 『今は夏だ。なのに、お前はものすごく寒くて震えている。冷や汗もかいている。つまり、寿命じゅみょうを削った、ということだ。正確に言うと削り続けている』


 『えっ!? どうしたら……』


 『お前は、優しいから、あの鬼のような女に同情もしているだろう。可哀そうだ、哀れだと思ってはいないか?』


 『……怖い、と思ったけれど、確かに言われみれば……』


 『同情する必要は一切ない。人を呪わば穴二つ。あの女は間もなく死ぬ。 だが、邪法じゃほうを使うことを許可する。あの女の禍々しい気を吸い取って、ダイアのような光に変えなさい。あと、いま私が言う神様の名を心の中で三回繰り返しなさい』


 『……やってみる』


 私はすう、と息を吸い込みました。圧倒的あっとうてきな闇の圧力をふぅーーーと吸い込むようにして、きらきらしたラメ色の明るい光に変える。


 『ん、なんか、落ち着いて? きた?」


 『じゃあ、神の真名まなさずける。コノハノサクヤヒメ』


 『こ、木の葉のさくや姫? なにそれ』


 『意味や名前について考えをせるのは後だ。とにかく三回心の中で唱えなさい』


 『わ、わかった。こ、コノハノサクヤヒメ……コノハノサクヤヒメ……!木の葉のさくや姫!!』


 ふわ 


 ん?


 なんだろう、今、桜の花びらが、舞い散ったような気配が……


 『あんた、桜茶さくらちゃ好きだっただろう? 桜の香料を用いた紅茶や緑茶もいつも買っているよね』


 『うん……』


 『その香り、思い出せるかい?』


 『……思い出せる』


 『明日には、お前はこのことを夢だとおもって忘れている。でも、いつか必要になったとき、思い出す。私が思い出させる』


 『えっ こんな怖いこと……忘れられるかなあ?』


そのとき、タクシー乗り場に黄色いタクシーが一台 さっと滑り込んできました。


車のライトに照らされて私はやっと人心地(ひとごこち)付きました。


タクシーはゆっくりとバックして、運転手さんが、私に『大丈夫ですか?』というような視線を向けたので、私はゆっくりと頷きました。


ドアが開いたので乗り込むと、運転手さんは「顔が真っ白ですが、大丈夫ですか?」

と私を慮るように言いました。


私は「大丈夫です」とだけ言って、精神安定剤を一錠だけ取り出して、ゆっくりと熱いお茶で飲み下しました。


「立川までは、道路が混んでいるから、20分くらいかかるかな。メーター倒しておきますから、休んでいてくださいね」


私はご厚意に甘えることにしました。小さなピンク色の錠剤はてきめんに利き、疲れもあったのでしょう。私はゆっくり、眠りに落ちていきました。


……夢の中に、あの鬼のような女が出てきました。ただ、事実と違うのは、その女が絵馬に釘を打ち付けているだけではなかったこと。


女は浅黒い絵馬に手をかざし、左手を縫い留めるように槌を振るったのです。八寸釘が女の手を貫き、鮮血が迸りました。


「ふふっ」


痛みなど無いかのように、女は笑います。


「これでこれでこれで願いが叶う、かなうはずだ。浅野は死ぬ。夫のかたきである、義母が死ぬ。やった! やったぞ!!」


そして、頭に灯している二本の蝋燭ろうそくの火が、その血のくれないを照らし出します。

--

実はもう亡くなったうちの祖母には少し、不思議な力がありました。

今なら、気功とでも言うのでしょうか。


例えば、ウオノメを手をかざすだけで治したり、子供を授からないという女性のお腹に手を当てたりすると、コウノトリが来たり。

子供の手に筆で文字を書いて、疳の虫、という白いニョロニョロを出すこともできました。

霊感のようなものもあって、あの人にはお殿様がついてるねぇ、などと呑気な調子で怖いことを言っていた記憶があります。


 私も時たま恐ろしいものに出会いますが、それは祖母--魔女の孫だからなのでしょうか? それとも単なる幻視? 幻聴? 夢なのでしょうか。


 すべては藪の中。謎のままなのです。

(了)

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