第9話 噂と弱音

 昨日の今日で、もう生徒達の間で俺に関する噂が広まっているらしい。

 そう確信を持ったのは、学校に近付き、俺に集まる視線が明らかにその量を増やし始めからだった。


 初めは気のせいと思える程度の視線の数だったが、学校との距離が近付くにつれ、俺への視線は次第に増えていき、最終的には無視できないレベルまでに増大していった。……唯一の救いは、その意識が一年生の間にまだ浸透していない事だろうか。


 南校舎の三階に着くと、俺は溜息ためいきを一ついた。


 視線が集中していない事がここまで素晴らしい事だったなんて、十数年生きてきて、今日、生まれて初めて知った。


 ここから先に二・三年生の教室はなく、俺に対し、過剰な反応を示す者はどうやらいないようだ。


「大変だね」


 隣を歩く岡崎おかざきが、俺の様子に心配そうな表情を見せる。


「まぁ、覚悟してた事だから」


 特にウチの学校の生徒会は、それぞれの役員にファンがいるくらい人気があるらしいから、生徒会に対する生徒達の注目度も高い。

 しかし、その意識は、まだ一年生には浸透していないようで、それゆえに一年生は俺に関する噂にそれほど反応していないのだ。


 というか、むしろ、噂にすらなっていないのかもしれない。話を小耳に挟んでも、その人止まりといったところだろうか。だが、それも教室となると話は別のようで……。


「おい、城島きじま。お前、生徒会に入ったって?」

「城島君、生徒会に入ったの?」

「城島」

「城島君」


 扉をくぐった瞬間、興味津々といった面持ちのクラスメイト達に囲まれる。それらに適度な対応をし、何とか自分の席まで辿たどり着く。


「大変そうだね」


 前の席のゆうが、椅子いすを後ろ向きにして俺の方を向く。


「教室の方は、昼には落ち着くと思うから」


 その隣の席の江藤えとうも、椅子を横向きにして俺の方を向いた。


「だと、いいんだが」


 辺りを見渡すと、俺の方に視線を向けているクラスメイトの何人かと目が合う。

 クラスメイトは皆一様に、俺と視線が合うと慌てて視線をらした。その行動に、少し寂しいものを覚えないでもない。


「にしても、二・三年生の騒ぎようは少し異常だね」


 優は、今日も朝練に行ってきたようだ。そこで、二・三年生の様子を見てきたのだろう。


「二・三年生にとっては、生徒会と言ったら雲の上の存在と言ってもいいぐらいの存在みたいだから、ある程度騒ぐのは仕方ないと思うけど……」


 江藤の言う通り、ある程度騒ぐのは仕方ない。だが、優の言うように、二・三年生の騒ぎようは少し異常だ。


「まぁ、ほとぼりが冷めるまで、出来るだけ二・三年生のいる階層には行かない方が賢明だろうね。昼は、僕がついでに孝の分のパンも買って来るよ」

「悪いな」


 こういう時、気ねがいらない分、優のような同性の友人は頼りになる。


「人の噂も七十五日。その内、熱も冷めるでしょ」

「そう願うよ」


 とはいうものの、実際七十五日も噂されては適わない。


「それにしても、何で急にこうが生徒会に入るなんて話になったの?」


 おそらく、皆が気になっていただろう事を、江藤が皆を代表する形で尋ねる。


「ああ。何か、共学になったって事で、男子生徒を一人生徒会に入れた方がいいんじゃないかっていう話が学校側から出て、それで生徒会経験もある俺にお誘いが来たっていうわけ」

「ふーん、こうってば中学でも生徒会に入ってたんだ」

「まぁな」


 別に、自分から話すような事ではないので、江藤にも優にもその事は伝えてなかった。


「城島君は、中学では副会長だったんだよ」

「へぇー、すごいじゃん」

「別に、凄くはないだろ」


 高校ならともかく中学の生徒会なんて、それなりの活動しかしていなかったし――


「だって、私なんて、なろうとも思わないから」


 なんて考えの奴が大半で、実際、競争率はさほど高くなかった。


「……それはめてるのか?」


 微妙に、生徒会役員なんて、なるものではないという風に聞こえるのだが。


「どう考えても、褒めてるでしょ。人のために働けるって事は、それだけで凄い事なんだから」

「孝にはそういうの、合ってるよね。人のために汗をかくって感じが」


 江藤の言葉に、優も便乗する。


「俺がそんな気のいい奴に見えるか」

「「「見える」」」


 三人の声がぴったりとそろう。

 優はさも当然というように、江藤は何を今更というように、岡崎は少し遠慮がちに、俺の問いにうなずいてみせた。


「本人か好きどうかは別として、孝にはそういうのが向いてるんだよ。今、噂してる人達も、その内その事に気付くんじゃない?」

「……」


 自身の評価と他者からの評価は必ずしも一致しないものだが、どこをどう見たら俺が人のために進んで汗をかくような人間に見えるというのだろうか。全く持って不思議だ。




 今日も書記の仕事が終わるとすぐに、俺は東雲しののめ先輩に寄って生徒会室の外に連れ出された。


「城島っち、それ終わったら、次、五階ね」

「はい……」


 新しい蛍光灯をはめ、脚立から降りる。


 この脚立を担いで、次は二階から五階に移動か……。考えるだけで、疲労がどっとと全身に押し寄せる。


 とはいえ、弱音を吐くわけにはいかない。この仕事を、東雲先輩は今まで一人で行っていたのだから。


 脚立を折りたたみ、肩に担ぐ。


「よし、行こうか」

「はい」


 東雲先輩の後に続き、廊下を進む。


 ちなみに、蛍光灯は、東雲先輩がまとめて脇に抱えている。古い物が入っている方の箱には、マジックで〝済〟という文字が書かれているので、一緒にしても間違える事はない。


「こんな事、東雲先輩は一人でやってたんですか?」

「まぁ、いつもってわけじゃないけど、大体はね。だから、城島っちが来てくれて助かっちゃった」


 そんな事を笑顔で言われてしまっては、頑張がんばる他あるまい。


 階段を六つ乗り越え、ようやく五階に辿り着く。


 この階で換える蛍光灯は一つ。廊下の中央付近にある物だけらしい。そして、これで今日は終わり、だそうだ。


 蛍光灯の交換作業も、十を数えるようになってくると、もうあまり考えずに出来るようになってきた。


 古い方を東雲先輩に渡し、代わりに新しい物を受け取る。それをきっちりはめて、最後にカバーを取り付ける。


「終わりました」

「お疲れー」


 脚立から降り、思わず床に座り込む。


 慣れない事を二日立て続けにして、体もそうだが、頭も疲れた。

 とりあえず、何はともあれ、まずは体力をつけなきゃな。こんな調子じゃ、東雲先輩の足を引っ張るばかりだ。


「本当にお疲れみたいだね」

「面目ないです……」


 苦笑を浮かべる東雲先輩を見上げ、軽く頭を下げる。


「後片付けは私の方でやっておくから、少しゆっくりしてきな」

「はい……」


 脚立を肩にかつぎ、軽い足取りで廊下の向こうに消える東雲先輩。


 相変わらず、パワフルだな、あの人。


 視線を下に向ける。


 ホント、情けないな、俺。生徒会唯一の男出なのに、この体たらく。こんな事なら、中学時代、部活やっときゃ良かったな。……あ。でも、部活をやっていたら、生徒会には入ってなかったか。それじゃあ、本末転倒だ。


「ん?」


 誰かが階段を登ってくる音に気付き、顔を上げる。


 東雲先輩が何か忘れ物でもして、戻ってきたのか? それにしては、足音が違うような……。


姫城ひめしろ先輩?」


 廊下に姿を現した人物を見て、俺は声をげた。


「城島君?」


 向こうもこちらに気付き、俺の名を呼んだ。


 足早に近寄る、姫城先輩がこちらに着くまでに、立ち上がり、身なりを整える。


「何してるんですか? こんな所で」

「俺は、蛍光灯の交換が終わって、少し休んでた所です。姫城先輩こそ、どうしたんです?」


 余程の事がない限り、こんな所に用などないはずだ。


「私は、上に用があって」

「上?」


 姫城先輩が指差す方を向くと、ここより更に上に続く階段があった。


「ああ……」


 屋上か。


「良かったら、城島君も来ますか?」

「いいんですか?」

「ええ」

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」


 どうせ、生徒会室に戻ってもやる事はない。少しくらい寄り道をしても、叱られはしないだろう。


 姫城先輩を船頭せんどうに、屋上に向かう。


 薄暗い階段を登り、扉の前へ。そこで姫城先輩が、何やらスカートのポケットから取り出す。


かぎ……ですか?」

「はい。屋上は、生徒会が管理する事になっていて、鍵もこうして生徒会長が管理してるんです。と言っても、本来は、生徒会室から持ち出してはいけないんですけどね」


 そう言って、姫城先輩は苦笑を浮かべる。


 へー。そうなんだ。


 執行部の事と言い、また一つ、学校について勉強になった。


 鍵を使い、姫城先輩が扉を開ける。

 その後に、俺も続いた。


 当然ながら、屋上には誰もいなかった。


「スピーチの練習をしたい時とか、一人になりたい時に、よくここに来るんです」


 そう言えば、初めてここで会った時も、その手には原稿が握られていたっけ。


「なんか、ここ。学校の中にあるのに、まるで全然違う空間のように感じません?」

「確かに……」

「ここに一人でいると、私は、生徒会長という肩書を忘れて、一生徒に戻れるんです」


 一生徒として学校にいる事。それは生徒会長という役職を与えられた姫城先輩にとっては、とても重要な事なのだろう。


「だから、私にとって、ここは秘密の場所なんです」


 振り返り、姫城先輩が笑う。


「そんな所に、俺なんかが来て良かったんですか?」

由佳里ゆかり志緒しおちゃんも、この場所の事は知ってますから。ほら、この前みたいな事があると困るでしょ?」


 そう言う姫城先輩の表情は、少し自嘲じちょう気味だった。


 なるほど。姫城先輩の姿が消えた場合、どこをさがせばいいかを誰も知らなければ、捜しようがないというわけか。


「それに、城島君は……」

「俺が、どうかしました?」

「いえ、何でもありません」


 姫城先輩が屋上の奥に進んだので、俺も続く。


「城島君は、生徒会に入った事、後悔してませんか?」

「どうして、そんな事を?」

「だって……」


 きっと、姫城先輩は〝噂〟の事を気にしているのだろう。


「朝、友達に言われたんです。人のために働く仕事は、お前に向いてるって。向いてるかどうかは分かりませんが、嫌いではないです、そういう仕事」

「凄いですね」

「え?」

「私は、時々思ってしまいます。どうして、こんな事やってるんだろう、って。そして、決まって、その後にそんな事を思った自分を嫌いになってしまうんです」


 驚いた。姫城先輩がそんな事を考えていた事にもだが、それを俺なんかに打ち明けてくれた事に。


「多分、城島君みたいな人が、本当は生徒会長には相応ふさわしいんだと思います。私なんかじゃなくて……」

「姫城先輩……」


 こんな時に、気の利いた台詞せりふ一つ言えないのか、俺は。


「すみません。けど、城島君が生徒会長に向いてるっていうのは、私の本心ですから。もしかしたら、私の在学中にその姿が見られるかもしれませんね」

「え? それって……」


 次期生徒会長は現在の生徒会長が決める。つまり、そういう事なのか……。まさかな。


「ところで、城島君はこの後、予定はありますか?」

「ありませんけど」


 生徒会の仕事が終わったら、後は家に帰るだけだ。


「じゃあ、少しお時間いただけますか?」

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