第44話 アンラッキースケベ

学校の帰り道では、俺の家と佐倉の家の、ほぼ中間にある公園に立ち寄るのが日課になっていた。

話せる時間は一時間ほど。

これから冬になるし、暗くなる時間も早くなると、佐倉の門限も早くなるらしい。

俺が自販機からホットドリンクを買ってきて渡すと、佐倉はもっとあったかい笑みを返してくれる。

ベンチに座って他愛ない会話を楽しみながら、俺はふとした瞬間に、佐倉の胸元を見てしまう。


俺はどういうわけか、佐倉を性的な目で見たことがほとんど無かった。

綺麗だし、可愛いし、大人っぽい落ち着きもあれば、笑えば無邪気な少女が顔を覗かせたりもする。

肌も白くて、産毛すら無いんじゃないかと思わせるほど一点の曇りも見当たらないし、スカートが長めとは言え、脹脛ふくらはぎから足首にかけてのラインは引き締まった肢体を思わせるに充分だ。

男というものは、本当に好きになった女性を神聖視する傾向があって、その女性を性的な目で見ることに罪悪感を覚えたり、その女性を穢してしまうように思えたりするから、俺にもそれが当て嵌まっているのかも知れない。

だが!

男というものは、その女性が手の届く身近な存在になった途端、なんとかしてヤれないものかと考えるようになる、らしい。

然るに、俺にはその兆候が見られなかった。

今までは。


「どこを見てるの?」

佐倉が俺を睨む。

あのラッキースケベ以来、気が付けば佐倉の胸を見てしまっている。

今は秋だし、制服は冬服だし、実際のところ胸の膨らみなんてあまり判らないのだけど、あの甘美な出来事は、俺を魅了して離さなくなったのである。

「美由紀はさあ」

俺がこれから何を口走ろうとしているのか、もはや俺にも判らない。

「胸、小さいよね」

……俺には防衛本能というものが備わってないのではないか?

いくら無意識的とはいえ、あまりに無防備な発言に俺は恐れおののく。

だが、佐倉の反応は予想外のものだった。

口惜しげに唇を噛み締め、潤んだ瞳で睨んでくる。

可愛いは正義、などとよく言われるけど、可愛いは凶器なのではなかろうか。

佐倉の可愛さに、俺は胸を撃ち抜かれたような思いがした。

「いや、小さい方が好きなんだ」

特に選り好みするほどの拘りも無かったのだが、そう言わざるを得なかった。

しかし悔いは無い。

俺は今日から佐倉サイズが好みになったんだ。

「それで?」

ちょっと元気を取り戻したのか、ツンと澄まして言う。

鼻の形がいいので、その表情は佐倉に似合っていた。

俺がやると、ただのぶっきらぼうな顔になるだろう。

「この前、お前とぶつかっただろ?」

「ええ」

「俺、あのとき思ったんだ。美由紀の胸は世界一だって」

「……バカじゃないの?」

そう言いながらも、満更でもなさそうな顔をする。

そもそも佐倉以外の女子の胸に顔を埋めたことなど無いのだから、それで世界一と言ったところで説得力も何も無いのだが、恋愛事に理屈は必要無いのだろう。

「だからさ」

「なぁに?」

世界一が功を奏したのか、ちょっと可愛く返事してくれる。

「時には──」


その時、一陣の風が走り抜けた。


「きゃあ!」

「エロい目で見てしまう──」

ちょうど俺達の前を通り過ぎようとした50歳くらいのBBAが悲鳴を上げ、ものの見事にスカートが捲れ上がると、パンツとも呼びたくない肉塊を覆う布切れが丸出しになった。

「ことも許して……え?」

佐倉が俺を白い目で見ていた。

そして何故かBBAが俺を睨み付けていた。

なんたる不条理。

俺はBBAのパンツを見ながら、「エロい目で見てしまう」と言ったのだ。

俺はただ、「時にはエロい目で見てしまうことも許してほしい」と佐倉に言いたかっただけなのに。

俺はラッキースケベについて考察していた時、スケベなんてみんなラッキーだろ、みたいなことを思っていたが、あの時の俺はまだ何も判っちゃいなかった。

アンラッキースケベなんてものが、この世にあるなんて。

「いやらしい子ね!」

BBAの捨て台詞に、俺は打ちのめされる。

なんたる屈辱!

だが、あんなBBAの誤解などどうでもいい。

俺は佐倉の誤解を解かねばならん!

「何よ、世界一とか言って、男って結局誰でもいいんじゃない!」

これはもはや俺だけの問題では済まされない。

男の沽券に関わる事態へと発展してしまい兼ねない。

いつも楽しい放課後のひとときは、こうして誤解を解くために浪費されたのだった。


因みに、誤解であることに納得した佐倉は、別れ際にこう言った。

「私だけなら許します」

世界一は、理屈ではないのだ。

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