放課後、僕は彼女に誘われる。

(1)

 真琴の秘密を、岳が知ってから一週間。

 つまり、彼女と彼が付き合い始めてから一週間が経過した。


 課外授業が終わった放課後、数学科準備室に行って、彼女との契約を全うする毎日を送っていた岳。

 彼女と付き合っているという実感はまだ、彼の中には湧いていない。


 死の苦しみだけが蓄積されていくばかりかと彼自身もそう思っていたのだが、実際にはそれだけではない。

 彼女と放課後二人きり、密室で過ごす事ができている状況は、痛み以上に彼を嬉しい気持ちにさせていた。

 だが、その嬉しさもいつまで持ってくれるかは、岳にも分からない。


 心が段々とすり減っていくような感覚が今後、どうなっていくのか。

 彼は自らの頭を悩ませていた。



「はぁー……」


 ため息を吐きながら、彼は一人、教室でお昼ご飯を食べていた。

 いつもは、友人と二人で食べている事が多いのだが、今日は、その人物の姿はなかった。

 ぼーっとしながら米粒を箸でつまんでいた彼が気づかないうちに、女子生徒がそっと前の席に座って、彼の様子を窺う。

 そして、彼女は、ため息を吐いていた彼に声を掛けるのだった。


「どーしたの? ため息なんかついちゃってさー」


 いつの間にか目の前に現れた人物に岳は驚きながらも、その顔を確認すると彼もすぐに平常運転に戻った。


 木下亜美つぐみ

 真琴と岳、二人と同じクラスの女子高生。

 非常に真琴と仲の良い女の子で、真琴と岳が付き合い始めてからは、岳とも話す機会が増えつつあった。

 誰とでも仲良く話す、明るい性格な彼女は、岳ともすぐに打ち解けていた。


「まあ、色々と、ね……」


 彼女の質問に曖昧に答える岳だったが、鋭い彼女は、彼のため息の正体を尋ねてみる。


「へー、いろいろ、ねー……もしかして、まーちゃんのこと?」


 周りには聞こえないよう配慮してか、小声で図星の発言をされてしまい、彼は顔を歪める。

 尋ねられても、真琴との詳細な関係を木下に伝えるわけにはいかない。

 岳は、その事に気を遣いながらも、自らの悩みについて、彼女に少しだけ相談する。


「こんな事言われても、困らせるかもしれないけど……真琴さんとカップルらしいこと、全然できてないな、って思ってさ」

「ふむふむ。でも、付き合ってからは放課後、まーちゃんと一緒にいるよね? それって、椿本くんの中では、カップルらしいことには入らないのー?」


 彼女の言う通り、傍から見ればそうで、一週間という時間はそれだけでも耐えられたのだが、この先も耐えられるかどうかの不安は拭えない。

 同時に、一週間、彼女と過ごした事で、彼の中に新たな欲が生まれつつあるのかもしれない。


「入るよ。入るんだけど……どこか、遊びにも行きたいなー……なんて」

「えーと。つまり、まーちゃんとデートがしたい、ってこと……? 椿本くん。それはさあ……――――自分から誘わないとダメだよ!」


 きっぱりと言い切る木下に「そうだよなぁ」と納得する岳。

 真琴から誘われる筈がないという事を、彼自身も分かっていた。

 だが、仮に彼女を誘ったとして、それを彼女が受け入れてくれるかどうかは甚だ疑問だった。

 だから、こうして彼は、苦慮している。


「誘ったら、喜んでくれるかな……?」

「まーちゃんはやさしーし、ぜったい喜んでくれるよ! 最初は近いところからでもいいからさ! まーちゃん誘って、いってみなよ! 頑張って!」


 優しい励ましの言葉を木下から貰って、岳の落ち込んでいた気分も少しだけ元に戻った。








「おかえり。ツバキくん」


 いつもと同じように、真琴に殺され、彼女の声で岳は目を覚ます。

 彼女と二人きりの数学科準備室で、岳はうつ伏せに倒れ込んでいた。

 背中から刺したいという彼女の要望に応えた彼であったが、うまくいかず、結局、仰向けにされて殺された。

 彼が無事に意識を取り戻し、立ち上がる姿と、その顔色を彼女は、確認する。

 その様子から、彼の体調が悪くなっていない事を確かめるとすぐに、室内にあるパイプ椅子に腰を下ろした。

 そして、彼女は鞄の中から教科書とノート、筆記用具を取り出して、勉強し始めるのだった。


 ――はぁ……またこれで、一日が終わってしまうのか……


 木下から背中を押され、岳の気分も通常通りに戻っていたが、変わらない放課後を前に、またもや落ち込んでいく。

 彼女と放課後を過ごす事に、彼が段々と飽きてきている訳ではない。

 だが、彼女との関係がそれ以上進展していない事に対して、危機感は覚えていた。


 一週間も経ったのだから、何か違うことをしてみたい。

 それを実現する為には、岳の方から事を動かすしかない。

 パイプ椅子に座りながら、岳は、前を向いて、彼女と向き合おうとした。

 そんな時だった。

 岳は、真琴の口から思わぬ言葉を耳にする。


「ツバキくん。今週の土曜日は、木下さんとのデートの予定が入っていたりしない?」

「な、なんで……? 木下さんと僕が、デート……?」


 教科書から目を離して、岳と向き合った真琴は、質問の意図を説明する。


「なんでって、最近、木下さんと仲良く話しているでしょう? 私の時は、すぐ告白に踏み切ったツバキくんなら、もう、彼女とデートの約束をしていても不思議じゃないと思うよ?」

「ないない! 木下さんには色々と優しくしてもらってるだけだから!」


 やましい事は一つもないのだが、岳の言い訳の仕方が下手で、何か隠しているようにも聞こえる。

 真琴はそんな言葉でも納得したのか、本題の質問を彼に投げかけた。


「ふーん……それで、ツバキくんは、今週の土曜日、空いてる?」


 彼女が彼の予定を聞いてくるなんて、初めての事だった。

 しかも、高校の授業はない土曜日の予定を聞いてきている。

 それに期待しない筈もなく、岳は自らの拳を握り締める。


 ――これって……もしかして……?



「ねえ。早く答えて」


 ――もしかして……! デートに誘われてる……!?!?!?

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