アナザースカイ

美澄 そら

Day1 死にたがりの一色


 もう固まってしまったチーズを乗せた、冷めたトーストを、優星ゆうせいは齧った。

 トーストは、チーズの乗っている部分以外はガリガリしていて、口の中にざらりとした感触を残しながら、胃へと落ちていく。

 四人がけのダイニングテーブルには、優星一人分の朝食しかない。

 起きたときには九時を過ぎていたため、サラリーマンの父と、四つ下の弟はもう家を出ていた。

 優星から見て左手のキッチンからは、母親が使い終わった食器を洗う水音がする。

 右手にはリビング。二人掛けのソファが二脚L字にあって、ソファから見えるようにテレビが置いてある。

 点けっぱなしのテレビの中では、まだ緊張の抜けない新人アナウンサーが、一生懸命原稿を読み上げていた。

「平成も残すところ、あと一週間となりました」

 あちこちで、新元号である『令和』の文字を見かける。

 時代が変わることを、まるで世界が変わるかのように誰も彼もがそわそわと心待ちにしている。

 優星は平成七年生まれなので、昭和から平成へ変わったときのことを知らない。

 元号の変わるということは、なにがどう変わるのだろうか。


「ごちそーさま」


 食器をキッチンに居る母親に渡すと、母親は顔色を窺うように優星を見返す。

 優星はその視線から逃れるように、洗面所へ向かった。

 歯を磨いて、ボサボサの髪を適当に梳かして、「いってきます」と声をかけて出る。

 母親の「気をつけていってらっしゃい」と送り出す声を聞きながら、いつも心の内で唾棄する。

 ――気をつける、ね。

 外は春のぼんやりとした青空で、気だるい自分の気持ちを反映しているかのようだ。

 だらだらと歩きながら、大学の門を潜ったところで、後ろから抱きつかれた。

 ラグビーのタックルを受けたかのような勢いに、優星は前へと倒れかけたが、抱きついてきた人物が羽交い絞めにする形で優星の体を支えた。


「やあ、あんたが一色いっしきさん?」


 抱きついてきたのが男だと知って、さらにげんなりする。

 体を引き剥がすと、その人物がびっくりさせてごめんねー、と軽い口調で笑った。

 謝罪する気はなさそうだ。

 オシャレな丸いフレームの眼鏡。ツーブロックの黒髪を、さらにワックスでアレンジしている。

 部屋のハンガーにかかっているシャツを適当に着てきた優星とは違って、身だしなみにこだわりのある人間なのだろう。

 適当にいなして、撒こうと思っていたが、まるで獲物を見つけた肉食獣のように、彼はぴったりと後ろを付いてくる。

「ねーねー。一色さん、でしょ?






 ……死にたがりの」

 最後の一言に、優星は勢いよく振り向いた。

 背中を冷たい汗が伝う。心臓が壊れてしまったかのように、バクバクと荒々しく音を立てる。

「その反応、ビンゴだね」

 男は笑いながら、優星へと一歩近付く。

「なんで」

 声は出ていなかった。喉が渇いて、まるで今朝のトーストみたいにざらついている。

「ちょっとさ、お話しようよ。講義の後でいいからさ」

 ね、と笑った顔が、まるで死神に微笑まれたかのようで、優星は固まったまま動けずにいた。

「じゃあ、またあとで。ここで待ってるからね」


 講義室へと急ぐ。早くあの空間から抜け出したくて、途中駆け足になっていた。

 彼の姿が見えなくなって、優星はやっと、胸に溜め込んでいた息を吐き出せた。






 平成が終わるまで、あと七日。





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