第15話 暗中模索、五里霧中

 いつの間にやら米兵達は、バラバラとなってしまっていた。

 アメリカ陸軍の分隊十二名は、四名ずつ三チームとなっての行動を基本とする。それが逆に拙かったのだろうか?

 気づけば周囲は霧に没していて、他のチームの姿は見えなくなってしまっている。

 油断をしたら同じチームとすら、はぐれてしまえそうだ。

「この国の天候は狂ってやがる! 鬱陶しいのはジメジメした夏だけで十分だ、糞ったれ!」

「軍曹、この霧……普通じゃありませんよ、こんなに濃い霧が……それも突然……」

「だ、駄目だぁ……もうお終いだぁ……知ってるか? 第一次世界大戦のノーフォークでも霧がでて……それでイギリスの奴ら全員が戻れなか――」

 錯乱気味の叫びは、軍曹の鉄拳で遮られた。

 殴られた兵士はもちろん、なぜか制裁を加えた軍曹の方も、それで落ち着きを取り戻していた。

「馬鹿野郎! それでも誇りあるアメリカ陸軍の一員か! 俺達は、あの大戦を生き延びたんだぞ! こんな湿気で――霧なんぞで死にはせん! それとも貴様はペーパードールか!」

 その激励で軍曹直下の三名に――捜索チームの三名に闘志が戻った。

「各自、残弾数を申告!」

「……五クリップです」

「まだ八クリップあります!」

「お、俺は……あと一クリップしか……」

 彼らの使っているM1ガーランドライフルは――アメリカを勝利へ導いた傑作半自動小銃ライフルは、挿弾子クリップと呼ばれる使い捨ての器具で装填する。

 一つの挿弾子クリップは最大装弾数の八発組で、弾切れになると自動でクリップが排出され、新しくクリップごと再装填する方式だ。

 日本軍の主力は一世代前のボルトアクション式であり、アメリカとの工業生産力の違いが如実に出ている。

 しかし、その傑作すら超える全自動小銃ライフルStG44シュトゥルム・ゲーを開発している辺り、ナチスには不審な点も多い。

 ……全自動な上、装弾数三〇発の弾倉マガジン交換式だ。もう発想を段飛ばしで駆け上がっている。伊達に宇宙人が接触済みと噂をされてない。

「なんなんだ、貴様らは! やる気があるのか! 俺は九クリップだから、あー――一人六クリップとなるよう、分け直すぞ」

 この時代の兵隊は、おおよそ一〇〇発前後の銃弾を持ち歩いたというが、さすがに寝込みを襲われ万全とはいかなかったようだ。

 九死に一生とばかり弾を分けてもらったGIは、慎重に挿弾子クリップを専用のホルダーへしまう。

 その際、念入りに挿弾子クリップの埃を吹き飛ばしているのは、弾丸が剥き身で不純物が付着しやすく、それで動作不良の原因となるからだ。

 ……後年、弾倉マガジン交換式が主流となったのにも、それなりの理由はある。

「どうです、軍曹?」

「駄目だ。針が回転していて、まるで役に立たん。貴様のは?」

 軍曹が胸へ提げていた懐中時計のようなものは、軍用コンパスだった。

 しかし、不思議なことに狂ってしまっているらしい。

「俺のも駄目です。どうしてこんなことが」

 二つも腕時計をしているように見えて、うち一つはコンパスだったらしい。

 ……これはアイデア賞というべきか、それとも小型方位磁石を量産できない時代というべきか。

「こうも霧が深くて……それに暗くては、視界も。朝まで待ちますか?」

「謎の襲撃者も見失っちまった。ゼニヤッタ捜査官とガラッハ少年も心配だ。我々に待つだけの余裕は――」

 突然、どこかで銃撃音がした。

 反射的に四人は身を低くする。戦歴が魂へ焼き付けた反応だ。

「……? いまのガーランドの音じゃありませんか?」

「そうだったな。それに発砲も止まった。友軍と気付いたのか?」

「おーい、俺達だ! 聞こえたら返事をしろー!」

 だが、いくら待てども返答はない。

「くそっ! まただ! どうしてか声は届かないし、たまに聞こえて向かっても、絶対にそこにはいない!」

 絶望感が彼らを支配しだしていた。

 人は恐怖よりも、打つ手のない無力感にこそ容易く挫ける。

「だからどうした! わが軍に『大変だから、やらない』なんて言葉はない! さあ立て! 友軍を探しに行くんだ! それとも貴様らは、仲間を見捨てる糞野郎なのか!」

 軍曹の気合で――その暴言への怒りすら糧に、GI達は立ち上がって捜索を再開した。

 ……ベテラン兵の恐ろしさは、その精神力にある。



 同じく霧に惑わされたナチス達は、しかし、米兵達のような不屈の闘志を発揮できないでいた。

 ……その指揮官に――青年将校の実戦経験に差があり過ぎたからだ。

「お、俺は……俺はやれる! 命じられたんだ! 総統フィラーその人の口から! 偉大な特務を!」

 かなり追い詰められているのか親指の爪を激しく齧りながら、譫言のように繰り返すばかりだ。

 だが、それも無理はなかった。

 よくよく観察してみれば彼は、まだ二十代後半といったところで場違いなまでに若すぎる。

 ドイツが降伏して約四年、そして親衛隊将校の最低年齢は二十三歳だったというから……終戦直前の任官であり、俗にいう新人少尉だ。

「落ち着いて、レンデンシュルツ少尉! なんの問題も起きちゃいない。これから奴らを刈り取る仕事が残ってるだけだ」

 傍らの大男――右手だけ甲冑を纏った大男は、そう指揮官を慰めるも……その顔には大量の脂汗が浮かんでいた。

 さらに何かの小瓶を開けようとしていたが、右手が動くたびに――甲冑が動くたびに機械の作動音がしている! まるで機械仕掛けであるかのようだ!

 苦戦する大男を見かねた迷彩服のナチス兵士が、堪らず代わりを買って出る。

「自分がやりましょう、ウンターホーズ軍曹。何錠ですか?」

「六……いや、七錠にしてくれ。この右手は湿気に弱くてな……酷く軋んで神経に触る。お前らも良かったら、どうだ?」

 部下へも勧めながらも大男は――ウンターホーズはボリボリと錠剤を噛み砕いて嚥下していく。

 それはヒロポン――いわゆる覚醒剤だ。

「では、ご相伴に! 少尉殿も如何ですか? 眠気と疲労が吹き飛びますよ!」

 屈託なく兵士は笑う。その笑顔のどこにも影は潜んでいない。


 まるでビタミン剤か何かのような気楽さだが、この時代では普通だ。

 一部の専門家こそ問題点を知っていたが、まだ一般人は薬物乱用による弊害――麻薬中毒の危険性を認識していない。

 そして本土決戦用に大量生産した備蓄は、戦後に酒や煙草の代用品として流用された。

 また戦中から戦後を通じ、合法かつ安価に入手可能だったという。

 なんと一九四九年の時点で一錠二円前後。煙草のピースが一本五円だったというから……もう信じられない安さだ。

 さすがに危険性が知れ渡るにつれ劇薬認定こそされたが、それも四八年――三世みつよたちにとっては昨年のことでしかない。

 戦中から終戦直後にかけて、まちがいなく『覚醒剤文化』が存在したといえる。……それも全世界規模で。


「そうだな。たまにはドイツ式覚醒剤入りチョコ戦車チョコレートも悪くない……うん? 空軍用錠剤スツーカか」

「日本人から買った補給物資です。って、みんなズルいですよ! 俺にも分けてください!」

「むむ? では、残り九錠だから……仲良く三錠ずつだ」

 まるで菓子でも貰うぐらいの気楽さで、男達はウンターホーズに群がる。

 その姿からは悪の枢軸国――それも邪悪とまで忌み嫌われたナチス親衛隊のテンプレートなイメージはなかった。

 なぜなら彼らは、全員が愛国心に富む純朴な若者だ。

 それ故に困窮する祖国を立て直すべく、殉難の覚悟でナチスへ志願した。

 もちろん大戦で武運拙くドイツは敗れ去ってはいる。それを理解できない狂人でもなかった。

 しかし、だからこそ逆に彼らは、頑張らねばならないのだ! 再び窮地に陥った祖国ドイツの為に!

 彼らは永久に変わらない。変われようもなかった。その必要すら感じていない。

 なぜなら決して間違ってはおらず……その問題点を諭せる指導者も――その後継者すら喪っている。もはや未来永劫、彼らが正されることはない。

 ……永遠に間違ってはいない大義を掲げ続ける運命だ。

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