第三章 従兄妹

第11話 従妹と勉強

 五月二日。つまりは、ゴールデンウィークの初日。俺はなぜか、駅構内にいた。

 どこかに向かうためではない。人を迎えるためだ。


「ふわぁ……」


 欠伸あくびを噛み殺しながら、天井から吊るされた時計に目をやる。

 時刻は、午前九時三十分。


 定刻通りなら、もう電車はホームに到着しているはずだ。


 今日、俺がこうして待っている相手は、親父の弟の娘――つまり、俺にとって、父方の従妹いとこにあたる少女だ。名前は、城島きじま夏樹なつきという。

 年は十五で、俺と同じく先月高校に入ったばかりの成り立てほやほやの新入生である。


 俺と夏樹の関係は、三年前と少し前までは、年に一度、親戚の集まりで顔を合わす程度のものだった。顔を合わした時には会話はするが、その会話も毎年、探り探りの少しぎくしゃくしたもので、今思えば、夏樹相手になんであそこまで気を遣っていたのか……本当になぞだ。


 まぁ、小学生という生き物は、いかんせん、異性を意識するものなので、仕方ないといえばそれまでだが……。


 そんな俺達の関係が変わったきっかけは、一本の電話だった。

 あれは、俺が中学に上がってまもなくの頃だったと思う。少なくとも、ゴールデンウィークよりも前だった事は確かだ。


 夏樹から俺てに掛ってきた電話は、簡単に言えば悩み相談だった。いや、相談ではなかったかもしれない。あの時の夏樹が求めていたのは、おそらく、答えなどではなく、自分の悩みを聞いてくれる相手だったのだから。


 夏樹の両親は共に教師をしており、特に母親は彼女に対して一般的な家庭よりも素行や生活態度を厳しく監視した。その事が夏樹にとっては、苦痛だったらしい。しかし、そんな事、誰かに相談出来るわけもなく、一応、従兄いとこである俺に電話を掛けてきたというわけだ。


 話を聞いてもらった夏樹は、大分、すっきりした様子ではあったが、どこか未だ沈んだ様子だったため、俺はそんな彼女に一つの提案をした。それは、ゴールデンウィークになったら、一度、ウチに泊まりに来てはどうかというものだった。


 そんなに悩んでいるのなら、少し家から離れてみたらいいのではないかと思ったのだ。幸い、俺の家と夏樹の家はそれほど遠くなく、それでいて電車か車でないと行き来が出来ない距離なので、気分転換にはちょうどいいと、その時の俺は考えたのだった。


 結果的に、夏樹は俺の提案に乗っかり、それからというもの、夏樹は四日以上の休みがあると、毎回のようにウチに来るようになった。さすがに来過ぎではないかと思わないでもないが、そもそも、初めに言い出したのが自分である手前、そう強く言えないでいる。


 九時三十二分。ようやく、夏樹の姿を、改札の向こうに見つける。


 小柄な体に、左の高い位置で一つに縛られた長めの黒い髪。間違いない。奴だ。

 あちらも俺に気付いたらしく、笑顔を浮かべ、こちらに手を振ってきた。


 こんな表情は、初めてウチに泊まりに来た時は、とても考えられなかった。


 ……時間の偉大さを感じる。


 スカートは、私服ではかない主義らしく、今日も夏樹は、白いロングTシャツの下に、黒い短パンと、その例にれない格好かっこうをしている。


 どうも夏樹は、自分にはスカートが似合わないと思い込んでいるようだ。

 まぁ、確かに、夏樹には短パンがよく似合うが、だからといって、スカートが似合わないわけではない。スカートよりは短パンが似合うというだけの話だ。


 改札を抜け、夏樹が俺の元にやってくる。


孝兄こうにぃ、久しぶり」

「久しぶりって、先月、会ったばかりだろ」

「そうだっけ?」


 こいつ、とぼけやがって……。


 夏樹が俺の事を〝孝兄〟と呼ぶのは、少しばかり生まれの早い俺をしたって――いるわけではなく、単にからかって遊んでいるだけだ。


 夏樹が、俺の事をそんな呼称で呼び出したのは、確か、二回目にこちらに来た時だったと思う。呼び始めた当初は、からかう時にだけそう呼んでいたのだが、いつの間にか、呼び方がそちらに固定され、今、現在に至る。


「……」


 夏樹の手から鞄を取ると、俺は何も言わず、出口へと歩き出した。

 その横に、夏樹も普通に並ぶ。


「今回はいつまでこっちにいるつもりなんだ?」

「火曜日の昼には帰ろうかなって」

「そうか」


 今日が土曜日だから、今回の夏樹の滞在日数は四日間、か……。結構、長いな。


「もしかして、ゴールデンウィーク中、何か予定でもあるの?」

「いや、特には」

「じゃあ、大丈夫だね」


 何が〝大丈夫〟なのかは不明だが、今までの経験上、今日から三日と半日、俺が穏やかな休日を過ごせるわけがない事だけは明白だった。


「そういえば、孝兄のお母さんの法事、もうすぐだよね」

「……まさか、来るつもりか?」

「ダメ?」

「ダメじゃないけど……」


 来月行う法事は、十三回忌。参加するのは、本当の身内だけで、その数は十人にも満たない。そんな席に、夏樹は、どんな顔して参加するというのだろうか。


「でも、孝兄だって、日ごろ交流のない人達の中に、おじさんと二人で混ざるのは不安でしょ?」

「まぁ、な」


 確かに、不安がないと言ったらうそになる。


「で?」

「〝で?〟って、何?」

「当然、それだけが理由じゃないんだろ?」

「バレたか」


 夏樹の性格からして、それだけが理由ではない事は容易に分かる。


「今度の法事、孝兄の初恋の人も来るんでしょ?」

「……さぁな」


 そもそも、初恋の相手に対する俺の記憶は曖昧あいまいで、本当に以前行われた母さんの法事の時にその人と会ったのかも定かではないのだ。実際、本人に会ったとして、俺がその相手に気付くかどうかも五年以上経った今となっては、俺自身、何とも言えないものがある。


「とりあえず、親父に話はしてやるよ」


 親父も多分、夏樹が参加する事に対し、嫌な顔はしないだろう。


「ホント?」

「その代わり、おじさん達には、ちゃんと自分の口から言うんだぞ」

「うん。分かってる」

「あ、後――」

「孝兄の家に着いたら電話でしょ? それも分かってるって」


 言いながら、夏樹はその顔に苦笑を浮かべる。

 毎度の事なので、〝耳にタコ〟なのだろう。


「なら、いいけど」

「孝兄って、見掛けに寄らず、節介焼きというか過保護というか」

「何だよ、それ」


 江藤えとうといい、夏樹といい、一体、俺はどういう風に見ているんだか。


「そのままの意味だけど。見た目クールなくせして内面はすごくお人よし」

「悪かったな」


 自覚はないが、夏樹が言うなら、実際、そうなのだろう。


「ううん。そんな事はないよ。孝兄がいてくれたから、今の私があるって、本気でそう思ってるもん」

「夏樹……」


 いつになく真剣な夏樹の表情に、思わず、引き込まれる。


「ごめん。なんか、湿っぽくなっちゃったね。でも、感謝してるのは、本当だから。きっと、他の人も、私と同じ事、思ってると思う」


 苦笑混じりの笑顔。それが、妙に心に響いた。


「あれー。もしかして、照れてる」

「うっさい」


 そう言い放つと俺は、赤くなっているだろう顔を、夏樹に見られまいと、歩く速度を上げた。




「――孝兄、ちょっといい?」


 扉の向こうから聞こえてきた声に、俺は動かしていた腕を止める。


「あぁ。いいよ」


 手にしていたシャープペンをノートの上に放り、振り向く。


 程なくして扉が開き、淡い水色のパジャマに身を包んだ、夏樹が顔を出した。

 風呂上がりという事で、髪は解かれ、縛っていた時とは受ける印象が違う。実際、パジャマ姿になると夏樹は、なぜだが少し大人しくなる。


「もしかして、邪魔しちゃった?」


 机の上に広げられた教科書やノートを見て、夏樹が申し訳なさそうな声を出す。


「ちょうど、一息入れようと思ってた頃だったから、大丈夫だよ」


 嘘ではない。ただ、休憩が少し早まったのは、事実だが。


「でも、孝兄が勉強なんて、なんか変」

「失礼な。学生なんだから、普通、勉強くらいするだろ?」

「そうかもしれないけど……」


 とはいえ、夏樹の言いたい事も分かる。


 元々、俺は勉強が好きな方じゃないし、家でやる方でもない。それに加え、夏樹がウチに来ている間は、彼女の方を優先し、自分の事はあまりしてこなかった。


「高校生になって、気が変わったんだよ」

「ふーん」


 そう言って夏樹が、俺にいぶかしげな視線を向ける。


「何だよ、その目は」

「だって……」

「はぁー」


 まぁ、いいか。別に、隠さなければいけないような事でもないし。


「実は、生徒会に入ったんだ。俺」

「え? 一年で?」


 俺が中学時代に副会長をやっていた事は、夏樹も知っている。なので、俺が生徒会に入った事には驚きを感じていないようだ。


「何でも、共学一年目だから、それをアピールするためにも、男子を一人入れておきたかったらしい」

「で、勉強?」

「生徒会役員のくせに成績悪かったら、洒落しゃれにならんだろ」

「かもね。けど、大変そうだね」

甲斐がいは感じてるよ」


 大変だという事は、否定しない。しかし、押し付けられたわけでも、ましてや強制されたわけもないので、その事で誰かに文句を言うつもりはない。


「そういうわけだから、お前の事、あまり構ってやれないかもしれないけど、勘弁してくれ」

「別に、構ってもらおうなんて……」


 夏樹の言葉の後半は、「ごにょごにょ」としか聞き取れなかった。


「ま、勉強するのは、晩飯食べてから寝るまでの間だけにするつもりだから、日中は今まで通り、構ってやるからさ」

「もう。子供じゃないし」


 ほおふくらませつつも、夏樹の表情はどことなくうれしそうだった。


「明日はどうする?」

「明日?」

「どこか行くなら、付き合うけど?」


 すでに行きたい場所が決まっているなら、今の内にプランを考えておいた方がいいだろう。


「うーん。今の所、ないかな」

「そっか」

「出掛けたくなったら、明日言うよ」

「そうしてくれ」


 どうせ、ゴールデンウィーク中、俺に予定はない。夏樹がこっちにいる間は、極力、付き合ってやるつもりだ。


「あ、そうそう」


 何かを思い出したように、夏樹が言う。


「お風呂すすめにきたんだった」


 自分がこの部屋を訪れた理由を、いま思い出したようだ。


「親父は?」

「後でいいって」


 なら、先に入るか。


 ウチでは、二人しかいない事もあり、特に〝誰が何時に入る〟みたいな決まり事はない。気が向いたら入るし、相手が入っていたら待つだけだ。唯一の例外が、目の前のこいつで、夏樹がウチにいる間は、彼女に先に入ってもらっている。その方が、俺達も気楽なのだ。


 椅子いすから立ち上がり、ベッドの隅に畳んであった寝巻きを手に取る。


 寝巻きといっても、ちゃんとした奴ではなく、そのまま外に走りに行っても全然問題ない、短パンとTシャツで、夏場の俺は寝ているが。


「じゃあ、俺は風呂入ってくるから。部屋にいてもいいけど、本棚以外は触るなよ」

「はーい」


 夏樹を部屋に残し、俺は風呂場に向かう。


 時刻は、午後九時を回った所。風呂を出たら、後は寝るだけ。このまま、何事もなく、一日目が終わる――はずだった。

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