2-4

 楠木から待望の連絡が入ったのは、午後三時のおやつどきだった。

 三時なのになぜおやつというのか。おやつというのならば数字的には八で、八時だろうと昔は思っていたものだが、語源的には午後2時頃から4時頃までの時間を八つ刻(やつどき)と言っていた昔の慣習からだそうだ。過去の呼び方を現在に適用する弊害で、齟齬が生じることはよくあるが、存外人はあまり気にしないで使うものらしい。

 神経質な人間ならば、決まりが悪く感じるのではないのかと常々思ってたりもしたが、その手の話はついぞ聞いたことがない。言葉に関しては、だいぶ寛容な傾向にあるのかもしれない。

 そんなおやつとして、コンビニのアメリカンドッグを頬張りながら、すっかりお馴染みとなった探偵事務所に着いたのは4時を過ぎた頃だった。

 珍しく花巻が既にいて、相変わらずの軽いノリで出迎えてくれた。フレンドリーなのは望むところなので、たとえ年下からタメ口を叩かれようと気にはならない。上辺だけの敬語よりも好感が持てると思っている。

 「ちっす、あきるパイセン。あながち待ってた系」

 「おぅ……いきなりでなんだか、そのあながちは使い方が違うと思うぞ」

 なぜにそんな言い方をしてきたのか。普段あまり使わない言葉だと思うのだが。

 「そマ?なんか今日の古典で出てきて割とヒットしたんだよねー、あながちカッコいくない?ありよりのなしっしょ?」

 恰好いい……のか?個人の感性だから否定はしないが、だからといって変に取り込んで日常にぶち込んでくるのはいかがなものか。聞いている方が混乱する。

 「古語的には、あながちは確かひたむきさを表す意味もあったので、ニュアンス的には通じないこともないとは言えるでしょう。ただ、相手にそれをくみ取ってもらえるかどうかは別ですけどね。こんにちは、秋留さん。わざわざご足労頂いて申し訳ありません」

 「ああ、どうも。いや、こっちが依頼してることだからな」

 楠木は今日も糊の利いたワイシャツに、アイロンがけが完璧なスラックスというビジネスカジュアルなスタイルだった。のっけから、知識を披露してくるあたり、さすがの真面目さだった。

 「ゴースト彼女もいるんしょ?やほやほー」

 花巻はあらぬ方向に向かって手を振っているが、それが自分に向けられたものだと知ってか、弐姫はわざわざ正面に移動して答えた。

 「はぁい、キューティクルちゃん」

 そのあだ名、まだ使っていたのか。というか、無理やり正面に回ったから、半分体が壁にめり込んでいた。視界に入る俺としては、微妙な光景だ。律儀だと評するべきか、バカだと切って捨てるべきか、悩みどころでもある。

 「はろー、キューティクルちゃん、と弐姫も返している」

 思うところはあれど、最低限の礼儀として花巻に伝えてやる。なんとなくそのまま繰り返すのが嫌で、多少語感を変えてしまうのはご愛嬌だ。

 「おお、なんかいま、微かな風を感じたって感じ。手を振ってくれてたっしょ?」

 そんな事実は微塵もなかったが、慌てて弐姫が手をパタパタさせ始めたので、否定はしないでおいた。

 「とにかく、早速報告を始めまてしまいましょうか。今回は、前回よりも実のある話ができそうです」

 「ふっふっふ。ついにキターって感じっしょ、あきるパイセン。雷アガるっしょ!?」

 やけに花巻の機嫌が良さそうなのは、何か進展があったからのようだ。アガるかどうかでいえば、確かに期待感で気分は高揚するかもしれないが、雷アガるという表現がいまいちピンと来ないので、温度差を感じる。ちなみに、雷というのも形容詞でバリバリからの派生らしい。同じ四語でまったく略されていない以上、変換の意味を成さない気がするのだが、おそらくは語感で選んでいるのだろう。

 「花巻君、あまり煽らないでください。まずはお茶をお出しして」

 「へいへいほー」

 事務所の中に入り、いつもの定位置であるソファに腰を下ろす。弐姫もまた、巨大な本棚に向かって飛んで行った。あちらもあの辺りが定位置になりつつある。

 「さて、報告書は後ほど提出しますが、まずはさわりを口頭でお話しします」

 楠木はいつものように単刀直入に切り出した。真面目なだけに、話を盛り上げるために思わせぶりにするだとか、もったいつけるだとか、そういうものは一切皆無だ。淡々と事実だけを的確に並べてくる。

 「現時点で判明しているのは、葉上壱姫さんの母方である美羽みうさんの出身地がN県の僻地のとある村であること。その村は現在、廃村に近い状態で地図上からも抹消されそうな現状であること。古風な因習が続く時代錯誤な村社会であったこと。村の中心は独自の神道系神社であったこと。美羽さんはその神社で、最要職の家系の長女であったこと。現在は勘当されていること……」

 楠木の報告はその後も要点のみで続いたが、すべて壱姫の母親にまつわることだった。

 だが、俺が知りたいのは壱姫と弐姫の関係であって、母親のことではない。そのことは十分に楠木も理解しているはずなので、どこかでつながってくるのだと待っていたのだが、ついにその時は訪れずに話が終わってしまった。

 「――最後に父親の方は、元々東京出身で大学で民俗学を先行していた折に、フィールドワークとしてその村を訪れて美羽さんと出会ったようです。彼の出自に関しては特に特筆すべき点はありませんでした」

 「……なるほど……」

 俺はとりあえず相槌を打ってみたが、何がなるほどなのか自分でも不明瞭だった。

 「ちょま、えっ!?それで終わり?嘘っしょ?全然実がないどころか、身も蓋もなくね?」

 即座に花巻が気持ちを代弁してくれた。しかも、割とうまいこと言っている気がする。座布団一枚をあげてもいい。

 「はい、終わりです。上辺だけをなぞると、確かに直接的に弐姫さんとつながるようには思えないかもしれません。ですが、ある仮説に基づくとかなり確信に近いピースです」

 「仮説ってなんぞ?もったいつけてないで教えろし」

 「もったいつけているわけではありません。憶測で言うことを肯定できないので、現段階ではまだ何も言えません。裏が取れてはっきりした際には、今話した事実が重要であったことも理解できるはずです」

 「いやいや、今。知りたいのは今じゃん?」

 花巻と楠木の攻防はその後も少し続いたが、真面目一直線男は貫禄の頑固さでまったく折れなかった。流石、クソマジメガネ君。

 その間に、俺は与えられたヒントともいうべき壱姫の母親に関して改めて考えてみる。この手の情報というものは、なんとなく聞いていただけではやはりつかめないもので、自分なりに噛み砕いて理解する必要があった。

 葉上美羽。僻地の村で中心となる神社の長女として生まれ、宮司になるべく育てられるも、村を訪れた民俗学専攻の大学院生と恋に落ちて駆け落ち。それほど愛し合っていたのか、もともと村での立場や生活に不満があったのか。

 後者の場合、古風な因習とやらが関係していそうだ。昔からのしきたりや掟というのは、得てして不条理なものが多い。ここじゃないどこかへという願望は、誰しもが一度は抱くものじゃないだろうか。それを実行する熱量は個人差が激しいのだろうけれど。

 独自の神道というのもまた、偏見かもしれないが胡散臭く見える。伝奇ミステリなどの定番の要素の一つだからだ。何か良からぬ儀式や、時代錯誤な掟が伝統という柵で今も続いているとか、そういう筋書きを勘ぐってしまう。

 とはいえ、それらの何が弐姫と関係するのか。

 安直に考えれば、壱姫と弐姫がそっくりであることを鑑みて、二人は美羽の娘ということになるが、壱姫自身は一人娘だと断言している……つまり、そこに虚実があるかもしれないということか。

 駆け落ちまでして村を出たということは、何か強い理由があったはずだ。

 感情的なもの以外の要因があるとしたら?そうしなければならない何かが起きた結果だとしたら?

 いや、いくら想像を膨らましたところで今は意味がない。楠木が言う仮説が同じものだとしても、やはり裏が取れない限り単なる妄想の類だ。というより、おそらくはもっと情報を持っているであろう楠木がまだ何も言わないということは、確信ができれば逆に明らかになる事実があるということだ。俺があれこれ現状で考えてもしょうがない。

 花巻の言うように、憶測だろうといますぐ教えろという気持ちもあるが、今は我慢しておこう。他人に任せた以上、ある程度は相手のやり方を尊重すべきだ。

 「さて、花巻君も納得したところで――」

 「してねーんですけど?ただ、買収されただけですけど?」

 それはもっとよろしくないのではないか。堂々と言うことでもない。俺が考えに没頭している間に、一体何があったのか。

 「次の報告に行きたいのですが、弐姫さんはどうしていますか?」

 楠木は花巻を無視して、俺に振ってきた。

 実は事前に弐姫に関してあることを頼まれていたので、俺はそろそろ頃合いだと頭上を見上げる。事務所内ではしっかりと定位置に近い本棚の上部付近で、果たして効果は出ていた。

 弐姫はいつぞやのように、体を漕いでいた。居眠りに近い状態のあれだ。楠木から、弐姫抜きで話すときのために疲れさせておいて欲しいとの連絡を受けていたので、ここに来るまでにちょくちょくと弐姫の箒に触れていた。現実干渉による精神的疲労の蓄積作戦だ。そこだけ聞くと陰湿な攻撃なように思えるが、深く考えてはいけない。

 「おい、弐姫。起きろ。疲れてるなら、一回寝てこい」

 「ふぁっ!?」

 呼びかけるとすぐさま反応するところは、浅い眠りという人間のそれに近いが、実際は命令待機するロボットのようだ。他が呼びかけても気づかず、俺にしか反応しない。そもそも、俺にしか見えない前提なので当然ではあるのだが、なんともむずがゆい気持ちがあるのも確かだ。

 依然として俺と弐姫の過去の関係は不明だが、現状の距離感としては旧知の間柄のような、定番の服のこなれた感じというか、妙にしっくりくる何かがあるのは確かだった。

 だが、それが本当に過去からのつながりに起因するものなのか、今現在の性格等の相性によるものなのかは分からない。

 その謎の解明のためにも、今は退出願わなければならない。

 「ね、寝てないよ?ぜんぜん、善哉?」

 何が善哉なのか。完全に寝ぼけているとしか思えない。

 「……いいから、寝てこい。後で結果は報告してやる」

 「う、うん。あきるくんがそういうならそうするよ……ちょっとやっぱり体が重い感じがするし……って、太ったわけじゃないからねっ!」

 何も食べられないのに太ることはないだろうと言い返すのを我慢していると、弐姫はすぅっと消えていった。相変わらず、非常識な存在だ。

 「いなくなった、続けてくれていい」

 「ん、ゴースト彼女がいないところで話すってことは、例のアレ系?」

 「はい。そちらの報告です」

 例のアレとは、以前ちょわからもらった資料に関する調査の話だ。内容が少し込み入っていたため、俺と楠木だけでとりあえず留めておいたのだが、今は花巻にも伝わっているらしい。

 その資料は当初現実化した紙媒体だったのだが、時間制限で消えるという謎仕様だったので(手元に残すのは禁則というのは理解できる)、せめてデータ化できないのかという軽い一言で、その場でちょわが楠木のノートパソコンにテキスト形式で変換してくれた。人間がやるのであれば手入力か写真など画像による記憶だが、これまた謎の手法で紙が筐体に取り込まれてファイルになっていた。

 あんなやり方が未来で開発されるなら、かなり便利だなと思ったが、どう考えても科学的な方法ではなさそうだったので、そんな将来はあり得ないだろう。

 ともあれ、その資料の内容が問題だった。

 何しろ、そこには仮転生体が生前活動証明ができない例として、実はまだ死んでいなかった場合のケースが挙げられていたのだ。

 つまり、弐姫がまだ生きている可能性について言及されていた。

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