懐かしい味

オカリ

懐かしい味

「完成しました。まだ試作品ですが、どうぞお召し上がりください」

そう言いながら、ニックは館長の目の前に「ウナギの蒲焼き」を置いた。

黒塗りの四角い重箱からは、白い湯気が薄く漂っている。

館長は、瞑目し合掌したあと、箸を持ち一口めをすくい上げた。

「では、ありがたく…」

口に運び咀嚼を始める。瞬間、まずパリッとした皮の食感が伝わってきた。直火で焼かれたせいか香ばしい。顎に力を込めて噛むと、歯に沿ってと緩やかに身が崩れる。ふわっとした歯応えだ。同時に甘辛いタレと独特な脂の味が口の中いっぱいに広がった。濃厚な味わいに浸る中、ときおり山椒の刺激がピリリと踊る。

「これは…」

確かめるように何度も噛み締める。味付けは記憶よりやや濃いが、本質は同じだ。

存分に堪能した後、ゆっくりと名残惜しげに飲み込む。

「如何でしょうか、館長。」

館長が一口目を飲み込むや否や、ニックはすかさず感想を尋ねた。気持ちがはやるのも無理はない。なぜなら本物のウナギは既に絶滅しており、館長が食べている「ウナギの蒲焼き」に、ウナギは全く使われていないのだから。



肉の味がする野菜や、果物の味を持つ魚など、味だけならば本物を使わずとも再現できる。そんな研究が流行り始めて数十年が経過した。

味覚とはつまるところ舌の上で起こる化学反応だ。甘味や苦味などを引き起こす化学物質の比率によって味は変化する。その比率は細胞のDNA上で記載されている遺伝情報によって決定される。言い換えれば、たとえ絶滅した動物であろうと、味の設計図となる遺伝情報さえあれば復元することができる訳だ。

既に絶滅等で失われた動物の味を、全く異なる動物の肉を培養し再現する。とある食通が「肉の革命、いや転生だ!」と大いに取り上げたことを皮切りに、その存在は瞬く間に広がっていった。しかし、やや遅れて失望の念も広がっていく。

実際、“転生肉”と呼ばれたそれは、科学的に裏付けされた正確な味をしていた。

問題は、味以外にあった。

味だけでは、どうしてもリアリティに欠けていたのだ。食とは味覚だけではない。見た目・食感・香り…それらが複合的に重なって一つの食べ物として構成されている。人々が失われた食に対して求める壁は、味のみでは到達できなかった。

従って次の課題は、いかにしてその動物の肉そのものが持つ食感や香りを忠実に再現できるかとなる。


ニックが館長に提供したものは、ウナギ味の培養肉を、ウナギそっくりの形状に整えた「転成ウナギ」だ。“転生”ではなく“転成”である。

“転成”とは“ある物が性質の違った別の物に変わること”を意味する。

転成ウナギも、ウナギの味を持ちながら、素材となる培養肉には、一般的かつ安価な動物種の生きた細胞が用いられており、本物は一切使われていない。

ウナギの全遺伝情報については絶滅以前から解読が進められており、味を構成する箇所も既に判明していたため、単純に再現するだけであれば容易に行えた。入手しやすい動物種の肉を素材にウナギ味の特徴を持つ筋芽細胞を作成し、各種栄養素に成長因子を加えた複合培養液で増殖させることで、ウナギ味の培養肉は実現した。

だが、味を再現しただけではウナギ味の肉片にすぎず、ただの転生肉だ。味以外にも、食感や香り、形など、ウナギの魅力全てを再現できなければ本物のウナギとは言えない。より真に迫るためには培養肉をウナギの形状に成形しなければならず、参考にできるウナギの標本が必要だった。

ニックの目の前に座る人物は、絶滅した動植物の標本を収蔵する絶滅種資料館の館長であり、今回の「ウナギ復活プロジェクト」に対する最大の支援者だ。だからこそ館長が認めなければ商品化はできない。ニック自身は元々のウナギの味を知らないため、内心不安でたまらなかった。


だが、どうやらその心配は杞憂で終わりそうだ。

「美味しいです、とても培養された肉とは思えない。鼻腔を刺激する芳ばしい香り、快い柔らかな食感、口中に広がるウナギの芳醇な味…これこそ私の知るウナギだ…」

館長の頰は濡れていた。感涙するほど美味しかったのだ。

五十年前に絶滅したウナギが、現代の食卓に蘇った瞬間だった。

「ニックさん、ありがとうございます。舌が若返ったようだ。味気ないあの頃が嘘のようですよ。ウナギとしか思えない美味しさだ」

館長は両手でニックの手を取り、ぶんぶんと激しく上下に振る。乱暴な握手だったが、よほど興奮していたのだろう。ニックはむしろ快く感じていた。

「感謝するのはこちらの方ですよ。状態が非常に良いウナギの保存標本がなければ実現は不可能でした。館長のおかげで完成したようなものです」

営業マンらしく愛想の良い笑顔で答えたが、ニックの言葉は謙遜ではない。絶滅してから既に半世紀も経過していたため、保存状態の良いウナギ試料の確保は困難だったのだ。


「食の復活」を掲げるニックの会社でも、転成ウナギのプロジェクトは難題と言われてきた案件だ。

一昨年から担当になった時のことをニックは今も覚えている。

「東へ行って魚味の培養肉、転成魚を売ってこい」と上司から辞令を言い渡され、ニックは転成肉部門から転成魚部門へ転属となった。転成魚がまだ市場に出始めて間もない時期だ。移った先の部署では既に開発されていた転成魚の営業に加え、実現の見通しすら立っていない転成ウナギの開発支援も任されたのだった。妻からは左遷ではないかと心配され、畜肉部門の元同僚からは「ご愁傷様」と憐れまれた。

実際、この二年間は多忙を極めた。転成魚の売り込みという通常業務に加え、転成ウナギの開発支援として成形の参考となるウナギの標本を探し回る日々。仮に見つけたとしても学術的に貴重な生物資料を渡すわけにはいかないと断られ、もう不可能ではないかという諦めに近い感情が何度も頭の中をよぎった。ウナギ愛好家であった館長の協力がなければ、転成ウナギの完成は実現しなかっただろう。



挨拶を済ませたニックは上機嫌で資料館を出た。出口から地下の歩行通路に入り、両手を組みながら腕を高く挙げ体を伸ばす。

「フゥ、終わった終わった。これでひと段落ついた」

ウナギの味を知る館長のお墨付きを得た今、ようやくプロジェクト完了の目処が立った。あとは生産時の低コスト化を目指すのみだが、転成ウナギを完成させるまでの道のりと比べればそこまで険しくないように思えた。

手元の時計を見ると、まだ正午を過ぎていない。帰国予定の便まであと半日は時間がある。防護マスクをつけ地上観光を楽しむのも良いが、ニックには愛する息子のためにお土産を買うという重要な任務があった。

息子は今年で十歳になる。誕生日も近く、なんとか喜ばせてやりたい。

ニックは出張前、息子に対し何か食べたいものがあるか聞いた時のことを思い出す。

「確か、そのままの肉を食べたい、とか言ってたっけ」

息子の要望はニックにとってよく分からなかった。


ニックは会社の試作品をよく家に持ち帰って家族で食べる。その殆どが、かつて食用としていた動物の味を再現した転成肉だ。

初めて持ち帰った時は息子も大喜びで食べていたのだが、ここ最近の息子はこの転成肉をどうもあまり好まない。理由を聞いてみたら、素材の味が活きていない、などと一丁前な答えが帰ってくる。ニックは思わず苦笑した。

「素材の味とは…我が息子ながら妙なことを言うもんだ」

ニックにとって息子を理解しがたい唯一の点だ。しかしだからと言って無下にするわけにもいかない。なんとかお眼鏡に叶う肉を買って帰らなければ。

どこで買おうかと、ニックは顎に手を当てて思案し始めた。

品揃えで考えると、空港の売店より大型の食料品店で購入した方が良いだろう。動物検疫の心配がないご時世だ。肉を買って帰ることに何の問題もない。

「よし決めた」

市場調査も兼ねて、ニックは空港までの道すがら、途中にある大型食料品店へ寄ることにした。



都市部から少し離れた郊外に目的の大型食料品店は在った。

「ここだ。思いの外に繁盛しているな」

駅から地下通路で直通という好立地が良いのか、平日昼過ぎという時間帯でも客足が途絶えることなく賑わっている。既に入口まで人の流れが出来ており、ニックは迷うことなくたどり着くことが出来た。

商品を入れるための買い物カゴを左手に持ち、中へと入ると、まず野菜や果物が並ぶ青果コーナーに迎えられた。ほとんどが電照栽培で育てた野菜工場からの直送品だ。

中には「イクラ味のトマト」などという変わり種も並んでいるが、棚の上で綺麗に陳列されたままであり、誰かが手に取った痕跡もない。どうやら売れ行きはよろしくなさそうだ。

特に興味のない区画であったため、ニックは眺めるのもそこそこに通り過ぎようとしたが、途中あるものを見つけふと足を止めた。

「懐かしい、畑野菜だ」

画一的に並んだ棚の隅に、土の畑で生育したというブランド野菜が小さく並んでいた。

ニックが子供の頃は珍しくもなかったが、土壌汚染の進んだ今の時代は工場野菜が主であり、地上の畑で作られた野菜が一般家庭で食べられることは滅多にない。

懐古の念に駆られニックは棚へと手を伸ばすが、値札を見てその動きは止まった。

工場野菜に比べ桁違いに高い。

とてもじゃないが手は出せない価格だった。

ニックは時代の趨勢を感じながら棚へ伸ばした手をゆっくりと引っ込め、次の区画へと足を進めた。


青果コーナーを抜けると次は転成魚コーナーだ。市場調査を行うため最も関心の高い区画でもある。

足を踏み入れた瞬間、ニックは早速あるものを見つけ興奮した声をあげた。

「うちの製品じゃないか!」

視線の先には、最近の目玉商品でもある転成マグロがずらりと並んでいた。

傍らには「二十五年ぶり復活の味!」という売り文句が添えられている。ニックは嬉しさのあまり思わず手に取った。

この転成マグロは、絶滅してから四半世紀経過した年目である昨年に発売された商品だ。

かつて刺身や寿司で圧倒的な人気を誇っていたマグロ。人々が待ち望んでいた味なのか、発売当初の反響は凄まじく、瞬く間に世界各地で売り上げを伸ばした。ニックにとっても当時は休む暇がなく、嬉しい悲鳴をあげながら世界中を駆け回ったものだった。

今となっては良い思い出だ。今度は第二弾となるウナギの復活シリーズがこの隣に並ぶことだろう。また忙しくなる、そう考えるとニックは口元が綻んだ。

そのまま購入も検討しかけたが、わざわざ自社製品をお土産に買うのもおかしな話だと思い留まる。

ニックは転成マグロを客の手に取りやすいよう陳列棚の手前に置き、他社製品をさりげなく隅へ追いやってから次へと進んだ。


青果、転成魚ときたら、次は転成肉の売り場だ。息子のお土産を探すための目的地である。

転成肉コーナーでは、主に牛や豚、鶏肉を模した転成肉が所狭しと棚に並んでいた。

家畜の肉は魚介類に比べて成形が容易であるため、種類が豊富であり、製造元の会社は様々だ。転成肉も、元を辿れば転成ウナギや転成マグロと同じ素材が使われている。最も安価な動物種の新鮮な生きた細胞から、畜肉の味を持つ培養肉を作成し、家畜元々の肉の形状とそっくりに成形することで転成肉は作られる。生産するまでの一連の技術が五年前から既に確立しており、外観や味、食感も本物に近い。もはや十年前まで現存していた畜肉と比べなんら遜色ないものと言える。

だが、会社によって違いはある。細部までのこだわりが異なるのだ。

例えば安物の粗悪品は肉と脂の継ぎ目が弱く、噛むと簡単に崩れることが多い。一見では分かり難いが、注意深く見比べてみれば肉質の差を感じ取れる。ニックは会社ごとに異なる転成肉を一つ一つ手に取り、丹念に観察し始めた。

「これは成形時のムラが少しあるな…こっちは筋線維が断裂気味だ…」

最近は転成魚が脚光をあびているものの、ニックの会社の主力部門は依然として転成肉だ。

他社製品と比べて自社製品のレベルを測ることは、かつて転成肉の営業担当をしていたニックにとって職業病のようなもので、本来の目的を忘れて熱心に見比べる。

「これは…赤身の筋肉部分にもきめ細やかな脂肪の沈着が見られる。なるほど、これが噂に聞く和牛ブランドの霜降り培養か。確か分化前の衛星細胞を極小部で刺激し、小規模な脂肪化を繰り返すことで実現させた技術だ。ウチにはない精密さが伺える…」

独り言を呟きながら、陳列棚に沿ってゆっくりと移動する。全ての商品を確認する勢いだ。

「おや…?」

ふと、ニックの視界の端に見慣れない商品が映った。三本指の動物の足を模した、巨大な転成肉だ。真空パックに詰められて置かれており、見たことがない形状をしている。ニックは腕を伸ばして一つ手に取り、ラベルを見た。

「えーっと…恐竜肉、ティラノサウルスの前足?」

商品名の横には、「蘇る太古の味」という煽り文とともに、漫画調の恐竜のキャラクターが添えられていた。ニックは思わず吹き出しそうになる。十年前や二十年前に絶滅した動物ではなく、六千五百万年前に絶滅した動物の肉を再現しようとするとは。食の復活を掲げる会社顔負けの試みである。

もちろん本物ではなく冗談の一種だ。Tレックスの骨格標本を参考に、鶏味の培養肉で成形したのだろう。面白いことに、冗談めかした製品であるにも関わらず出来栄えは悪くない。妙に凝った成形が施されており、本物だと思わせられそうな迫力がある。

「格別美味しそうでもないが…お土産には良さそうだ」

これならば息子も喜ぶのではなかろうか。面白さは充分、何より見た目のインパクトが大きい。少なくとも驚くことは間違いないだろう。ニックは手に持っていた恐竜肉をそのまま買い物カゴへ入れる。

「よし、これで完了っと…大分時間を潰してしまった」

ニックは時計を確認し、そろそろ切り上げることに決めた。転成肉が置かれている棚に沿って足早く進み、精算所へと向かおうとする。


だが、転成肉コーナーを過ぎようとした最後の地点で、ニックはピタリと足を止めた。


「…まだ売られていたのか」

ニックは“それ”をじっと見据えながら、独り言を呟いた。


転成肉コーナーの最後の端に、値札が貼り付けられ、売り文句も何もないまま整然と並ぶ肉があった。円筒形のシャーレで小分けされ、中には培養された肉がぎっしりと詰まっている。

転成肉や転成魚と比べてはるかに安価な“それ”は、十年前、食用の動物が全て絶滅したあの頃、代替品として培養された、最も安価で、容易に手に入り、大量に生存する動物種の肉だ。

地球上で考えられうる生命絶滅のシナリオ、ありとあらゆる動物が消えゆく中、その全てを乗り越え唯一絶滅しなかった動物種。


ラベルには「カラーミート」と商品名が書かれており、白・黒・黄・褐の四種のラベルに色分けされて置かれていた。


ニックは棚に近づき、シャーレを一つ取り上げ、手のひらの上に乗せた。

十年前に初めて現れたカラーミートは、転成肉が普及し始めるまでの五年間、最も流通し、最も食された培養肉であった。そして現在もなお、あらゆる転成肉の素材として活躍している。

ニックは手にとったカラーミートをしばらく眺めた後、小さくため息を吐いた。

「やっぱり、どうしても美味しそうには見えない」

きっと人類の殆どが同じ感想を抱くだろう。今こうやって、転成肉が台頭している理由の一つでもあるのだから。


ニックはカラーミートを掴み、元あった場所へと戻した。買う必要はなく、その場を立ち去ろうと歩き始める。

しかし、ふと、ニックは今年で十歳になる息子の要望を思い出した。

一種を除いた、全ての動物が絶滅した世界で、息子に食べさせていた肉は何だったか。


「そのままの肉、か。そういえば息子が初めて知った肉の味は、牛や豚ではなかったな」


そう呟いたニックは、現地の味であろう、黄色ラベルのカラーミートを取り上げ、買い物カゴへと入れたのだった。

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