(2)

 嫌な夢から目が覚めた岳は、それから一睡もできないまま、学生の本分である学業を修める為に学校へと向かった。

 地域特有のゼロ時限目の授業を終え、その後のホームルームから昼休みまでの授業を、彼はいつも通り受けていた。

 しかし、その胸の内は平常通りとは到底言えず、授業にも全く集中できない中で、永遠とこれからの真琴との関係をどうするべきか、を考えていた。

 考えれば考えるほど、抱える頭は重くなっていき、机に突っ伏しては、我に返って元に戻るのを繰り返す。

 殺したいのに、殺す事ができなくなってしまった彼女を、自分はどうやったら救えるのか。


 ――もう、どうしようもなくないか……?


 乾いた笑いが出てしまうくらいに、解決する手立ても、何も思いつかなかった。

 それでも彼には決して投げ出す事などできない問題だった。


 彼女が苦しまない為には、誰かを殺してもらうか、彼女の起こす不可思議な現象自体を消滅させるしかないだろう。

 さらに後者の場合、その現象を消したとしても、彼女自身の殺人衝動が消えてなくなるとも限らない。


 ――今までどおり、僕を殺してくれれば、それで全部うまくいくのに……僕だけが我慢すれば良かった契約に、真琴さんの方が耐えられなくなるなん……て?


 心中でそう呟いて、どこかで聞いた事のあるような言葉だ、と記憶を探り出す。

 そして、見つけ出した言葉は、文化祭前日に新村麻衣に言われた忠告であった。

 

『笠嶋先輩が耐えられなくなる日が、そう遠くない未来に来るはずですよ』


 今の真琴の状態を予測していたようなその発言を思い出して、岳は、藁にも縋る思いで、今一度彼女の話を聞きたいと思った。

 言い寄ってフラれ、おまけに殺人行為を目の前で見せられた彼女は、彼を前にして、良い顔などしないだろう。

 しかし、そんなのには構っていられないほど、今の岳には余裕などなかった。

 思い立ったら行動は早く、昼休みになるのと同時に教室を出て、一年生のフロアへと足を踏み入れる。

 すると、廊下を彼の方に向かって歩く、見覚えのある坊主の一年生の男子を見かけて、すかさず声を掛けた。


「奥村くん!」


 その声で岳の存在に気が付いた彼は、爽やかな笑顔で頭を下げながら、距離を縮めてくる。

 背丈も横幅もがっちりしていて、坊主なおかげで彼が、光琴の彼氏である奥村亮一であると、岳もすぐに気が付いたのだった。

 一メートル以内の距離までくると、彼は元気に挨拶をしながら、尋ねかける。


「こんにちはっすー! どうしたんすか、椿本先輩? ここ一年生の階っすけど、光琴になんか用事でもあるんすか?」

「いや、光琴さんじゃなくて、新村さんの方に用があって……」


 それを聞いた奥村は、物珍しい顔をしながら、その名前を繰り返す。


「新村っすか? それなら、椿本先輩の後ろにいるっすけど?」


 そう言って奥村は、岳の背後の方を指差した。

 恐る恐る振り返ると、眼鏡を掛けた大人しそうな女子高生が、岳の方を睨みつけながら立っていた。


「……私になにか御用ですか?」

「ここじゃ人が多いから、中庭で話しても……?」


 彼がそう言うと、彼女は真琴に関する話であると察したようで、渋々ながらも中庭まで移動する事を了承する。

 奥村にお礼を言った後すぐに二人で中庭へと向かった。


 中庭のベンチに座るのと同時に、大きなお腹の音が鳴って、岳がきょとんとした表情で彼女の方を見ると、彼女は段々と顔を赤らめていった。

 

「ごめん。まだ、お昼ご飯食べてなかったよね……?」

「当たり前じゃないですか。まだ昼休みになったばかりですよ? 悪いと思ってるなら、早く済ませてください」


 そう言われて、岳もすぐに本題に入った。

 新村の言葉通りに、真琴が岳を殺す事に耐えられなくなった事実を伝えた。

 終わりが来る事を知っている口ぶりだった新村は、その事を耳にすると、少し驚いた様子で呟いた。


「そうですか。思ってたよりも早かったですね。私はてっきりもう一か月くらいはその関係を続けるものと思ってましたけど」


 彼女が何を基準にして、その期間を割り出したのかは定かではないが、今はそんな事を聞いている場合ではなかった。


「それで、先輩たち二人の問題を部外者である私に話して、何を期待してるんですか?」


 語気を強めながら話す彼女の、眼鏡の奥の鋭い目つきに圧倒されつつも、岳は彼女に話した理由を口にする。


「真琴さんが耐えられなくなるって分かってた新村さんになら、僕がこの先どうすればいいのか、分かるかと思って……」


 黙って聞いていた新村は、立ち上がって一歩前に足を踏み出して、岳に背中を向けた状態で話す。


「私は予言者でもなんでもありませんから、先輩が何かをすることで、笠嶋先輩が元に戻るなんてことは分かりませんよ。ただ、私が先輩に一つだけ言えることがあるとするなら、みぃちゃんが先輩に言ったことと同じです」


 彼女はくるりと岳の方に振り向いて、ベンチに座っている状態の彼を見下ろした。


「笠嶋先輩とは潔く別れてください。そしてできるなら、彼女の目の前から消えてあげた方が良いと思います」

「僕が、真琴さんのことを苦しめてるって、そう言いたいの?」


 分かっている事をあえて、彼女に聞いたのは、彼がそれを認めたくない事の表れでもあった。

 そして、彼女は彼の問いかけに頷く。


「そうですよ。分かってるじゃないですか。笠嶋先輩も確かにおかしな人なんですけど、その一端を担ってるのが、先輩自身であることを自覚してますか? 先輩が何の抵抗もせずに、殺されるのを受け入れてることで、笠嶋先輩をおかしくしてるんです。だから私は、二人が別れることが、一番賢明な選択だと思います」


 彼女の言う通り、今の真琴を苦しめているのは、紛れもなく岳の存在が大きかった。

 その気がなくとも、無抵抗な彼の行為は、彼女の殺人衝動を助長させてしまっている。

 だから彼女は、岳に真琴の前から消えるように助言し、岳も、納得はできなくともその助言を黙って受け入れるしか、彼女を苦痛から解放する手段はないとそう思っていた。

 しかし、そう簡単に割り切って受け入れられるほど、彼女と過ごした時間は、短くも軽くもなかった。


 真琴と別れた場合、彼女の視界にも極力入らないように生活していく事になるだろう。

 そして真琴は、岳ではない別の男性を殺す事で、自らの殺人欲求を満たしていく事にもなる。


 ――真琴さんが、僕以外の誰かを殺す……?


 その光景を想像するだけで、岳は自らの胸が苦しくなって、動機もひどく感じられる。

 もはや、彼女に殺される事と付き合う事の優先順位が逆転しているようにも思えた。


 ――僕だけを殺してほしい……


 自分以外の男を殺さないでほしいと頼んだ時とは明らかに言葉の重みが違った。

 本当に心の底からそう願っている自分がいて、エゴが滲み出るような言葉を心の中で発した自分を軽蔑する。


 ――真琴さんを狂わせてるのは……僕か……?





 自問した瞬間に、答えはちゃんと返ってきた。

 同時に湧き上がってくる感情に耐え切れずに、岳は嗤った。


「ハハハハ……」

「……先……輩?」


 急に頭を俯き加減にしながら嗤った彼を心配するように、新村はその顔を覗き込む。

 しかし、次の瞬間に顔を上げた岳は、普段通りの表情で、いらぬ心配に新村は、少しだけ損した気分になった。


「もうお昼食べに戻っても良いですか?」

「うん。新村さん、ありがとう」










 放課後。

 殺されはしなくとも、もう数学科準備室へと行くのが習慣になっていた岳は、ノックしてからその扉を開けた。

 真琴も同様に、その室内で黙々と勉強しながら、彼がここへ来るのを待っていた。

 部屋に入るなり、机を挟んで彼女と対面するパイプ椅子に腰を下ろした岳は、早速、話を始める。


「僕は、苦しむ真琴さんの姿を見ながら、放課後の時間を過ごしたくない。だから、真琴さんを救う為にも、殺人衝動と意味の分からない現象を作り出した元凶を消し去ってしまえば、全部うまくいくと思うんだ」

「元凶……?」


 勉強していた手を止めて、不穏な空気に顔を上げる真琴は、不審なものを見るような目で、岳の事を見つめる。


「そう。真琴さんを中学の時に襲った男を――――僕が殺してしまえばいいんだ」


 それを聞いた彼女は、目を見開いた後、悲しそうにため息を吐いてみせた。


「何を言ってるの、ツバキくん?」

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