第五章 喫茶店

第21話 夢と通話

 ――夢を見ている。

 そうはっきり自覚できる夢を、今、俺は見ていた。


 明晰夢めいせきむ、というやつだろう。


 こういう事は、たまにある。特に珍しい事ではない。しかし、今日のこれは、いつもよりその度合いが強い――気がする。


 今、俺がいる場所は葬祭場と呼ばれる場所で、隣には父さんが立っていた。


 視点はかなり低い。

 当たり前だ。今の俺は、小学校の、しかも低学年なのだから。


 会場内には、二十人程の人がいた。見知った顔もいれば、こういう機会でないと会わないよく知らない人物もいて、その顔ぶれは様々だった。唯一共通しているのは、全員が父さんの親戚、もしくは知り合いという事だろう。


 今日の式は、三回忌と呼ばれるものだ。式の出席者の数が少ないのは、そのせいかもしれないが、それでも片側の親族が一人もいないのはやはり異質だった。


 母さんの方の親族が、俺達の家族の事をよく思っていないのは、当時から何となく分かっていた。だから、この状況を、別に不審には思わなかった。ただ、少しだけ、寂しいとは思った。


 何人かの大人が、俺の隣に立つ父さんに話し掛け、俺もその度に挨拶をした。中には子供を連れた人もいて、そういう時は子供同士で挨拶あいさつさせられたりもした。


 若い女性が慌てた様子で式場に入ってきたのも、ちょうどそんな時だった。


「すみません。遅れました」


 黒のワンピースに身を包んだその女性は美しく、一瞬、会場上の視線がそこに集中した。


 彼女は本当に綺麗きれいで、これが映画のワンシーンで、俺達は皆、実はエキストラであると突然告げられても信じそうな程の存在感を放っていた。


 しかし、俺の視線は、そんな彼女よりも、その女性の背後に立つ、スーツ姿の男性――に連れられた女の子の方に向いていた。


 髪は長く、肌は色白。どことなく似た容姿が、女性と女の子が血縁者である事を一発で見る者に教えていた。


 女性が女優なら、女の子はお人形のようだった。


 可愛らしさの中にも美しさがあり、まるで魔法に掛けられたように俺の視線は彼女に釘付けになっていた。


 そんな俺の様子に気付いたのか、女の子が俺を見る。そして、にこりと微笑ほほえむと、こちらに向かって小さく手を振ってきた。


 ――やばい。


 何がやばいかは分からないが、その時の俺の頭の中は〝やばい〟という言葉でいっぱいで、思考はパンク寸前におちいっていた。


 それが、俺の初恋の記憶。

 叶う事はないだろうと心の奥底に封じ込めた、あわい思い出だった。




 少し前に流行はやった連ドラの主題歌が、俺を微睡まどろみから現実へと引き戻す。


 この音は……?


 はっきりとした夢を見たせいか、いつもより意識の回復が遅い。それに、思考もうまく働かない。まるで、まだ半分、意識が夢の中にあるような、そんな感覚……。


 とはいえ、この音を放って、このまま眠れる程、俺の神経は図太くない。

 耳元で鳴り続ける、何かに手を伸ばすと、なかば反射的にそれを握り、耳に当てた。


『もしもし、城島きじま君?』


 岡崎おかざきの声……? なんで? ……あぁ。スマホか、これ。


 なるほど。さっきまで鳴り響いていたのは、スマホの着信音で、今は通話中、と。


 現状を把握し、思考がいくらか働き始める。


 今日は何日だ? というか、何曜日だ?

 平日なら学校に行く支度をしないといけないが、休日なら別に焦る必要はない。

 ……今日は土曜。休日だ。だから、大丈夫。時間を気にせず、二度寝できる。何だったら、昼まで寝たっていい。


『城島君?』


 急に黙り込んだ俺を心配してか、岡崎が不思議そうな声を出す。


 ああ。そうそう。今は岡崎と電話中。だから、二度寝は出来ない。二度寝をするなら、電話の後だ。


「ぎょめん」


 起き抜けで呂律ろれつが回らず、変な言葉が口を突いて出た。


 口を意識的に大きく動かし、発声のウォーミングアップをする。


「ごめん。何だった?」

『もしかして、寝てた?』

「あ、うん」


 今さら誤魔化ごまかしても仕方がないので、正直に答える。


 というか、今の言葉が発せられた以上、寝起きでない方が逆に恥ずかしい。


『なんか、ごめんね』

「いや、別に大丈夫だから。で、何だった?」


 体をベッドの上に起こし、胡坐あぐらをかく。


 やはり、寝たままで通話するというのは、話しづらいし、見えないとはいえ相手にも失礼だろう。


『あ、えーっと……。今、みなととその辺をブラブラしてるんだけど。良かったら、城島君もどうかなって……湊が――ぁたっ!』


 妙な声の後、電話の向こうから、『いらん事は言わんでいい』という江藤えとうの声と『だってー』という岡崎の声が聞こえてきた。


 大方、江藤が岡崎の頭でもはたいたんだろう。まぁ、いいや。聞かなかった事にしよう。


『あぅ……。で、どうかな?』


 頭をさすりながら、上目づかいでこちらに尋ねてくる岡崎の姿が、電話越しながら、ありありと目に浮かぶ。


 さて、どうしたものか? 断る理由はないが……。


「いいよ。集合時間と集合場所は?」


 頭はまだ答えを出していなかったが、口が勝手に岡崎からの申し出を了承していた。


 まぁ、最終的にはOKする事になったと思うから、別にいいんだけど。


『え? いいの?』

「どうせ、ひまだしね」


 それに、岡崎からの申し出を無下むげにする事は出来ない。誰かの申し出なら、無下にするのかと聞かれたら返答に困るが……。


『じゃあ、城島君の家の近くの――』


 岡崎が指定した集合場所は、俺の家から歩いて三分程の場所にあるコンビニだった。全国にチェーン展開する、俺がよく行く所だ。


「分かった。時間は?」

『四十分後でどうかな?』


 三十分後でない辺りに、岡崎の配慮を感じる。


「うん。いいよ。じゃあ、それで」


 通話を終え、スマホを枕元に戻す。


 四十分か……。とりあえず、ベッドから降りなきゃな。


 立ち上がり、寝巻きから普段着に着替える。


 これから岡崎と会うという事もあって、少しお洒落しゃれなものを選んだ。当然、この前の物とは違う服装だ。


 その後、うがい、手洗い、洗顔を済まし、軽めの朝食を取る。


 電話終了からおよそ三十分。俺は出掛ける支度を済まし、家を後にした。

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