第14話 冥々の裡

 井戸を降りた先は地下道となっていた。

 それも分岐どころか十字路すらあって異常なまでに広大だ。

 光源もゼニヤッタの所持していた軍用の懐中電灯フラッシュ・ライトだけで、御世辞にも心強いとはいえない。

 その上、地下道へも霧は充満していて、視界はかなり制限されていた。

「おかしくない? もう、かなり歩いたわ。三百年以上も前に、こんなに広大で複雑な地下道を掘れたというの? 貴女方のご先祖様は!?」

「ここって、そんな前に掘られたんだ?」

 先導していた三世みつよは、興味深げに振り返った。

 それでゼニヤッタも、失言したとばかりに顔を顰める。

「なら甲州金を用意した人と、この井戸と地下道を作った人は同一人物? 少なくとも同時代の人かな?」

 三百年前というと果てしない昔に思えてしまうが……三世みつよたちからでも、まだ江戸時代だ。

 甲州金の現役だった時代まで遡るには、さらに五十から百年は必要となる。

「貴女達が『安土桃山』と呼ぶ時代ピリオドよ。私達の調査が正しければ」

 やや不機嫌そうにゼニヤッタは答え合わせへ応じた。

 つまり、いわゆる戦国三英傑――信長、秀吉、家康の時代であり、江戸時代直前の三十年間だ。

 しばらく吟味するかのように首を捻っていた三世みつよは、やにわにしゃがみ込んで地面へ『田』の文字を書いた。

「実は広くないんだ。こんな感じの地下道で、同じところをグルグル回っているだけ」

「ちょっと! 騙したの!? 時間なんて稼いで――」

「違う、違う。そういうんじゃない。狭い場所をグルグル回らせようと……広い大地下迷宮を掘ろうと……相手が迷ってくれるのなら同じでしょ?」

「でも、迷うわけないじゃない! 狭いところをグルグル回らさせられても! 妙な理屈で――」

 しかし、三世みつよの「本当にそう思う?」とばかりのニヤニヤ笑いに、ゼニヤッタは言葉を失った。

「本当に不思議なことを起こすよりも、心だけを騙す方が簡単だと思わない? この藤蔓は、本当に伸び縮みした? 誰かを縛れるほどに強靭? 実は不思議なことなんて、まったく起きてなくて……ボクらの方で勝手に勘違いしてるだけじゃない?」

 奇妙な音数律に乗った三世みつよの囁きは、ゼニヤッタの境界線をあいまいにしていく。

 不思議なことなど起きる訳がないのだから、間違っているのは観測者の方に決まっている。人は見たいように事実を捻じ曲げてしまう。奇跡だと信じる先入観が不思議を作る。心が弱っているから、霧で迷うなんて当然至極なことに神秘を見だす。この蔦だって伸びたと信じているだけで、実際に捕まえてなど――


「違うわ! 悔しいけれど、それは違った! ずっと私達は思っていたけれど……実は別の世界もあったのよ! この蔦は伸び縮みして、私が願うように動く。どうしてなのか解らないけれど!」

 ギリギリのところで混迷から立ち直ったゼニヤッタは、もう唇を噛み切らんばかりだ。

 しかし、彼女を観察していた三世みつよが歯がみせんばかりなことまでは、さすがに気付けていない。

「……だから『タケミナカタ様の藤蔓』って説明したじゃない」

「ええ、JINKIといったわよね? おそらくは貴女達にとっての聖遺物。そう考えれば、このレベルの収集品が少ないことにも説明が――」

「そそっ! 神器! ……知らないよぉ? 使!」

 常識で考えれば、なにかを動かすには燃料エネルギーが必要だ。

 けれど指摘されてゼニヤッタは、初めてそのことへ思い至ったようだった。

「この手の代物は使いすぎるとね、ヘロヘロになっちゃうんだ。それこそ、しばらくはくらい。それも神器だからね、だと思うんだけどなぁ?」

「だ、大丈夫よ! いままで……そりゃ疲れたりはしたかもしれないけど……倒れたりはしなかったし! まだ少しの間くらいなら、平気だと思うわ」

 だが、それなりに思い当たることはあったらしく、ゼニヤッタは重要な問題としたらしかった。

 それを確認した三世みつよは、ほくそ笑む。なにか狙いでもあるのだろうか?


「まあ、ボクは忠告したからね? さあ! 進もうか! 次は――こっちの道だよ!」

「それにしても不思議ね。どうして正しい道が判るの? やっぱり『匂いがする』から?」

 大人しく道案内に従いながらも、ゼニヤッタは素朴な疑問を口にした。

「いやいや! そんなの無理! まあ、確かに人よりも鼻は利く方だけど……それでも『人並』だよ」

「ふーん? うちのガラッハも……まあ、いわれてみれば『人並』ね」

「嗅覚で何かしたかったら、普通に犬でも飼った方が良いよ。動物の方がボクらより凄いから」

 ゼニヤッタは納得しかねる様子だが……もし犬並の嗅覚を持つ人間が実在したら、容易く人類の範疇を逸脱してしまう。

 犬の嗅覚を簡単に例えると限定的なテレパシーに過去視、さらには高度な医療診断能力を持ち、極めつけに臭いで文章が書けて――超高度な複合エスパーも同然だ。

 もはや通常の人類とは得られる情報量が違い過ぎて、そのメンタリティは別物も同然となるだろう。

「じゃあ、なんで道が分かるの?」

「こればっかりは信じて貰うしかないんだけど、ボクは正しい道が感覚的に分かるんだ。理屈とか、ゴールとか、理由とか……そういうのを全て吹っ飛ばして、とにかく分かる。それが不思議な霧の中だろうとね」

「納得いかない! けど、そう考えたらガラッハが案内できたのも説明つくのよね」

「……あの坊やは、もう少し修行した方がよさそう。ついでに礼儀作法も」

 しかし、突然にゼニヤッタは立ち止まり、なにやら難しい顔で考え始めた。

 さすがに先へ促そうと三世みつよが口を開く寸前、晴れ晴れとした顔でゼニヤッタは叫ぶ。

「判った! 貴女、KOJIKIにでてきた白い犬に関係するのね!」

「犬じゃないし! 日本狼だから! あと古事記じゃなくて日本書紀! だいたい外国人なんだから、国内向け古事記より国外向け日本書紀を読みなよ!」

「えっ、狼? じゃあ、悪者の系譜なの?」

日本武尊やまとたけるのみことを迷いの霧から案内した後、大口真神として封ぜられてるから!」

「もしかして……日本人は狼も神様扱いするってこと?」

「それのどこに問題が!? 本来、狼は田畑を荒らす鹿や猪なんかの害獣を食べてくれる、ありがたい存在なの! 西洋人だって同じように感じてたはずなのに……貴女達は切り捨てしすぎる。だから分からないことだらけになっちゃうんだよ!」


「それは大統領の暗殺で思い知らされたわ」

 突然飛び出したショッキングなフレーズに、なぜか三世みつよは全く反応しなかった。

「あの一件で合衆国ステイツは神秘の収集を開始し……自分たちが周回遅れと知ったのよ」

 オカルト主義者や陰謀論者の間では有名な話だが、三十二代アメリカ大統領ルーズベルトは、日本の密教関係者によって呪殺されたという説がある。

 その真偽を問うのは難しすぎるが……少なくとも後世に伝わるだけの『何か』は存在したのだろう。

「誰かを呪い殺すなんて、そうそう成功するものじゃないし……ましてや遠い異国ときてはね。それに阿闍梨ほどの徳を積んだ聖者であれば、世俗の政争と関りなんて持たれないよ」

「でもルーズベルトは、そこを曲げてでも排除する必要があった?」

「そこまで同国人にいわれたら殿様が不憫じゃない? まあまあな人だったんでしょ?」

「確かにルーズベルトは、歴代でも指折りに偉大な大統領よ。でも、真正の差別主義者でもあった」

「貴女たち西洋人は、誰もが差別主義者でしょう?」

「……否定はしないわ。いつかは変わるのかもしれないけれど……いまの私達は差別主義者ね、きっと。ボスの現・大統領トルーマンだって同じでしょう。でもルーズベルトは、日本人の絶滅までもを望んでいた」

 参戦から終戦直前までアメリカを指導した大統領が、弁解の余地すらないレベルで日本人を差別していて、公式に「絶滅した方が良い」とまで発言していたのは事実だ。

 特に『ハルノート』や『中国との講和妨害』、『日系人を強制収容』、『無条件降伏の要求をごり押しで決定』など、どこまでが純政治的判断だったのか疑問を覚えざるを得ない。

「ちょっと敗戦国の女には余る話……かな」

 誰ともなしな三世みつよのつぶやきは、ただ闇の中へ溶けた。

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