3-10

 高坂澪。

 澪。サンズイにゼロ。

 楠木が告げたその漢字は、確かに意味深に思えた。

 三つ子だが、いないものとして扱う。そんな風にも取れる皮肉というか蔑視というか、背景を知っているとあまりいい意味では捉えにくい名前に見えてしまう。

 実際そういう可能性が高いと楠木は推測していた。施設に預けた誰かが御園家の実情を知っていたと考えると、やはりそれは偶然ではなく意図的な何かが見え隠れしていると。

 「そんなの気にしなきゃ関係なくね?」

 一方で花巻は意に介した様子もなかった。

 「後からこじつけで何とも言えんじゃん?名は体を洗わずとかって、後だしジャンケンみたいでマジうざいんですけどー」

 「洗わずではなく、表す、です。確かに受け取り方次第ではありますけどね。壱姫さん、気を悪くさせたなら申し訳ありません」

 「いえ、私は何とも思いません。むしろ、その、弐姫さんが反応したということは……」

 壱姫はそこで俺を見た。判明した名前よりも、弐姫の方が気がかりだったようだ。

 「ああ。多分、その澪と弐姫はつながりがあると思う。初めてあいつが見せた動揺みたいなもんだったからな」

 「ゴースト彼女の謎にやっと迫れるのか、ちょっと快感深いんじゃね、あきるパイセン?」

 「……快感じゃなく、感慨な……」

 まったく別の感情になっているじゃねーか。花巻の言い間違いは斬新すぎた。やっと判明した三人目の名前も、なんだかよく分からない雰囲気に呑まれて、思ったよりもあっさりと俺の中で流されてしまっていた。それが良いことなのかどうかは分からないが、少なくとも楠木の推測した嫌な感じの重みみたいなものも、同時に流してくれていた。

 車内はその後、各々思索に耽っていたためか、静かなままだった。その間も車は走り続け、ほどなく目的地へと着いた。

 車を降りて、一つ伸びをして周りを見渡す。

 実は俺も訪れたことがある場所だとか、近くに来たことがあっただとかそういう既視感もまったくなく、見知らぬ界隈であることだけは確かだった。

 高坂神社は、こじんまりとした一般的な神社のイメージそのものだった。入口付近に小規模な駐車場があり、そこそこ続く階段を上って鳥居をくぐった先の山というか丘の上に本殿がある。階段脇は当然森というか、樹木が並んでいる。

 その間、楠木が神社について色々と知識を披露してくれたのだが、正直何が何やら分からなかった。祭神の種類や祭神によるご利益などの違いを説明していたようだが、まったく耳に入ってこなかった。

 それほど長くもないが決して短くもない階段を上っているのに必死だったからだ。さすがに運動不足を痛感する。軽快に上る花巻や壱姫はさすがに若いだけあって納得できるが、涼しい顔の眼鏡探偵を見ると少しだけ恨めしかった。俺と同じでひょろひょろな体格に見えるが、意外にも体力はあるようだ。

 「あきるパイセン、疲れすぎじゃね?」

 階段を上り切ったところで、花巻にうろんな視線を向けられたが反論する余裕もない。ないはずだったが、気が付けば言い返していた。

 「ちょいと……寝不足なだけだ……」

 なんとなく、口から出まかせの見栄を張っていた。俺にもちっぽけなプライドがあったようだ。もっとも、肝心の花巻からは「ふーん」と見透かされたようにスルーされたわけだが。

 そんな俺の疲れはお構いなしに、一行は先へと進む。

 参拝するわけじゃないが、一応礼を尽くしてということで、手水舎で清めの儀式を行ってから社務所へ向かう。本当に小規模の神社では宮司すら通いで常在ではないので、社務所に常駐している人などいないそうだが、高坂神社は常時参拝客が来るのだろうか、明らかにバイトらしき巫女姿の大学生っぽい子が暇そうに鎮座していた。

 楠木と二人で高坂夫妻に面会の約束があると告げると、「あ、聞いてますー」と緩い返事で奥へと通される。社務所部分と自宅がつながっている造りで、ひどく小さな中庭を抜けると本宅の玄関があった。

 バイトの大学生はそこまでの案内のようで「それじゃ、ごゆっくりー」と社務所へと引き返していった。どことなく花巻と会話のノリが合いそうだと思った。その花巻と壱姫はというと、今はまだ神社の境内のあたりで待機という状態だ。

 さすがに、見た目がそっくりの壱姫がいきなり訪問するというのもいかがなものかと、車内であらかじめ決めていた段取りだった。

 玄関のインターホンを鳴らすと、すぐさま中年の女性が出てきて居間へと案内された。

 外観から想像通りの日本家屋で、内装もまた典型的な日本の様式美でまとめられており、いかにも和風な居間だった。畳にテーブル、いやちゃぶ台という古風なそれは、現代風の洒落た何かがあって少し新鮮だった。最近のちゃぶ台は丸テーブル風のデザインでありながら木目も奇麗で、古き良き存在感を醸し出していた。

 そして、その上座には既に高坂神社の神主である高坂吾郎が控えていた。案内をしてくれたのやはり夫人のようで、高坂静香もその傍らに腰を下ろすと、あらかじめ用意していたらしいお茶を急須から淹れてくれる。

 疲れた体に水分はとてもありがたかった。

 「それで、何やら人をお探しとかというお話だったようですが……」

 高坂吾郎は白髪交じりの50代の男で、いかにも優しそうな外見とたがわずその声もまた柔らかかった。簡潔な挨拶を済ませると、早速本題に入った。時間があまりないのは本当らしい。

 「はい。お電話で少し概要をお話しましたが、もう少し詳しく説明させて頂きます」

 楠木も単刀直入型なので、出会って3分ですぐに核心に迫っていた。会議のための会議をするような、無駄な会社人間にこのシンプルさを分けてやりたい。

 例の如く、俺は必要以上に口を挟まないという取り決めだったので、楠木が依頼について、つまりは転生体の弐姫に関してどこまで話すのか見守っていると、意外にも最初からほぼすべてを打ち明けていた。

 姿の見えない幽霊のような存在の人物から、自分が死んでいるかどうか確認して欲しいという依頼について調査しているという、何とも言えない内容を、改めて他人の口から聞かされると、完全に荒唐無稽で胡散臭さ爆発な内容だと思わずにはいられない。

 なるほど、と一口で飲み込める人間はそうそういないだろう。逆に、いたらいたで今度はこっちが正気かと疑いたくなるかもしれない。それほど常識外の話だ。

 高坂夫妻は少なくとも、即座に否定はしなかった。驚いてはいたが、淡々と語る楠木には人を騙そうとする胡散臭さはない。初対面でも、真面目な人間だとすぐに分かる人柄のため、冗談などと取られないのは一つの特技とも言えそうだ。

 楠木の説明を聞き終えると、吾郎は静かに目を閉じて何やら考えていた。静香夫人の方は、話を聞いている時からどこか遠くを見る眼差しで、なんとなく心ここにあらずな状態に見えた。思えば、案内してくれていた時からそんな感じではあった。生気のない目というか、諦観の様相が全身から醸し出されていた。娘同然の澪を失った喪失感で、体調を崩しているのかもしれない。

 「私の理解が正しければ、こういうことでよろしいでしょうか?記憶を失った霊魂のような存在がいて、その人物は死んでいると思われるが確証がないので調査している。その確認の過程で、その人物が幼いころに引き離された三つ子であることが判明し、うちの澪と姉妹だった可能性が高い、と?」

 「はい。非常によくまとめられていると思います。神道では、死後は幽世(かくりよ)で生者を見守る神になるというのが一般的な考えだとは思いますが、そうできずにまだ彷徨っている状態なのかもしれません」

 とりあえず、弐姫と澪の関係については別人の方向で話を進めていた。弐姫が澪本人である可能性もあったが、現時点でそれを口に出すとややこしくなると判断したのだろう。弐姫についても、幼少時に死んでいるという話は伏せて、行方不明ということにしていた。

 「……残念ながら私どもには霊能力のようなものはないので、貴方の言うその霊魂の真偽は確かめようもありませんが……伊達や酔狂ではないことは分かります。それに、もしも澪に……澪に姉妹がいたのだとしたら、その力になることはやぶさかではありません。ただ……」

 高坂吾郎はそこで口をつぐんだ。様々な葛藤があることは想像に難くない。いきなり現れた赤の他人を信用できるはずもなく、娘のことを軽々しく話せるよう信頼関係は一瞬で生まれることはない。まして、そこに何かしら衆目にさらせない事情がありそうなので尚更だった。

 楠木もそれを察してか、あるいは予め想定していたのか、事前に用意していたような言葉を足した。

 「にわかには信じがたいお話であることはこちらも理解しています。姉妹であることの証明の補足になるかと思いまして、まずは写真をご覧ください。幸い、と言っていいのか分かりませんが、一卵性多胎児の三つ子は容姿が似通っていますので、少しは信用頂けるかと思います」

 差し出したスマホには、壱姫の写真が表示されていた。いつのまにか撮っていたらしい。

 高坂夫妻がはっと息を呑んだのが分かった。効果は抜群のようだ。

 「これは……」

 「澪……じゃない……?」

 夫人が初めて言葉を発した。娘とそっくりな壱姫に反応したのだろう。

 「こちらは葉上壱姫さんです。三つ子のうちの一人です。調べていくうちに、彼女が件の人物かと思ったのですが、先ほどお話したように彼女は姉妹の一人で本人ではありませんでした。そして更に掘り下げていったところ、こちらに行き着いたわけです」

 「……確かに、澪と瓜二つです。しかも三つ子、ですか……」

 吾郎はしばらく写真の壱姫を見つめていたが、やがて覚悟を決めたように顔を上げた。

 「分かりました。もしも、澪の姉妹がまだ帰幽できずにいるのなら、その手助けは神職として、また澪の親として果たすべき使命だと考えます。澪について、あなた方にお話ししましょう。何を知りたいのでしょうか?」

 こうして高坂澪について、とりわけ高校に入ってからの彼女について、俺たちはようやく知ることができた。葉上志穂の手記以降の記録であり、死ぬまでの半生だった。

 そして、その死因は思いもよらぬもので、彼らが安易に話したがらない理由も納得のいくものだった。

 高坂澪は自然死や事故死ではなく、何者かに殺されたのだという。

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