(3)

 それから真琴は、自らの内に潜む殺意と殺した後の不可思議な現象を自分なりに考察を試みた。

 どうやったって消えてくれないのなら、それと付き合っていく方向で動いていくしかない。

 それには、彼女の身に起きている事を少しでも理解する必要があった。


 方法は勿論、男をナイフで以って、殺す事以外にはない。

 殺せるのなら誰でも良いわけではなく、慎重に殺す人間を選ぶ必要があると彼女も思っていた。


 できれば、自分と関わりのない、赤の他人である事が望ましい。

 加えて、絶対に自分と関わった事を言わない、言えない人物が好ましい。

 

 ――そんな都合の良い人、いるわけないか。


 諦めかけていたその時、テレビのニュースに目がいった。

 それはSNSを通じて知り合った少女にわいせつな行為をしたとして、男が逮捕されたというもの。

 彼女は「これだ」と思った。

 援助交際を装って、インターネット上で男を探すのが、一番手っ取り早く、効率的だった。

 お金を払って、女子中学生と体の関係を持とうとしている人間なのだから、殺されても文句は言えないだろう。

 殺されたとしても、未成年淫行という罪を犯そうとしていたのだから、誰かに話す事もまずありえないだろう。

 そして、彼女はSNSを通じて、見知らぬ男と会っては、行為が行われるホテルの一室で、殺す作業を繰り返した。


 何回も殺していく内に、彼女が分かった事は、主に二つあった。


 一つ目は、彼女の中から湧いてくる殺意には、一定の間隔がある、ということ。

 男性を殺してから、最大で一週間は殺さなくても身が持ちそうだった。

 しかし、殺意は、日を追うごとに指数関数的に増大する上に、男性と接触すると、その期間も短くなる。

 つまり、男性と極力会話せずに、定期的に解消する事で、日常生活に支障ないくらいの状態にまで持っていく事ができた。


 二つ目は、殺人に関する記憶は、彼女と殺された者だけが憶えている、ということ。

 一度、外での殺人現場を他の人に見られた事があった。

 彼女は焦ったが、男が死ぬ前の状態に戻ってから、恐る恐る、見ていた者に尋ねかけたが、その人は何も憶えていなかった。

 殺す現場を誰かが見ていたとしても、殺される前の時間にまで戻ってしまえば、その出来事は当事者以外には無かった事になっていた。


 ――なんて、私に都合の良い現象なんだろう。現象……? 能力……?


 どのような理屈でこんな事になっているのか、全く見当もつかないが、そういうものだと受け入れるしかない。

 殺したいという欲望が、彼女の心を支配し続ける内は。





 高校二年生の夏。

 それは、彼女にとっても転機となった日の出来事だった。

 誰もいなくなった教室で一人、彼女は机に突っ伏していた。

 エアコンの効いた部屋から外に出るのが嫌という理由もあったが、それ以外の理由の方が大きかった。


 ――帰らないと……明日の小テストの勉強も、やらないと……


 そうは思っていても、彼女の体はうまく動いてくれなかった。

 最後に男性を殺したのは、いつの事だっただろうかと、記憶を探ってみるが、正確な日にちまで思い出す事はできなかった。

 自分の感覚を頼りに考えてみても、いつもの殺す時期は、とうの昔に過ぎていた。

 殺すのを我慢するのも限界に来ていた。

 早急に殺せるような男を探す必要があるが、それを行う、SNSの彼女のアカウントは最近、ロックされてしまって、使えない。

 そうなると、ネットではなく、現実で探すしかないが、それをするにも、普通に帰宅するにも、人混みを進んでいく必要がある。

 今の自分がそれに耐えられるかどうか、分からない。

 

 ――どうしよう……どうせなら、このまま、永遠に眠れたら良いのに……


 そんな憂鬱な気持ちで、突っ伏していた彼女は、いつの間にか寝てしまっていた。


 いつものように悪夢を見る。

 自らの殺人衝動と、殺人に関わる不可思議な現象の始まりの日の夢だ。

 追いかけてきた男に、馬乗りになられ、ナイフを向けられる。

 男の欲望を満たす為の道具にされてしまうと、諦めかけていた時、彼女は男のナイフを手に取った。

 それが、彼女にとっての唯一の希望だった。

 今の自分が自分である為には、そのナイフが欠かせないものになっている事を、彼女は皮肉に思った。

 そして、血に染まる景色と共に、夢も終わりへと向かいつつあった。


 夢の続きを邪魔するように、彼女は同じクラスの男子生徒に起こされてしまった。

 その人の名前は、椿本 岳。

 そして、彼は、彼女の予想外の言動で、彼女を驚かせた。


 ――放課後、私は彼に告白される。


 それを受けて、彼女は内心でほっとしていた。

 自分にとって、なんて都合の良い人物が現れてくれたのだろうか、と。










 彼のおかげで、彼女は男を殺す事には困らなくなった。

 だから、あんな言葉が自分の口から出てきてしまったのかもしれない。

 それくらい、彼から告白を受けた日は、追い詰められていたのだと、彼女は振り返る。

 少しだけ嬉しそうな顔をしていた真琴だったが、その表情は一変する。


 先ほどよりも、歩みを速める真琴。それを追いかけるように、後ろからの足音も速くなる。

 彼女は今、誰かに後ろから付けられていた。

 履き慣れていない下駄では、走る事はできない。

 彼女は、時期に追いつかれてしまうだろう。彼女自身もそれは分かっていた。

 だから、彼女は迎え撃つ事にした。

 急に立ち止まって、振り返り、自分を付け狙う不審な人物と対面する。

 白いマスクに眼鏡を掛けた、体格からして男のようだ。

 フード付きのパーカーを着た、夏に相応しくない格好をした男。

 どうやら、世界は、二年前から何も変わっていないらしい。


 ――変わったのは、私だけ、か。


 臆する事無く近づいてくる男を、彼女は睨みつける。

 そして、ナイフの届く距離まで男が近づいてきたのを見計らった瞬間に、ナイフで男の首元を一閃する。

 それで男は死ぬと分かるくらい、手慣れてしまった自分を、彼女は嫌悪する。

 首元から飛び散る血を手で押さえながら、苦しむ男。

 それを見ても何も思わなくなってしまった自分を、彼女は嫌悪する。

 左右に揺れ動き、バランスもとれなくなって、倒れ込み、地面に血だまりを作って動かなくなる男。


 その瞬間に、彼女がナイフで攻撃する前の時間にまで戻ってきた。

 自分を殺した相手を目の前に、男は一目散に逃げ去っていく。

 一人取り残された真琴は、何を考えるでもなく、ただ茫然とその場で立ち尽くしていた。

 数秒ほどで、それも落ち着いて、帰ろうと決心した時、携帯電話の振動が伝わってくる。

 動き出そうとしていた彼女は、気が進まない中で、ナイフと携帯電話を入れ替える。

 画面を見ると、岳からのメッセージが表示されていた。

 その内容は、今日のお礼と余計な言葉だった。


『今日は本当にありがとう!

 余計なこと言っちゃったかもしれないけど

 僕は本気で真琴さんを救いたいって

 そう思ってるから!』


 それを読んだ真琴は、そのメッセージが表示された画面から目を逸らす。

 間が悪いと言えば、そうなのかもしれない。

 最悪な気分の時に、最悪なものを目にしてしまった彼女は、呆れるように呟いた。


「……救えるなら、救ってみてよ」

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