(9)

 文化祭の開催まであと二日。つまり、新村の指定した期限まであと二日。

 今日の午後からの授業時間は文化祭の準備の為に割かれ、開催前日である明日は、終日、文化祭の準備に充てられる。


 岳のクラスでも、売店の準備が着々と進められていた。

 看板などに何かと役に立つ段ボールを近くのスーパーに貰いに行く人もいれば、看板のデザインを考える人、当日一緒に販売するペットボトル飲料の買い出しに行く人もいる。

 クラスの人間それぞれに役割が与えられており、岳も田辺含む数人と共に、駅の商業施設に足を運んでいた。

 隣のテントとの境を作る暖簾や、何に使うのか不明なビニール袋などの買い出しを任されていた。

 買い物を進めていく中で、岳の隣で歩いていた田辺が、ふと口を開く。


「なんかさ。文化祭に乗じてリア充が増えてきてねえか?」

「そうかな?」


 岳が田辺の言葉に疑問を唱えると、田辺は不機嫌な表情で、岳の顔を睨みつけた。

 このままでは物凄い形相で責め立てられそうだ、と思った岳は、彼を宥めようと声を出す。


「でも、お前だって毎日ゲームで充実してるだろ? そういう意味ではリア充なんじゃないの?」

「確かに。じゃあ、俺もリア充――――ってなるか! いいよなあ! お前には彼女いるもんなあ!」

「だったら、彼女作ればいいだろ?」

「やだね。俺は彼女よりゲームがしてえんだよ」


 ならば文句を言う事もないだろう、と岳は呆れた眼差しでゲーム好きな友人を見ていた。

 その視線が気に障ったのか、田辺は岳の首筋に腕を回して、固め技をしようと顔を近づける。

 

「ちょっ! 痛――――ん?」


 固められる前から言葉を発していると、全く固められてない事に気が付いて、岳は田辺の方に目を向けた。

 先ほどとは一転して、真剣な表情に変わっていた彼に、何を聞かれるのか、と岳も気を引き締める。


「で、どうなんだよ? 最近の調子は?」


 彼が聞いているのは勿論、岳と真琴の関係について、だった。

 岳もそれを分かってはいたが、敢えて見当違いな返答をする。


「調子? まあ、元気だよ?」

「あのな。そんなしょーもないこと聞いてんじゃなくて、お前と笠嶋のこと聞いてんの! わざとやってんだろ!」

「あはは……バレた?」


 苦笑いする岳の目にちょうど、買い出しに来ていたクラスの女子たちの姿が映り込む。

 その中に一際、存在感のある女子高生の姿を捉えた。

 スラリとした長い手足に、サラサラな長い髪の毛。笠嶋真琴の大きな目が岳の方を向いた。


「どうもこうも……――――」


 彼女は、岳に向かって笑顔で手を振りながら、「ツバキくん」と声を上げる。

 それに、応えるように岳も少しだけ手を上げた。

 そんな二人の様子を岳の隣で見ていた田辺は、物凄く嫌そうな顔をしていた。


「――――こんな感じだよ?」

「は? 流石にこれはないだろ」


 田辺は彼の肩から手を放して、彼と一歩距離をとりながら、きっぱりと否定する。

 真琴が男性を避けてきた事を知っている者からすれば、受け入れがたい光景なのは間違いなかった。


「笠嶋があんな風に男に向かって! しかも笑顔で!? 「ツバキくーん」って言いながら手を振る!? ありえねえだろ!?」

「でも目の前で、あり得ているわけだけども……?」


 岳の言う通り、目の前でそうなってはいるのだが、やはり事実をそのまま飲み込めない田辺は、頭を抱えてみせる。

 そして、彼はもう無理やり受け入れてしまう事にした。


「あーもうわかった。笠嶋とはうまくいってるんだな? なら良かったよ。このままずっと仲良く付き合ってくれれば、こっちとしても、心配しなくてすむんだからな」

「あら? 田辺くんは、私とツバキくんの仲まで心配してくれていたの? それはどうもありがとう」


 いつの間にか自分の目の前にいた真琴に、田辺は「うげっ!」と変な声を上げながら驚く。

 隣にいた岳も、彼女が話し出すまで、その存在に気づかず、足音も気配も無かった事に目を見開いた。

 田辺はちょうど良いとばかりに、敵対心を剥き出しにしながら、彼女と会話をする。


「前まで男には自分から進んで近づかなかったくせに、ずいぶんな変わりようじゃないか? ガクのおかげでそうなれたんなら、よかったな」

「そうね。ツバキくんには感謝してるわ」


 対して、真琴は余裕そうな表情で淡々と答える。


「そうかよ。なら、これからも仲良くしてやってくれよ」


 田辺はそれ以上彼女と会話する事が嫌なようで、早々に退散しようと、一緒に来ていた同じクラスの男子を引き連れて、その場を離れようとする。

 岳も彼らについていこうと歩き出した時、真琴に制止させられてしまった。


「ツバキくん。期限までもう日にちがないけれど、大丈夫? あれから結構忙しそうにしてたでしょう?」


 彼女の言うように、岳も色々な用事を済ませてきた事もあって、ここ一週間、忙しい日々を送っていた。

 だからと言って、新村との一件について、何も考えていなかったわけではなく、まさに今日、彼女に話しを聞いてもらおうと思っていた。


「その件で今日は話があるんだけど……放課後、いつも通りで良いかな?」

「うん。じゃあ、待ってるね」


 真琴と別れた岳は、すっかり機嫌の良くなった彼女にほっこりすると共に、一抹の不安を覚えていた。

 不機嫌だった事を指摘して以来、彼女は無理やり、自分の機嫌をよく見せようとしている。

 その無理がいつしか暴発してしまわないか、と危惧しているのだった。

 

 ――無理して手まで振ってくれなくてもいいのに……こっちとしては、可愛いからありがたいんだけどさ。


 機嫌が良い今のうちに、無理なお願いを聞いてもらっておいたほうが良いのではないか、という考えが岳の頭に過ぎる。

 願望は色々あるが、せっかくの文化祭なのだから、何かしらのコスプレをした彼女の姿を見てみたかった。


 ――メイド服とか……やば、今変な顔してるわ……


 流石にそれをやってしまうと、彼女との関係が完全に破綻しかねないので、心の中と妄想だけで留めておく事にした。





 午後から行われていた本日分の文化祭の準備が終わり、岳と真琴も数学科準備室へと向かう。

 幸いな事に、この部屋が模擬店などで使われる事は無く、鍵を開けて中に入るといつも通りの光景が広がっている。

 文化祭の色に染まりつつある他の教室や校舎とは違って、長机とパイプ椅子、棚にずらりと並べられた数学の参考書があるだけの、変わりのない倉庫のような一室だ。

 勉強の為にその場所を訪れた訳でもない男女が、一体何を始めるのかというとそんなものは決まっている。

 彼女が彼の事を殺すのである。



「おかえり。ツバキくん」


 彼が死から目覚めた時はいつも、彼女のその言葉を耳にする。

 そして、自分がまだ生きているという事を実感するのもまた、彼女の言葉を聞いた瞬間だった。


「それで、話っていうのを教えてくれるかな?」


 殺された感触がまだじんわりと体に残っているというのに、彼女は気にもしないで尋ねかける。

 岳も慣れたもので、要求通り、彼女に話そうとしていた事を口にし出す。


「……うん。明日。文化祭の一日前だけど、ここに新村さんを呼んで話の決着をつけようかと思ってるんだ。多分、文化祭当日みたいに外部の人もいないし、そっちのほうが何かあったとしても、混乱は避けられると思う」

「それは良いと思うけれど、彼女応じてくれるのかな? とても聞く耳持ってくれるような状態ではなさそうだったけれど……まあ、それは良いとして、解決の方法は? どうするつもりなの?」


 彼女に尋ねかけられた岳は、一瞬、言うのを躊躇う素振りを見せる。

 そんな彼を彼女はじっと、真剣な面持ちで見つめ続けた。

 その表情に、彼女は自分を信じてくれている、と思った岳は、思い切って、話し出す。


「真琴さんにも協力してもらいたい。多分……うーん、どうだろう? 無理なお願いになっちゃうかもしれないんだけど……僕が真琴さんの能力について考えてることを話してみてもいいかな?」

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