お花見をしましょう

「この後は下の公園で毎年恒例のお花見をします。もちろん食べ物もお酒も用意してあります。お金は会費から賄っているので参加しないと損しますよ。さあ、ぜひとも夜桜を楽しみましょう(微笑)」

 稽古終わりに大岩鉄之進宗師おおいわてつのしんそうしが弟子たちに向かって言った。

 

 南郷尚志なみさとひさしは迷った。

 未だ、道場に親しい仲間もいないし何より疲れている。

 だがここに来る途中の桜は満開で今が見頃。

 もしかしたら、一緒に自主稽古できるような仲間が出来るかもしれない。

 そう考え直し、結局は参加することにした。


 公園に備え付けのテーブルには缶ビールやワイン、日本酒、おにぎりやサンドイッチなどが用意されていた。

 すでに酔っ払っている弟子も何人かいた。

 いつの間にかお花見が始まっているのは蒼天会そうてんかいらしかった。


 尚志は缶ビールを片手に一人で夜桜に見蕩れていた。

 <ああ、綺麗だなぁ。春の夜風が火照った体に気持ちいい。桜吹雪が舞っているよ。ビールもサイコー。実にこういうのを春爛漫というんだな>


「お疲れさん」

 ウットリしていた尚志は、不意に誰かに話しかけられた。

 声をかけた人物はソフトなパンチパーマ、すなわち黒田くろだだった。

 彼は笑いながら尚志に右手を差し出して来たので尚志も右手を出し握手をした。


「確か君は南郷なんごうくんでいいんだよね?」

「いえ、南郷と書いてと読みます。よく間違われるしややこしいので大抵の人が僕のことを”尚志ひさし”と下の名前で呼びますよ、黒田さん」

 尚志が笑顔で訂正すると黒田は”ワッハッハ”と大きな声で笑った。

 その笑い方が豪傑のようだったので、尚志もつられて笑った。


「尚志は立派な体格だね。何かやっていたのかな? 柔道とか相撲とか」

 黒田が訊いた。

「いえ、とんでもない。食っちゃ寝していたらいつの間にかこんな体格になってしまって。なので武道もこの大東流だいとうりゅうが初めてです。武道や格闘技なんておっかなくってとてもとても。だけどこの蒼天会なら僕でもやってけそうなので入門しました」

 尚志が答えると、

「ワッハッハ! 隠さなくったって大丈夫だ。まあ、そういうことにしておこう」

 尚志の背中を叩きながら黒田はご機嫌だった。


「ところでなぜ尚志は自主稽古をしないですぐに帰ってしまうんだ? もったいない」

「その、自分は虚弱体質なものでして」

「ワッハッハ! その体格で虚弱だと! なかなか面白い冗談を言うじゃないか。ワッハッハ!」

 再び黒田は尚志の背中をバンバンと叩いた。

 もちろん尚志は冗談なんか言った覚えはない。

 稽古についていくだけで必死なのだから。


「君のことはあの才川さいかわさんが誉めていたぞ。『ボロボロになっても俺の技を逃げないで受け止める。喰らいついて来る。俺の列に毎回並んでガッツがある』って。ありゃ鍛えれば強くなる、とも言っていた。滅多に人を誉めない才川さんが、だ」

 尚志にしてみれば、そんなことで誉められるとは思いもしなかった。

 ただ他の列に並ぶと、技の効かなさに失望するので才川の技しか受けたくはなかっただけなのに。


 ふと気になって才川の姿を探してみると、ビールを片手に大岩と談笑していた。もちろん才川に惚れ込んでいるらしい茶帯の堀内ほりうちも一緒であった。


「才川さんは独特の雰囲気がありますよね。カリスマというか孤高の人というか」

 尚志は才川を話題にした。

「ああ、大きな声じゃ言えないけどあの人は右翼だからな」

「右翼ッ!?」

「シィッ! 声が大きい。一応は秘密になっている。右翼つってもちゃんとした右翼だから大丈夫だ。怖がることはない」

「ちゃんとした右翼って言われても……」

「街宣車でがなり立てるような輩とは格が違うってことさ」

 しかし尚志が思い描く右翼とはまさに特攻服を来て街宣車で軍歌を流すような手合いだった。


「でもどうして才川さんが右翼だって知ったんですか?」

 尚志は訊いた。

「ああ、何年か前にに出席したらたまたま才川さんもそこにいたんだ。そこで色々お互いの事を話してわかりあったんだ。そういや才川さんは披露宴の余興で弟子相手に演武をしていたら金屏風を倒しそうになって焦ってたな。いや、あん時ゃ笑った笑った。ワッハッハ」

 黒田は気が緩んだのか、大きな声で楽しそうに答えた。


 そうなると、この黒田は一体何をやっている人なんだろうか。

 カタギっぽくはないけどアウトローという感じでもない。

 ただ、確実に何らかの組織を率いていそうな器はありそうではある。

「あの、裏の世界の結婚式に出席されたそうですが、そうなると黒田さんも裏の世界の人間なんですか?」

 黒田の機嫌が良さそうだったので、尚志はデリケートだが気になる事を思い切って訊いてみた。


「そうだ、黒田さんもほぼ右翼みたいなもんだからなかなかいいトコを突いてるぞ、青年よ。イッヒッヒ」

 突然、後ろから声をかけてきたのは五分刈りの男。

 彼は確か佐嶋さじまという名前のはず。

「失礼だな。俺は右翼じゃない。超右翼だ! 間違えてはダメだ」

 黒田は笑いながら否定した。


「ええ、わかってますよ。黒田さんは本当はただの土建屋の社長だってのを。へっへっへ」

 いつの間にか現れて発言したのは総髪の男。

 彼は確か伊勢いせという名前だったはず。


 気が付くと尚志は人の輪の中心に居た。

「なあ、この尚志はなかなか冗談が上手いぞ。さっきなんで自主稽古に参加しないのか、と聞いたら『僕は虚弱体質だから』と抜かしやがった。その体で虚弱? よく言うよ。ワッハッハ」

 黒田は実に楽しそうに笑った。

 佐嶋もイッヒッヒと笑い、伊勢もへっへっへと笑った。


「いえ、冗談じゃなく本当なんですって。僕は無駄に図体が大きいだけなんです」

「ウソだァ~ッ。本当は相撲部屋からスカウトが来てたりしてたんじゃないの、尚志青年よ」

 佐嶋が言った。

「こんだけデカければ武勇伝の一つや二つはあるんじゃないの? ちょっと聞いてみたいな。さあ話してみなよ」

 伊勢がいかにも興味津々といった様子で言った。

「そうですね、運動会の組体操でピラミッドをやらされた時はいつも一番下の段でした」

 尚志が大真面目な顔で言った途端、

「ワッハッハ!」

「イッヒッヒ!」

「へっへっへ!」

 尚志の周りは爆笑に包まれた。


「なあ、面白いだろう。この尚志は」

 ソフトパンチの黒田が笑いながら言った。

「いやあ、蒼天会で一番笑いを取れる僕よりも面白いなんて。こりゃマイッタ」

 五分刈りの佐嶋も笑顔で言った。

「うん、よく同じ列で稽古をしているから冗談じゃないのは本当だろう。尚志の動きは素人同然だしな。だけどそれはそれとして……」

 総髪の伊勢はそう言うやいなや、いきなり尚志に殴りかかってきた。


「ウッ、いきなり何を!」

 伊勢のパンチを何とか防いだ尚志は叫んだ。

「へっへっへ。尚志くらい頑丈そうな奴は身近にいなくてな。ちょっと手合わせしようぜ」

 伊勢はそう言うと尚志に対して構えた。

「いや、場をわきまえてください。ここは夜桜を愛でる所でしょ」

「本当にそうかな。周りをよく見てみな」

 伊勢の言葉通りに辺りを見回したら、弟子同士があちこちで技の掛け合いをしていた。


「ああなったら伊勢さんは止められないからな。あきらめて付き合ってやってくれ」

 黒田はニコニコしながら言った。

「小さいけど中国拳法と空手の黒帯。対するはその倍の体重はあるけど素人。これは見ものだ」

 佐嶋もビール片手に無責任な発言をした。


 伊勢はビシビシと蹴りや突きを尚志に入れてきた。

 初めは戸惑っていた尚志だが、段々と腹が立ってきた。

「ガアァァーッ!」

 尚志は雄叫びを上げるとダッシュして距離を詰めた。

 突きや蹴りを物ともせずに、伊勢を正面から抱きかかえそのままサバ折りベアハッグの体勢に。

 伊勢の体は尚志に抱きかかえられグイグイと両腕ごと締め上げられ宙に浮いた状態になっていた。

「こっ、この」

 伊勢はもがき苦しみながらも頭突きをしてくるが、尚志もお返しに頭突きをやり返した。


「よし! そこまで!」

 黒田の大きな声が響きわたり、尚志はベアハッグを解き伊勢を自由にした。

「ゲホッゲホッ」と伊勢は咳き込んでいた。

 ――パチパチパチパチパチ。

 今度は大きな拍手があちこちから聞こえてきた。

 どうやらさっきの手合わせは花見をしていた弟子たちの丁度いい肴になっていたようだ。


「どうしてどうして。口と違ってなかなかやるじゃないか。うん、気に入った。これから河岸を変えて飲み直そう。いいモンを見せてもらったから奢ってやる」

 黒田はそう言って尚志の肩にポンと手を置いた。

 その手はとても大きく暖かく、尚志はもっとこの男たちを知りたくなったので、

「では遠慮なくご馳走になります」

 とだけ言った。

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