第9話

俺はいかにも先生らしくあくまで生徒を送っていく体を装い、

「じゃ、行こか」

と言って、星野へ目をやり、

「じゃ、お先に失礼します」

と言って、他の講師陣と塾長に軽く挨拶した。


講師の中には俺たち二人を好奇な目で見たり、無関心に「おつかれさま」と言って明日の教材から目を離さずにいたりする者がいた。でも、俺にしてみれば彼ら全員が無言で「生徒との関係は御法度だぞ」と言っているようで、それが何より嫌だった。

塾長はこれまた業務の一環で「うん、沢崎先生、お願いします」と言い、さらに「変な男には近づかないように」とウィンクしてみせた。

これを見たのか星野はまたクシャッと笑みを返した。腹立たしい。みんなで俺を警戒しているな。

癪に触ったからいつもより大きな声で「じゃ、星野さん、行くよ」と言い、星野を従えた。


春とはいえ、午後十時に近くなると気温がぐっと下がっていた。さらに雨が気化して更に一度は低いだろう。


「おお、さみぃなぁ」

「うん」

「なんか羽織るもの着て来りゃよかった」

「うん」


星野を見やった。

今日は珍しく制服のままだった。白いコットンのブロードシャツに紺色のスカート、白いハイソックスに靴はnew balanceのスニーカーで爪先がもう濡れていた。

傘で顔が隠れて見えなかった。俺より三歩下がって後ろをついてきている。


だから俺は戦略を立てた。なんとかして俺に寄り添う形に持っていこう。

「心配かい」

「え?」というような顔をして、彼女が顔を上げた。

「そんなことない。なんで」

「いや、さっきから、後ろを歩いているから」

そう言うと彼女は、またクシャッと笑みを返して俺の横にひっついてきた。

作戦成功。

「これならいいの?」

彼女の傘から雫が肩に数滴落ちた。ドキッとした。これならいいかだってえ?

「ばあか。ちけえよ」これは作戦に無かった。

「ねえねえ、先生は彼女いるの?」

と彼女は言って、少しだけ離れて、今度は俺に真正面になる方向に体を向け横歩きし始めた。楽しそうに。好奇な目で。その直後、不安そうに。“いたらどうしよう”というような目で。

「今は、いねえよ」

負けた。俺の吐いたセリフを思い起こしてみたが、もう、完全なる小学生レベルである。“ちけえよ”“いねえよ”“ばあか”


「いたら、なんなんだよ」

「ええ〜?それ聞くかなあ」

「星野さんは、いるの?」

「私?さあ、どうでしょ」

彼女が前かがみになって、横歩きしながら、俺の顔を覗き込んだ。

「何見てんだよ、うぜえ生徒だ」

「クックック」


駅前の踏切に着いた。カンカンやかましい。今気づいたが、このカンカン音は遮断機が下がり切るとボリュームが落ちるようになっていた。踏切も進化しているんだな。俺も進化してえな。この先、俺、彼女いない歴を更新し続けるのかな。

おっと危ない。俺は生徒を見送る役を仰せつかっていたんだ。右側にいた筈の彼女はどこだ?あれ?キョロキョロした。いた。ドキッとした。俺のことをニコニコしながら見ていた。

「なんか、うれしい」

マジで?!いやいや、この子は先生として俺を頼り甲斐に思っているだけだ。だから勘違いしちゃいけないのだ。

「え?!なんだって?!これで聞こえなかった!」と、カンカン音のせいにした。

そしたら、彼女、俺の耳に背伸びして、こう言った。


「先生に会えて、とっても、うれしいの」


そう言われて、男性が反応しないというのは逆におかしなことで、俺もその御多分に洩れずおおいに反応してしまった。でも、講師陣や塾長の“御法度だぞ”の顔が次々に浮かんできて、ついつい口をついて、

「何言ってんだ」

と言ってしまった。俺だってうれしいのに。

ホント、何言ってんだよ、俺。。。嘘でもいいからありがとうって言えないのかね。。。

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