(7)

「そう。それで、ツバキくんは新村さんと付き合わないの?」

「ん? 話聞いてた?」


 率直な感想が口から飛び出てしまった。

 それ以上、彼女の機嫌を損ねるような、変な発言が出てこないように、岳は口を噤んだ。

 だが、彼がそう口走ってしまうのも無理はない。

 彼にとっては死活問題で、真剣に話していたのに、そんな彼の真剣な気持ちが、彼女に伝わっていないのかと思っていた。

 彼女自身はいつも通り、淡々とした様子で、彼の発言を気に留める事もなく、言葉を続けた。


「でも、彼女とツバキくんが付き合わないと、私が巻き込まれるんでしょう? だったら、ツバキくんはそうするしかないと思うのだけど。それとも、私に死んでほしい?」

「いや、真琴さんに死んでほしいわけじゃなくて……誰も死ななくて済むような、良い解決方法を探してるんだよ」


 彼の言葉に、真琴は持っていたシャープペンシルをくるくると回しながら、思案する。

 体の一部でも動かしながら頭を使う事は、効率が良いとは聞くが、彼女は無意識のうちにそれを実践しているのかもしれない。

 岳が、彼女の行動を深読みしていると、何かを思いついたのか、彼女は口を開く。


「文化祭の日まで待ってくれるのは、ツバキくんに考える余地を与える為だったのかな? 私だったら、そんな時間与えずに、問答無用で、ツバキくんを殺してしまいそう」

「ははは……まあ、あのまま彼女と話してても収拾がつかなくて、しょうがなく、期限決めた感じだったけど……確かに、僕に時間をくれたのかもしない」


 新村ではなく、真琴であったなら、彼女の言葉通り、そんな時間は与えてはいなかっただろう。

 岳もそう思って、半笑いで答えたが、本当に真琴だったなら、そうなるのかを少しだけ考える。


 新村と同じように時間を与えるか、きちんと情報を提供した上で、相手に納得してもらうか。

 そのどちらかの方法をとっていたようにも思えた。

 彼女は、自分の思っているよりもずっと優しい人だと、岳は知っていた。 

 そして、時には、その優しさは、自責の念を生み出してしまう原因でもあった。


「新村さんは……私のせいで、そうなっちゃったのかな? あのカフェで、私とツグミの話を聞かなければ、ツバキくんにとっての彼女は、ただの可愛らしい後輩だったのに」


 ペンを回していた彼女の手が止まった。

 俯き加減になった彼女の表情を見られず、岳は彼女の心情を表情から推し量る事ができない。

 それでも、真琴が、自分自身を責めているであろう事は分かっていた。


 新村がおかしくなってしまったのは、自分のせいだ。

 確かに、真琴と木下の会話を新村が聞いていなければ、新村が、岳に対して、無理難題を吹っかけてくる事もなかったかもしれない。

 しかし、それは、推測の域を脱しない話だった。

 新村がその場にいなかったら、どうなっていたかなど、誰も知る由もない。

 だから、彼女が、自分の責任であると思う必要は、どこにも無かった。


 岳がそんな彼女の事を慰めようと、口を開こうとした時、彼女は顔を上げた。

 少しだけ笑っている彼女の表情を見た彼は、自らの開きそうになった口を閉じた。


「私の周りは、みんな、おかしくなっちゃうんだ……でも、それってさ、私の傍にいるツバキくんも例外じゃないよね? ツバキくん自身もおかしくなってるって気づいてる? みんなと同じように、私の影響を受けて。しかも、一番近くで、頻繁に私と一緒にいるんだから、新村さんよりもヒドイことになってそう」


 彼女の言葉を聞いた岳は、唾をごくりと呑み込んだ。


 ――僕が新村さんよりおかしい……?


 毎日の放課後、真琴に殺されているという異様な経験をしてはいるが、岳は、自分が新村ほど狂っているとは思えなかった。

 彼は、彼女の発言を否定するしかない。


「そんなこと、ないと思うけど……」

「なら、自分では気づけていないだけで、ツバキくんの奥深くの至る所に、私に影響を受けた部分が潜んでて、表に出てくるのを待ってるかもしれないよ? そう思うと、どう? 怖い?」

 

 岳は、真琴の尋ねかけに、自らの思考に意識を没入させる。


 思い出されるのは、彼と彼女が契約を交わした日の出来事だった。

 あの日にされた質問と同じものを、今日もまた、彼女は聞いてきた。


 あの時は、自分に殺されるのが怖いかどうかを、彼女に尋ねられ、岳は、首を横に振って答えた。

 彼女には、それが嘘だと見抜かれていて、「うそつき」と罵られながら、殺された。

 それでも、彼女の犠牲になると誓って、放課後に殺されながら、彼女と付き合っている。


 今回の場合は、前回とは意図が違う。

 彼女は、彼に対して、自分の知らない間に、自分がおかしくなっていくのが怖いのかどうかを、問いかけている。

 彼の中に、その怖さは無かった。

 気づいていないのだから、怖いとも感じられなかったのだ。

 それに、彼女の次に出た一言が、彼の中の恐怖という感覚を完全に麻痺させた。


「でも、大丈夫だよ。おかしいのは、ツバキくんだけじゃなくて、私もなんだから。これからも、私と一緒に狂いましょう?」


 ペンの持ち手の先を口元に当てながら、そう話す彼女の姿に、岳は思わず、見惚れてしまう。

 そして、同時に彼は、自分でも訳の分からないような事を思ってしまった。


 彼女に、殺されたい。


 自分の中に、確かに浮かんできたその感情に、岳は困惑するしかない。


 ――なんで、そんなことを……?


 好きな人に殺されたい、などと普通は思う事などない。

 綺麗で、魅力溢れる彼女に目を奪われたとしても、抱き締めたいだとか、独り占めしたいだとか、そういう単純な欲求が、湧き上がってくるものだろう。


 彼女によってもたらされた、彼の内に生じたおかしな変化。

 彼は、この感覚を、以前にも経験していた。

 彼女と共に、オープンキャンパスへと行く途中の電車の中で、彼女に尋ねかけられた。

 乗客も大勢いるこの状況で、殺されたくはないか、と。


 その時は、踏みとどまったが、彼は想像してしまった。

 パニックになる車内で、彼女に殺され、横たわる自分の姿を。


 そして、心のどこかで、その光景を求めている自分が存在していた。


 今回もまた、彼はその感情から逃げようと、それ以上深く考える事をやめた。

 彼女もそれに気づいていたが、その話を深く突っ込む事は無かった。

 その後は、普段通り、勉強していた二人だったが、その途中で彼女は口を開く。


「ああ、そういえば…………まあ、ツバキくんには、話さなくてもいいかな」


 何かを話そうとした彼女は、そう言って、発言するのをやめて、放課後の二人の時間も過ぎていった。




 何も解決策が出ないまま、真琴との時間を終えた岳は、駅から自宅への帰り道を歩いていた。

 昨日、新村と共に歩いた道を難しい顔をしながら、進んでいく。

 そんな彼は、自らの携帯電話の着信に気が付いて、画面に目を向けた。


 ――誰だ……?


 知らない番号からの電話で、出るか迷った彼は、新村の可能性もあるので、とりあえずは出てみる。


「もしもし」

『もしもし? がっくん? なんか色々と大変なんだって?』


 聞き慣れた女性の声と、その呼び名で、岳には、電話の相手が誰なのか、すぐに分かった。


「なんで、僕が今、大変な状況だって分かんのさ」

『えー。だって、みのりはまことちゃんから聞いただけだもん。それと、電話かけてあげてって』

「……真琴さんから?」


 電話の主は、安久美乃梨で、彼に電話を掛けるよう、彼女に言ったのは、どうやら真琴のようだった。


 ――真琴さん、なにか気づいたのか……? それとも、ただの嫌がらせ……?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る