放課後、私は先輩に告白する。

 小学生の頃の新村麻衣は、どこにでもいる普通の女の子だった。

 それが、ある日を境に普通ではなくなってしまった事もまた、彼女自身、自覚していた。


 岳と一緒に帰った際、彼に話していたように、新村にはとても親しい、幼馴染の男の子がいた。

 霧林きりばやし けい

 彼とは、幼稚園から小学校まで、同じ時を過ごし、家族同士の交流もあった。

 そして、彼女にとっても大切な存在であった彼は、突然、彼女の前からいなくなってしまった。




 新村が小学校五年生の時の事だ。

 それは、太陽の日差しの強い、夏に差し掛かる手前の暑い日の出来事だった。

 風が強い事で暑さは緩和されていたが、そのせいで巻き上げられた砂埃は、子供たちの視界を奪っていた。

 そんな外で活動するには適していない日に、新村のクラスでは、体育の授業でサッカーをする予定だった。

 霧林と新村は同じクラスで、その日のサッカーでも同じチームになった。


 彼女は運動があまり得意ではなかった。

 自分でも自覚していたし、周りの子供たちもそう理解していた。

 そして、彼女は、同じチームの男子からゴールキーパーを押し付けられそうになっていた。


「やだよ! 私、キーパーやりたくない!」

「でも、新村が他のとこやったって邪魔なだけじゃん。ねえ、キーパーやってよ」


 キーパー用のグローブを彼女に渡しながら、数人の男子がそう頼み込む。

 新村は首を横に振って、必死になってそれを拒んでいた。

 女子も男子もその様子を黙って見守るだけだったが、一人の男子が、新村と男子の間に割って入っていく。

 男子が、彼女に押し当てていたキーパーグローブを取って、彼は言う。


「じゃあ、俺が代わりにやるよ。麻衣がキーパーやるとメガネも危ないし」

「けいちゃん……でも、わたしのせいで……」


 優しい霧林の姿を見ながら、新村は自らの拳をぎゅっと握り締める。

 彼は、彼女とは反対に、とても運動神経が良く、体育の授業もいつも楽しそうに走り回っていた。

 その姿はとても輝いていて、そんな彼の邪魔になっている自分が、彼女は許せなかった。

 下唇を噛む彼女の頭を、彼はポンと叩く。

 彼なりの慰め方に、不満があったわけではないが、彼女は自らの顔を俯けてしまった。


 彼にとって自分が、足手まといの存在である事を、彼女は知っていた。

 そんな自分が嫌で、彼と距離を置こうとするが、彼は彼女の助けになろうと近づいてくる。

 彼の優しい対応は、彼女だけでなく、彼の周りの誰に対しても平等に行われていて、故に、彼は学校の人気者だった。


 逆に、自分はあまり人から好かれていないと、彼女は自覚していた。

 彼女は、雲の上のような存在である彼と一番近い距離にいる。

 ただ、それだけの理由だったが、それだけで十分な理由だった。

 彼に気がある女子には問答無用で嫌われ、彼の人気をよく思っていない人間には男女問わず、いつも近くにいるというだけで煙たがられる。

 それくらいに、彼の影響力は良い方にも悪い方にも凄まじかった。


 小学校低学年までは、彼に気のある女子と同じように、彼女も彼の事を意識していた。

 しかし、段々と彼の特別さと自分の平凡さに気が付いてきて、気持ちが離れていった。

 彼と自分は不釣り合いなのだと、彼女はそう思っていた。



「これでいいよな?」


 グローブを持った霧林は、彼女にキーパーを押し付けようとしていた男子に向けて、釘を刺すようにそう言い残して、サッカーゴールの方に向かって行った。

 悪者のように扱われてしまった男子が、彼の行動をよく思うはずもなく、彼女と同様に拳を握り締める。

 自分のせいで、彼の株が上がっていく事に少々の苛立ちを覚えた男子は、足元にあったボールを彼に向かって蹴り上げた。

 不幸にも、砂埃に視界をとられていた霧林は、自分の方に向かってくるボールに気が付かず、ボールは彼の顔面に直撃し、そのまま地面に倒れ込んだ。

 その時に聞いた、地面に頭が激突する鈍い音は、今の新村の耳にも鮮明に残っている。 

 地面に倒れる際に、頭を強打した彼は、帰らぬ人となってしまった。


 倒れたまま一ミリも動かなくなった彼の事を、彼女は青ざめた顔で見ていた。

 そして、彼の死を知った時、彼女の生気は完全に無くなっていた。


 いつも隣にいたはずの彼が、冷たくなって、もう二度と目を開ける事のない人になってしまった。

 その事実は彼女を絶望させるには十分すぎた。

 あんなにも愛おしかった人が、もうこの世には存在しない。


 ――私は……けいちゃんのことが好きだった……?


 小さい頃から小学校低学年まではそうだったかもしれないが、最近はそうじゃなかった。

 自分とは全く違う、特別な彼を疎ましくさえ思っていたはずだ。

 でも、本当にそうだったのか、と彼女は頬を伝う涙に問いかける。


 ――私は……けいちゃんのことが好きだった……


 彼が死んで、胸にぽっかりと大きな穴が空いてしまったような感覚がする。

 彼女はそんな状態に耐えられず、何かで埋めたいと思ってしまった。


 この穴を埋める事ができるのは、彼だけだ。


 彼女がそれに気づいた時、彼女は、自らの好きなものはそれだと決めつけた。


 ――違う……私は、けいちゃんじゃなくて、死んだけいちゃんだから好きなんだ……


 彼女は、自らの胸に空いてしまった穴を、亡くなった彼が好きだと曲解する事で、埋めようと思った。

 しかし、その穴はそれだけで完全に埋まり切る事は無かった。

 死体である彼でさえも、彼女の傍にはいなかったから。


 それからずっと、彼女は自らの胸に空いた穴と向き合ってきた。

 どうしたら、きっちと隙間なく埋まってくれるものなのか、考えながら生きてきた。

 そんな中で、彼女は光琴と待ち合わせしていたカフェで、真琴と木下が話しているのを偶然、耳にする。

 真琴と岳が殺し殺されの関係にあるという信じがたい話だったが、それを聞いた彼女は閃いた。


 死んだ彼を好きになって、空いた穴を埋めてしまえばいいんだ、と。


 もはや、勘違いであろうとも、彼女は死んだ人間に恋い焦がれていた。

 その相手が、霧林でなくとも、死んでいれば誰でもいいと思った。

 どういう理屈で学校の先輩の二人が、殺し殺されの関係を生きたまま続けているのかは分からないが、岳ならば、普通の人よりは、死ぬのには慣れているだろう。

 新村にとって岳は、都合の良い人物である事は確かだった。

 そして、光琴と彼の話し合いに同行し、彼と対面した彼女は、死んだ彼と付き合う決心がついた。


 彼と自分は、とても似ている。そう新村が思ってしまったのも無理はなかった。

 真琴は完璧に近い女子高生で、対して岳は、自分の事を何も無い人間で、彼女とは到底、釣り合わないと自覚している。

 それはまさしく、新村と霧林の関係に近かった。

 なのに、真琴と岳の二人は幸せそうに生きて、しかも付き合っている。





「ずるいですよ……先輩だけ」


 岳と二人で帰った駅からの道。例の橋で岳と別れた後、彼女は、一人で呟いた。

 それは間違いなく、二人への嫉妬だった。


「私はこんなにも、先輩を愛そうとしてるのに、どうして……」


 ギリギリと奥歯を噛み締める。

 ただ、彼女は嗤っていた。

 うまくいかない、思い通りにならない状況を、彼女は心底、愉しんでいた。


 小学校の頃から、悪役には慣れている。

 それをあの二人の前で演じればいいだけだと、自分に言い聞かせながら、彼女は独りでに口を開く。


「待っててくださいね、先輩。私と、幸せになりましょう……?」


 たとえ自己中心的な、エゴイズムであったとしても、彼女は、死んだ岳と付き合うつもりでいた。

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