第30話

 新規開校校舎の内装工事が無事終わり、ウチの口コミを頼りに30組の保護者や生徒が入塾説明会に来てくれた。

 このご時世で1日に30組が説明会に集まることは大変稀である。

 一つの教室に入りきらないので、急遽、塾長に応援を頼んで、二手に分かれて説明会を進めることにした。

 急いで準備をしなければならないが、ほかの講師陣は新年度の教材に掛かりっきりで手が放せない。

 資料を想定の倍近くコピーで代替しなくてはならないし、いつになく気温が高いので飲み物をコンビニで買って来なければいけないし、念の為、トイレを念入りに掃除しておくにこしたことはないしで、誰かもう一人俺のヘルプが必要だ。

 誰かいないかなあ。。。あと1時間で保護者の方々が来始めるー。

 と、そこへ、入口の自動ドアが開き、ひょっこり顔だけ中の様子を見る女子が。

 あ! 彩子だ!

「こんにちはー、なんか先生大丈夫?」

「なんだ、玉城さんじゃないか」

「なんか目が血走ってるよ、先生」

「いやあ、想定以上に参加者が来るから、てんてこ舞いなんだよ」

「へえ、がんばってね、フフフ」

フフフだあ??? テメエ、今フフフって言いやがったな! なんだ!その面白がる目は! とは、塾長のいる手前、言えないので、

「玉城さん、今日はどうしたの? なんかしに来たの?」

 と、内心穏やかではないが、わざと余裕の神対応をして見せた。

「手伝ってあげよっか」

 流石、我が教え子。俺の顔色を察知して自分が何を成すべきかをしっかり心得ている。

「なんか用事があって来たんじゃないの?」

「んんー、用事がないから来た」

 イチイチ腹が立つ。

「じゃー、用事がなかったら、手伝ってくれる?」

「うん、いいよおー」

 こういうところは素直でよろしい。

「マジでー?、悪いね、助かるよ。んじゃ、早速なんだけど、そこの資料を30部ずつカラーコピーして仕分けしてくれる?」

「いいよー、ご褒美はー?」

 テメエ、交渉する気か。。。

「うん、わかったわかった、なんでもいいから」

「やったあー、じゃあーあー」

 ヤバい、塾長に聞かれる!

「玉城さん、塾長の仕事も手伝ってね」

 と、目配せ。

 へ?みたいな顔して彩子がキョロキョロ。そこへ塾長が顔を出した。

「いやあ、玉城さん、いいところに来てくれたね」

「あ、塾長、こんにちはー」

「手伝ってくれるの?」

「はい! 沢崎先生がご褒美くれるって言うから」彩子も危なかったあってな顔をしてこっちを見た。


 そんなこんなをしているうちに、保護者が生徒を連れて1組、また1組とやってきた。


「(略) それでは、これで説明会を終えたいと思います。入塾を希望される方は受付で手続きをとってください」とお願いして、散会した。俺はすかさず受付に移動した。するとそこには彩子が。

「あら、あなた、生徒さん?」と保護者。

「はい! 今度高校一年です」

「あらそう、入学までの間、お手伝い?」

「あ、お母さん、たまたま、今日は手伝ってくれることになりまして、な、な、玉城さん」

 話を合わせろよーー。彩子。。。

「そうなんです。入塾されるんですか」

「ええ、この子がやってみるって言うもんで」

「そうですか、沢崎先生はすーっごく厳しいですよー」

「え?そうなの?」と生徒。

 バカバカバカ、なんてこと言うんだよ。俺がヤキモキしてるのをよそに、彩子は続けた。

「でも、すーっごく面白いですよ!」

 それを聞きつけ保護者が何人も集まってきた。

「あなたは先生に教わってるの?」

「はい! 先生に教わって勉強が大好きになりました」

 と、後ろの方で、

「お母さん、やってみる」と女の子が小さな声で保護者にささやいた。それを聞いた保護者のお母さんが、わっと泣き出した。

 意外なできごとに俺も塾長もほかの保護者や生徒も、みんなそのお母さんを取り囲むように見つめた。時間が止まった。誰も何もできずに見つめることしかできなかった。しかし、彩子だけは違っていた。すっと受付から保護者の側に寄り腰を落として、

「お母さん、、、」

「ごめんなさい、この子、どの塾も長続きしなくて、ここで7件目なんです。でも、初めて、やってみるって、ウウウーー」

「お母さん、沢崎先生は信頼できます。私が保証します。きっとお嬢さんは好きになってくれます」

 彩子とその保護者を見つめていた保護者たちが一斉に俺を見た。

 今度は俺が、何か言わなければならなくなった。

「私は一度受け持った生徒は責任もってお預かりします。僕は勉強に向かう姿勢をただすことから始めて、わかったときの嬉しさを何回も経験してもらいます。進学実績を誇張したり学費が安いことを売りにする塾ではありませんが、ここに通って本当に良かったと思ってもらえる塾を目指します。どうぞお任せください!」

 しーーんとした。

 しばらくして、「私は正直、夫と相談してから決めようと思っていました。でも、先生にお願いしようと決めました。手続きお願いします」

 私も、私もと、保護者の方々が手続きをし始めてくれた。結局全員が入塾希望者となった。全員なので、また教室に戻ってもらって、落ち着いて入塾申込書の書き方をお伝えしたり、生徒さんの悩みごとに耳を傾けたりして、何だかんだでさらに1時間かかった。

何故か彩子も保護者と膝を寄せ合って話に応じていた。その姿は保護者のああでもないこうでもない話を自分ごとに置き換えて、相槌を打ったり、言葉を鸚鵡返しして深堀りさせたりして、生徒の課題をまんまと顕在化させていた。

 余談ではあるが、ニーズが顕在化されてしまえばクロージングはほぼできる。保護者の肩をポンと軽く叩くだけで良い。

 実に有意義な説明会になった。保護者と生徒の顔はとても明るかった。明るい気持ちでお帰りいただくことが出来た。


 ガランとなった校舎に、塾長と彩子と俺だけが残った。

 三人はそれぞれ労いあい、ふうーっと息をついた。

 塾長は、「さてと、お邪魔さまは、先に帰るとするか」と、謎の言葉を残して、そそくさと校舎を後にした。

 帰り際、入口まで見送った俺に、

「何か旨いものでも食べさせてあげなさい」

と言って、財布から数枚俺に持たせた。


彩子。あいつ、素質あるな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

教え子 ~塾講師と生徒~ 淡くてほんのり苦い物語 井上祐 @yuu_inoue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ