第9話 単独潜入

 夜の山中といっても静かなわけではない。

 さすがにカエルはまだ冬眠中といっても、越冬する虫の一部は早くも春先から鳴き始める。

 クビキリギスなどが典型例で、あの独特な――まるで変圧器の稼働音にそっくりな虫の音を響かせていた。

 フクロウなど夜行性の鳥も生息しているし、ヒヨドリなどは夜だろうと煩い。鳥害と認識されることもあるぐらいだ。

 また今日の我々では信じがたいことに野犬がいる。それも全国的に!

 祖先の狼と違って夜行性ではなくなっているが、全く活動しないという訳ではない。時折に聞こえる遠吠えなどが、その証拠だ。

 つまりは静まり返った真っ暗闇というより、控えめなアマゾンとでもいった方がニュアンスは近い。

 山とは――自然とは、常に雑多な音のする世界なのだ。


 それでも就寝中の同僚を起こさないよう、二人は声を潜めていた。

「不寝番なんて必要ないと思わないか、ボブ?」

「そんなこと聞き入れやしないよ、軍曹は。さ、交代だ。そろそろ起きてくれデイヴィッド」

 肩を竦めるだけでボブは取り合わず、寝る前の一杯とばかりに隠し持っていたウィスキーを呷る。

「……俺にも一口くれ」

「居眠りしたら殴られるぜ?」

 そう忠告しながらも酒用水筒スキットルを放る。

「でも、驚いたな。前回はテンプル寺院なんて見つからなかったのに」

「全くだ。どう考えても変だぜ? 俺達の脳味噌は平和ボケしちまってたのか? それに金貨! あんなに沢山のきんを見たのは初めてだ!」

「少し不吉だけどな。子供の頃、よく婆さんに叱られたもんだ――インディアンの遺跡を悪戯なんてしてたら、スプリガンがやってきてお前を取り換えてしまうぞ! ――ってね」

 ナンセンスだろ、とばかりにデイヴィッドは両手を広げて見せる。

「……スプリガン? あの遺跡を守る妖精? 取替え子とかをする?」

「たぶん、それ。ゴブリンだとかグレムリンなんかの親戚だ」

 なんともアメリカらしいエピソードではあった。

 アメリカ大陸ではインディアン以外の――ネイティブ・アメリカン以外の文明も発祥していて、なぜか衰退なんかもしてたりする。

 それらの遺跡が残されることもあり……移民してきた西洋人の悪ガキが遊び場としてしまうこともあった。

 もちろん危ない遊び場を快く思わない保護者達は、数千年来の伝統に則り、怪物を以て悪ガキどもに自粛を促す。

 つまり、インディアンの遺跡を荒らす、アメリカ移民二世な子供が、イングランドの怪物で脅されるのだ。

 ……実にアメリカらしい出来事といえよう。

「でも、あの金貨は買い取ってもいいな! なんだかオリエンタルな感じだし……土産にいいと思わないか? おそらく二十ドルもしないだろうし!」

「十ドルぐらいだと思うぜ。重さから考えて。……ま、軍が売ってくれたらだけどな」

 今日の日本人が耳にしたら噴飯ものだろうが、この時代では珍しいことでもなんてもない。

 後に三百万円もの高額で取引されるような貴重な小判すら、やっと米が三、四十キロ買える程度の金と交換された。

 もちろん小判だけに話は止まらない。刀や着物、美術品……あらゆる物が海外へと流出した。

 もう再発見されるだけで非常な幸運だ。そのほとんどは価値を理解すらされないまま消失している。

 正式な取引だったら多少はマシとはいえ、何の慰めにもならないだろう。……その取引相手が善意的であろうともだ。



 「国へ帰ったらキャッシーと結婚するんだ」などと話し込み続ける二人の死角を縫うように、三世みつよは御堂へと忍び寄っていく。

 その足取りは柔靭でありつつ、全くの足音を感じさせない。

 見る者には野生動物の狩りを彷彿とさせる。……彼女の姿を捉えることができれば、だが。

 さらにGI達の作った入り口――壊した外壁の傍で、中の様子を伺う。

 不審な気配を感じはしなかったのに、それでも三世みつよの表情は苦々しげなものへと変わった。

 仕方のないことではある。

 文化的背景の違う西洋人にしてみれば、注連縄を見せられても奇妙なロープとしか思えない。そして入るのに邪魔だったから、ただ切り除いただけ。

 当たり前すぎるほどな思考の流れだし、逆説的に不敬とすらいえない。なぜなら畏まるべきと――そして警告でもあるとすら、彼らには判らないからだ。

 この無残にも壊された外壁だって同じ理屈といえる

 入り口のない御堂――日本人には、もう存在そのものが警鐘としか思えなくとも、西洋人には見慣れぬ建築様式でしかない。

 べつの言い方をするのであれば「缶詰を開けた程度で、罪悪感に苛まれる者などおりはしない」だろうか?

 公平にみて悪い者などいない。誰も彼もの知識が足りないからだ。

 強いていうのであれば、戦争に負けた旧大日本帝国の指導者たちの責任か。……国が敗れるということは、そういうことなのだから。


 御堂は縦横が十メートル弱ほどの正方形な平屋だった。

 畳数へ直せば五十畳前後といったところで、ちょうど柔道の試合場ほどな大きさだ。

 一間しかなく、床は板の間となっており、板壁で灯もほとんど差し込まない。GI達の焚火だけが頼りだ。

 腐っていたり脆くなっていたりはしなかったが、相応な劣化も見受けられる。……常識的な範疇の築年数であるならば。

 そして床へは無数にGI達のブーツ跡が――土足で上がり込んだ跡があった。

 再び三世みつよは不快そうな顔となるけれど、これも諦めるしかないだろう。

 なぜなら建物へ土足で踏み込むことに、なんら忌避感を覚えない。それが彼らの一般常識だ。

 というより素足を見せるのはマナー違反な文化であり、彼らなりに礼を尽くした結果とすらいえる。

 三世みつよにしても葛藤はしつつ、自身が踏み込む際にブーツを脱がなかった。気休め程度に靴底を拭うのが精いっぱいだ。

 ……やはり急いで逃げる時に裸足では厳しい。


 外観もそうだったのだけれど内部もまた、まるで飾り気というものがなかった。

 神社仏閣に特有な凝った意匠や彫物などがないだけでなく、一般的な日本家屋としても質素に思える。

 そして御堂の中央にはジープへと積み込まれた木箱の跡、それを運んだGIの幾つも踏み重ねられた足跡などはあっても……それだけだ。

 しかし、それだと三世みつよの予想は完全に裏切られてしまう。

 なぜなら一万両という数字――千両箱が十個というゆきの見積もりが正しいとして――は、少なすぎるからだ。

 しゃがみこんで木箱の跡を撫でるような姿勢のまま、三世みつよは考え込む。



 甲州金一万両、今日の価値へ換算して十三億といっても……それで多額といえるかは別の話だ。

 いや、これが豪商の隠した資産や、まれびと殺しの財宝などであれば十分といえる。むしろ多過ぎだ。

 しかし、これが武家の軍資金――それも有事の際に備えた、軍を興し養う為の予算と考えたら物足りない……というより少な過ぎる。

 仮に一万人動員したとすれば、一人当たりの予算は一両――今日における十三万円だ。

 これで人件費はもちろん、装備品や消耗品、動員中の食費と全ての経費を賄うわけで、とてもじゃないが足りやしない。

 もしくは一日だけ集めて、一回だけ突撃し……はい、さようならだ。

 短期決戦ですら半分の五千人がギリギリ、軽い遠征ですら二千人を連れて歩けるかどうかな金額でしかない。

 戦争とは金食い虫なのだ。それも大食いの。

 事実、有名な徳川埋蔵金などは四百万両と噂されているし、豊臣埋蔵金も黄金百万枚――計算方法によっては最大で一千万両――と囁かれている。

 軍資金という括りで甲州金一万両は、残念ながら小銭という他がなかった。

 もちろん三浦氏勢の一翼として、二千人前後の兵力を興せれば十分という考えもある。

 だが、しかし、それでは別の問題が――


「何者だ!」

 低く抑えた誰何によって、三世みつよの推理は中断された。

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