第11話 今まで見た中で、一番恐ろしかったもの
皆さんは、夜中に突然、プリンが食べたくなったことはありませんか?
(プリンでなくても、ポテトチップでも、ラーメンでもなんでもいいのですが)
だけど、家にはお目当てのものがない。そんなときってどうしていますか?
以前の私は、欲望に忠実に、何が何でもお目当てのものを手に入れ、食する派でした。夜中に食べると太る? しゃらくせえ。なら、その分、運動するわ。食べたいものは食べたいときに食べるのがいちばん美味しいのだ……という信念を突き通していました。
でも、今の私はそれが『夜中』なら、諦めることにしています。
今回、語るのはそのきっかけになった出来事です。
その夜、両親は温泉旅行に出かけていて、私は犬のマロンと留守番をしていました。当時住んでいたところは、都内にしてはちょっと不便な場所で、コンビニまで徒歩10分ぐらい、最寄りの24時間営業のスーパーマーケットまでは徒歩20分ぐらいかかりました。
夜中に猛烈に『明治の焼きプリン』が食べたくなった私はこたつの裾で丸まっているマロンの頭を撫でて、「ちょっと行ってくるねー」と言いました。マロンは薄く目を開いて、すん、と鼻を鳴らしました。危ないかもしれないので、一応こたつのスイッチを切り、ガスの火が消えているか、確認してから私はダウンコートを着て外に出ました。鍵はツーロック。ちゃんと施錠しました。時刻は午前一時四十分過ぎ。両親がいたら、間違いなく外出を咎められる時間です。いなくてラッキー、とその時は思いました。
外に出てマンションのエントランスを通ると、そこはひっそりと静まり返って、管理人さんが飾ったであろうクリスマスツリーのライトだけがキラキラ光っていました。
人気のない道を、最初は最寄りのコンビニに向かって歩き出しました。寒風が吹き荒ぶ中、コートの襟をきゅっと合わせて。ああ、もう一年が終わるんだなあ、と思いながら。今年は、いや今年も独りか……。なんて思いながら。
長年付き合っていた恋人と別れて、三年が経っていました。クリスマス、お正月など年末年始はいい年をした独り身には、なかなか肩身が狭い、きついイベントが続く季節でもあるのです。
夜中のコンビニは、しんとしていました。留学生と思しき店員さんはやる気なさそうに検品作業らしいことをしていました。
デザートが並べられているコーナーに行ってみましたが、定番商品であるはずの、明治のプリンは品切れでした。コンビニブランドのプリンやヤマザキのプリンアラモードなんかは売っているので、それで妥協する、という手もありましたが、せっかくこここまで来たのだから、食べたいものを食べたいという気持ちに突き動かされて、私はもっと歩いて、24時間営業のスーパーマーケットまで行くことにしました。年末で運動不足なこともあり、もうちょっと歩きたい気持ちもあったのだと思います。
夜中の真っ暗い道。街灯や、街路樹を彩るクリスマスのイルミネーションに照らされて、私はたまに携帯電話をいじりながらとことこと歩いていきました。寒いは寒いのですが、早足で歩いているからでしょうか。不思議と身体は温まっていました。
午前二時過ぎのスーパーマーケットは、防犯面からか、一番大きな表通りに面した入口以外の出入り口を封鎖していました。いつも使っている入口が使えなかったので遠回りして、正面入り口から中に入ると、セルフレジは稼働していましたが、有人レジには鎖がかけられていました。営業しているのだから、どこかには店員がいるはずですが、広い店内にはパッと見、誰の姿もありません。お客もどうやら私一人のようです。
煌々とした明かりの中、山のように陳列された商品たちだけが私を歓迎してくれているようでした。私はなんだか非現実に迷い込んだような気分で真夜中のスーパーマーケットに踏み込みました。
デザート売り場でお目当ての明治のプリンを見つけ、私はほっと胸を撫でおろしました。
プリンをかごの中にいれて、セルフレジに向かう前に、そうだ、マロンにも、お土産を買っていこうかな、などと思い立った私は、スーパーマーケットの中でも奥の方にある棚に向かって歩き出しました。
そのとき、デザートコーナーやセルフレジからは死角になっている棚と棚の間にある通路に、『何か』が立っていることに気が付きました。
『誰か』では、ありません。『何か』としか形容しがたいものでした。
確かに『それ』は、人の形はしていました。でも『それ』を『人』と呼んでいいのか……。白い女性服を着ているようにも見えますが、細い女性のフォルムをした体に白い包帯がぴっちりと、幾重にも巻かれていているだけのようにも見えます。はっきりと言えないのは、あまりにも『それ』が異形すぎて、怖すぎて、直視できないからです。
『それ』は、つば広の、ドライ・フラワーをあしらった女性ものの帽子を被っていました。特徴的なのは目の部分です。そこには通常の目はありません。代わりにあるのは、機械式のスコープのようなもの……ロボコップという映画に出てくる機械人間そのもののように、スコープの中で眼球にあたるものと思しき赤い光点が一つ、左右にゆっくり動いていました。その赤い点が動くたびにカシャカシャ音がしていました。唇は、青を通り越して真っ白に見えました。
『それ』の足元に目を移すと、ハイヒールを履いているのですが、直径一メートルぐらいの血だまりが出来ていました。
繰り返しになりますが、怖すぎて、『それ』に認識されたら取り返しのつかない何かが起こりそうできちんとは見れなかったのですが、どうやら目の、スコープのような部分からひっきりなしに血が垂れているようです。足元の血だまりにぴちょんぴちょんと新しい血のしずくが供給されていきます。
見た時思ったのは、集英社のHUNTER×HUNTERという漫画に出てくる、キルアというキャラクターの母親にそっくりだ、ということです。
あ、きっと私は夢の中にいるんだ、HUNTER×HUNTER好きだから、こんなのを見ているんだ、と私は思おうとしました。
でも、夢の中なら出来るであろう大胆な行動を私はとることが出来ません。見てはいけないものを見ている、という自覚がありました。今まで私が視たものの中でも多分、トップクラスに危険なものだという予感がしました。冷や汗、というものを私は生れてはじめてかきました。暑くもないのに、こめかみから汗が一筋、私の頬を伝ったのがわかりました。
肉食獣に遭遇したときの草食獣の気持ちがわかる気がしました。
全力で逃げたい気持ちを抑えて、私は不自然でないよう、ペットフードや犬のおやつが置いてあるゾーンに向かいました。『それ』の目の前でいきなり踵を返すのは不自然だからです。まるで何も見えていないように振る舞いました。私が通路にいる『それ』の前を通り過ぎるとき、カシャカシャと音がして、赤く光る『それ』の目の部分が私を捉えていることが感じられ、泣きたいような気持ちになりました。何でこんな時間に外出したのか、私は猛烈に後悔しながら、マロンの好きな銘柄のジャーキーを震える手に取ってセルフレジに向かいました。
プリンとマロンのおやつの会計を終えてスーパーマーケットの外に出て……本当はタクシーを拾いたくてたまらなかったったのですが、時間も時間だし、駅前でもないので、人どころか車もほとんど通っていませんでした。走りだして帰りたい気持ちもあったのですが、まだ油断は出来ない、と思いました。私はあくまで不自然でないよう、来た道と同じくらいの早足で帰路につきました。
家にたどりつくまでの途上、足元がふわふわとしたような変な感覚がありました。多分あまりの恐怖で少しおかしくなっていたのだと思います。家までの道のりをものすごく長く感じました。山登りのときだって、あんなに目的地にたどりつくのを待ちわびることはないでしょう。
一度も後ろを振り返らず、マンションにたどりつき、エントランスで光るクリスマスツリーに再会したとき、ちょっとだけほっとしましたが、気をゆるめずに私はエレベーターではなく階段を使いました。逃れられない閉鎖空間に入るのは危険な気がしたのです。
ドアを開け、玄関に入ると、犬のマロンがお帰りを言うように、まっしぐらに私めがけてすっ飛んできました。その小さな、温かい身体を抱きしめると、私の目からじんわりと涙がにじんでくるのがわかりました。ピンク色の薄い舌が冷たくなった私の頬を舐めまわしてくれます。ああ、マロンがいてくれて良かった、と私は心から思いました。そうでなかったら、私は一人きりで『あれ』におびえながら、長い夜が明けるのを待たなくてはいけないところでした。
マロンにおやつはあげましたが、プリンを食べる気はすっかり失せていたので、冷蔵庫にしまって、その夜は明かりをつけたまま、眠りにつきました。
翌日、昨日あったことは夢なのかな、と改めて思いながら冷蔵庫を開けると、証拠品のように明治のプリンがありました。
それからは、どんなことがあっても、夜中の一人での外出は控えていますし、丑三つ時、と言われる時間には特に気をつけるようにしています。
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