(13)
岳は午前中、予定通り、クラスの出店で、色んな作業を忙しそうにこなしていた。
彼のクラスでは、校舎の中ではなく、その横に併設された複数のテントの内の一つで、チュロスを販売している。
作業の内容は様々で、冷凍のチュロスをオーブンで温めたり、買いに来た人へ接客をしたり、お店の周りで宣伝したりと皆、慣れないなりに一生懸命にやっていた。
岳もクラスメイトの手を借りたり、貸したりしながら協力して、取り組んでいた。
クラスメイトでローテーションで回す事になっていた為、午後からは売店で作業する必要もない。
真琴も午後からはないようで、約束通り、二人で文化祭を回る事になった。
文化祭のパンフレットとにらめっこしていた彼女は、甘い匂いにつられて、移動していく。
それから校舎の横のテントゾーンの甘い物巡りが始まり、岳はそれに付き合わされてると言っても過言ではなかった。
それに対する不満は彼にはなく、むしろ機嫌はすこぶるに良かった。
何故なら、甘い物を頬張って喜ぶ可愛い彼女の姿を特等席で見る事ができるからだ。
「ツバキくん! あそこのお店も行ってみようよ! 早く!」
そう言って、指差した方向へと行こうとする彼女は、後ろからゆったりとついて来ようとする彼の手を無理やり引いて向かう。
彼女に引っ張られながら辿り着いたのは、タピオカミルクティーのお店だった。
抽選に漏れてしまって自分のクラスでは出せなかった恨みなど、とうの昔に消え去ってしまったのか、彼女は速攻で店員に二つ分の飲み物を頼む。
「はい!」
出来上がったものを笑顔で岳に手渡すと、彼女は自分の分を美味しそうに味わっていた。
笑っている彼女を微笑ましく見ていた岳は、頭では彼女の胸の内について考えていた。
昨日の新村の言葉を彼女自身、どう受け止めたのかがとても気になっていた。
岳と真琴の関係は、近いうちに終わりが来る。
それを聞いた時の彼女は、岳には怒っているようにも見えたが、今の彼女の表情から微塵もそんな感情は読み取れない。
最高に文化祭を楽しんでいる彼女の様子を見ていると、色々と考え込んでいる自分が馬鹿らしく思えてくる。
――僕も今は楽しもう……!
そう決意した岳は、心の中でこう続けた。
こんな日々もすぐに終わってしまうかもしれないのだから、と。
「なーに難しそうな顔してんの?」
真琴以外の女子の声が横から聞こえて顔を向けると、首元まで髪の毛を伸ばした女の子がそこにいた。
名前は木下
そんな彼女がこんなところで油を売っている事に驚いた岳は、声を上げる。
「なんでいるの!? チュロスの方は!?」
「チュロスはもう一人に任せて、文化祭楽しんでるだけだよー? ほら、まーちゃんこっちむいて!」
構わず真琴の写真を撮り始める木下と、それに笑顔で応じる真琴。
二人の自由な姿に、色々と悩んで眉間にしわが寄っていた岳の表情も、自然と柔らかくなる。
木下も加わって、真琴と二人きりでの楽しい文化祭デートとはいかなかったが、岳も彼女たちと一緒になって文化祭を楽しんだ。
中庭に設けられたステージで演奏されていたコピーバンドのライブを聴いたり、文化部の展覧会を覗いてみたり、甘い物の出店を回ったりと、様々な事で盛り上がった。
やはり、大半を占めていたのは、真琴による甘い物巡りで、見つける度に買って食べている彼女の姿に、岳も驚いていた。
――真琴さんの胃袋って無限なんじゃ……?
岳もドン引きするくらいの量を美味しそうに食べていた。
木下と三人で回っている時間はあまりなく、序盤でクラスの人に連れられて、文化祭の委員の仕事を全うしに戻った為、多くの時間二人で文化祭を巡っていた。
その間に、多くの人が二人に視線を向けては、コソコソと何かを噂するような素振りを見せていた。
多分、彼女と一緒に歩いている事が気に食わないのだろうと思い、岳はそれを気にしていたが、彼女の方は気にしてはいなかった。
「真琴さん、僕と一緒にいて楽しい?」
ふと彼女に尋ねかけてみると、彼女は岳の方を見る事もなく、淡々と応えた。
「ツバキくんは私と一緒にいて楽しくないの?」
答えではなく、ただの岳の質問を聞き返したものだったが、それは彼の質問を肯定しているようにも受け取れる。
校舎の四階の廊下を歩いていた岳は立ち止まって、つられて彼女も歩くのをやめて岳の方を見た。
文化祭も終わりに近づいてきて、あれだけ人でごった返していた外も、窓から見下ろす景色の中では人の足も疎らになっていた。
ましてや校舎の四階など、人は数人ほどしかいなかった。
上から見下ろしてみようと彼女をここまで連れてきたのは岳だった。
窓を開けて風で髪の毛をなびかせながら空を見る真琴。
「真琴さんと一緒に文化祭まわれて、本当に楽しかった! でも、僕はやっぱりそれだけじゃ満足できないみたいだ……」
制服のズボンのポケットからスマートフォンを取り出して、手首を回転させて腕を上げずに画面に目を向ける。
その様子を訝しげに見ていた彼女は、彼の言動から何かを察したのか、呆れるようにため息を吐いてみせた。
「まだ私を救おうだなんて、くだらないこと考えてるの?」
「最初は僕もそのつもりだったんだ。でも、今は少し違う気がする……“彼”の話を聞いてから、“彼”を真琴さんに会わせることが僕の使命なんじゃないかって思ったんだよ」
使命だとか大それた事を言い始める岳。
それよりも真琴は、岳の言う「彼」という存在を想像できなかった。
一体どんな人物なのか、見当もつかず、同時に寒気のようなものも感じていた。
そして、先週から岳が忙しそうにしていたのは、この為だったのかと納得する。
「会わせなきゃいけないってそう思ったんだけど、真琴さんにとっては、ただ苦しいだけかもしれない。もう向き合いたくもないかもしれない。だから、これはただの僕の自己満足だと思ってほしい。そして、恨むなら僕だけを恨んでほしい」
そう言い切って、岳はスマートフォンの画面を少しいじった後に、それを耳元に当てて、今自分と真琴のいる場所を電話の相手に説明し始める。
電話の相手はもう既にすぐ近くまで来ていた。
その為、彼女とその人物が邂逅するのに時間は掛からなかった。
岳の様子を黙って見ていた彼女の表情が変わっていく様を、岳は目の前で見ていた。
最初は目を見開いて驚いているような表情で、その後、目を細めて愛おしく思うようなものに変わって、最終的には目に涙を浮かべていた。
岳が振り返ると、田辺くらいの背丈の大きな好青年が、携帯電話を片手に持って立っていた。
違う高校の制服を着た彼は、紛れもなく、岳が電話をしていた相手と相違なく、二人は数日前にも顔を合わせていた。
その時、文化祭一日目の今日この日に、真琴と会ってもらうように頼んでいたが、彼女にはその事を一切話してはいなかった。
真琴がどういう反応をするのか、岳にも、そして、彼にも分からなかった。
真琴にとっての彼の存在は、岳で言うところの安久に近かったが、全く同じではない。
固唾を呑んで見守る中、彼女は自らの両手で顔を覆い隠しながら、膝から崩れ落ちる。
それに反応したのは岳も、男子高校生も同じで二人で彼女の体を支えようと近づいた。
実際に、支えたのは岳だけで、男子高校生の方は、支えそうになった手をゆっくりと引っ込めていった。
そして、彼女は、掠れて聞こえないくらいの小さな声で、一言呟いた。
「――――――――ごめんなさい」
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