居酒屋地麦

 武道場があるスポーツセンターから約五分ほど歩くと一軒の居酒屋が見えてきた。

 ”居酒屋地麦”と看板にある。

 少し古びてはいるが、自宅を改装したような個人経営のお店らしい。

「俺たちは稽古が終わるといつもこの地麦じむぎに寄るのさ。ここで練習の反省をしたり日本の問題点を議論するんだ。ウソじゃないぞ」

 店の前で黒田が尚志に説明した。

 どこか言い訳がましく聞こえ、尚志は内心笑ってしまった。


 店に入ると中央のテーブルに『蒼天会そうてんかい様ご予約席』という手作りのプレートが置いてあった。

「今日は遅かったじゃないの。来ないかと思ったよ」

 白いタオルを頭に巻いたひげもじゃのマスターらしき男が言った。

「さっきまで公園で花見をしていたのさ。悪い悪い。そのかわり有望な新人を連れて来た」

 黒田が誇らしげに言った。

「おお、でっかいね。さあ、ウチの酒と料理は美味いから思う存分食ってくれ」

 マスターは尚志を見ながら言った。

「はい、今日は黒田さんのおごりなので遠慮なくいただきます」

 尚志も真面目な顔をして言った。

「なかなか言うじゃないか。よし、今夜は大いに飲み大いに食おう」

 黒田も苦笑いして言った。


 テーブルに着くと各々が好き勝手にお酒やツマミを注文したので尚志もウーロン茶を頼んだ。

「おっ! 尚志は下戸か?」

 黒田が言った。

「いえ、明日も朝早くからバイトなもんで。飲めないわけじゃないです」

 尚志が答えた。


「バイト? 尚志はいわゆるフリーターってやつか」

 と伊勢が言った。

「ええ、去年から就職浪人です」

 尚志が答えるとお酒とツマミがテーブルに運ばれてきた。

「先ずは乾杯しよう。天下御免の就職浪人、尚志にカンパ~イッ!」

「「「カンパ~イッ!」」」

 黒田が乾杯の音頭を取り、男たちの野太い声が居酒屋に響き渡った。


 それから尚志は聞かれるがままに、自分の境遇を隠さず話した。

「就職浪人なんて今どき呑気というか豪気というか。俺も冗談をよく言うけど君は存在自体が冗談みたいなもんだ。まあ次の試験は受かるといいね」

 佐嶋が適当に励ました。

「イヤイヤ、落ちてよかったんだよ。俺ァ警察なんて大っきらいだ。よかったな、警察官なんかにならなくって」

 そう言った黒田はかなり酔いが回っているらしく、顔が赤くなっている。

 よほど警察に嫌な思いがあるのだろう。

「とんでもない。初志貫徹しますよ。親友との約束も果たさないと。石にかじりついてでも警察官になってみせます」

 尚志は興奮して言った。

「確か帝海ていかい大だっけ。柔道が強いんだよな、あそこは。尚志もあの金メダリスト達から柔道を習ったのか?」

 伊勢が訊いた。

「いえ、必修の体育では柔道か剣道を選択するんですけど、柔道はあの有名なごっつい山上が教えると聞いて怖くなって剣道にしました」

「ワッハッハ、しょうがねえ奴だ」

「イッヒッヒ」

「へっへっへ」

 男たちの野太い笑い声が居酒屋に響き渡った。


「つまり尚志に言いたいのは一つだけ。次から俺たちと一緒に自主稽古をしよう、な」

 黒田の言葉に佐嶋と伊勢もウンウンとうなずいた。

「巨漢相手なら思いっきりやれるし」

 佐嶋が続けた。

「他のグループも自主稽古しているけど、へっ! あんなへっぽこ共じゃ尚志を持て余すだけさ」

 伊勢も続けた。


「それはこちらからお願いしたかったくらいです。ようやく稽古にも慣れ体力もついてきました。ただ、才川さんの自主稽古にも興味があります」

「何だ、そんなことか。もうじき才川さんと堀内さんもここに来るはず。その時にお願いしてみよう。稽古が終わったらまず初めに才川さんと自主稽古。才川さんのはすぐに終わるから、その後は俺たちと稽古。それでいいじゃないか」

「はあ」

 黒田の提案に尚志はうなずいた。

「で、その後は俺と実戦的な自主稽古をやろう。さっきの借りも返したいしな。へっへっへ」

 笑いながら伊勢が言った。

「こりゃ大変だ。尚志が強くなっちまうぞ。ワッハッハ」

「イッヒッヒ」

「へっへっへ」

 男たちの野太い笑い声が再び居酒屋に響き渡った。

 彼らの笑い声は酒なんかよりも遥かに確実に尚志を酔わせた。

 こんな自分でも強くなれるかも、と夢想すると楽しく愉快でたまらなくなってきた。

「ダハハハ」

 尚志も腹の底から大いに笑った。

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