第13話

少しずつ暗闇に目が慣れてきた。

しかし星野のスマホに目をやるとチカチカしてまた目が見えなくなる。

それでも星野が心配で目を凝らして様子を窺った。

するとその顔はスマホの光で反射してボーッと浮き出ていた。

気づいた星野は、持ち前のクシャッとした笑顔を見せて、

「そんなに見ないで」

と言った。

「ち、ちげえよ、スマホでチカチカして見えねえんだよ」

星野は、そう言われても、ちっともへっちゃらな顔で、またスマホに集中し始めた。

「そういえばさ、さっきの話だけどさあ」

星野がスマホに目をやりながら顔だけこっちに向けてきた。

「ん?」

「ん?じゃねえよ」

「ん?」

「忘れたんかよ」

「ん?」

「ったく、もういいよ」

「覚えてるよ」

「え?」

見ると星野はクシャッとした笑顔で目をウルウルさせて、

「うん、下の名前でしょ?」

「あ、え、」

「いいよ、呼んで」

「え、うん、そっか」

「ねえ、先生のことも下の名前で呼んでいい?」

「あ、ええ?」

「ええ、ずるいー」

「塾ではダメ」

「わかってるよ、そんなの。塾以外ってこと」

「塾以外って、なんだよ」

いかん、いかん、星野の、基、彩子のペースだ。

「例えばあ、どっかに遊びに行ったりとか?」

って言って、俺の顔色を窺った。

やべ、こいつ中3の分際で俺をナンパしてるぜ。


パッと、あたりが明るくなった。

ブーッと送風音が聞こえ始めた。

みんな、はあと息をついて、意味もなく天井を見上げたり、外の様子をのぞいたりし始めた。

さっき五月蝿かった男子は、

「やっと付いたよお、もお」

と、やはり耳障りな愚痴をこぼしていた。

「お客様にご案内いたします。只今、予備の補助電源装置を使って照明と空調を作動いたしました。お客様にはご不便をおかけし申し訳ございません」

一瞬途切れて、

「改めまして、お客様にご案内いたします。◯◯駅と△△駅間で電気系統のトラブルが発生し復旧作業を行なっております。現在、原因究明にあたっており、運転再開の目処は立っておりません。繰り返しお客様にご案内いたします。。。」

この前違う路線で六時間立ち往生した事故が頭をよぎった。

例の男子が、

「ええ?!まだなのかよお、もー」

と五月蝿く呟いた。

俺は、

「星、、じゃなかった、、彩子、ご自宅に連絡して状況を伝えなさい。俺は塾長に連絡する」

彩子は俺の指示になのか、彩子と呼ばれたからなのか、とってもうれしそうに、頼もしそうにする仕草をして、

「うん」

と言って電話し始めた。

「ああ、お母さん?」

楽しそうに話すな!緊急事態だぞよ。

「うん、大丈夫、沢崎先生が送ってくれてるから。ええ?代わるの?いいよお、ええ?うん、わかった」

はい、と言って彩子は興味津々な顔でスマホをホイと俺に寄越してきた。

彩子のお母さん。かなり複雑な心境である。彩子に気がある雰囲気を一滴でも出してみろ、俺の社会的地位は失墜するどころか、親の防御本能で俺を攻撃しかねない。

「担任の沢崎と申します・・・」

我ながら職業を前面に出してつつがなく必要最低限を伝え、必ず家まで送り届ける約束をし、お母さんから、

「大変でしょうが“よろしく”お願いします」

とお言葉を頂いた。お母さんの“よろしく”に、“わかってるでしょうね”が含まれている感覚を覚えたのは俺の考えすぎだろうか。

その間、彩子は目を丸々とさせてこれまた興味津々に聴いていた。

しかも段々顔が近づいてくるものだから少しだけイラっとした。

ふうと息をつく間も無く、今度は塾長へ連絡しなくてはならない。

これも細心の注意が必要だ。

生徒との関係はご法度である。

それを嗅ぎ分けられない塾長ではないからだ。

「あ、おつかれさまです、沢崎です」

「終わりましたか?」

「それが、その、」

なんで口ごもるんだ、俺。

「何かあったんですね」

「はあ、電車が止まっちゃってて、運転見送りで、今缶詰です」

「そうなんですか、星野さんは?」

「はい、私よりしっかりしています。ご自宅にはすでにご報告し、お母様からよろしくお願いしますと言っていただきました」

よし、くぐり抜けそうだ。

「そうですか、わかりました。送り届けたら再度連絡ください」

「はい、わかりました」

「ところで」

「はい」

「わかっていますね」

「はい」

間髪入れずにはいと返答した。

しばらく間があって

「よろしくお願いします」

と言って通話が切れた。

ん?何かしくじったか?妙な不安が俺を襲った。

「ねえ、丈ぉ?」

「お!いきなり下の名前かよ」

「いいじゃん、だっていいって言ったもん」

「そりゃそうだけ・・・」

彩子がするっと腕を組んできた。やべ、反応する。。。

腕が震えていた。小刻みに。

ふと見ると彩子は俯いて髪の毛で顔は窺い知れなかった。

いたいけに思えた。

絶対、彩子を安心させる。送り届ける。だから、俺は手を強く握ってやった。

彩子もそれに応えて握り返してきた。

「大丈夫、安心しろ。俺が付いてる」

「うん、こうしてていい?」

頭を肩によりかけてきた。やべ、反応する。。。

「うん、いいよ」

シャンプーの匂いだけではない、彩子の匂いが漂ってきた。

このまま朝までだっていられるな。


「お客様にご案内いたします。先ほど復旧作業が完了し、前を走る列車から運転を再開しました。この電車も運転間隔の調整が取れ次第、発車いたします。繰り返し・・・」


彩子の降りる駅についたのは、日付が変わる午前零時を少し過ぎた頃だった。

彩子が段取り通り家に電話をし、迎えの車を待った。迎えに来られたのはお父さんだった。やべ、お母さんに続いて今度はお父さんかよ。

俺のことをジロジロ見られるのではないかと内心怖気気味だったが、気さくな方で、笑顔を見せて俺に謝意を示し今後ともよろしくお願いしますと言って彩子を車に乗せた。こんどの“よろしく”には“わかっているな”は感じ取れなかった。先生と生徒に特別な感情が芽生えるなど想定していないのだろう。

「沢崎先生、ありがとうございました」と言って、ぺろっと舌を出した。その顔を今でも忘れない。

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