砂の都-1

 ユートピアに最初の死者が出て、一週間が経過した。


 10万人を越えるプレイヤーのほとんどは、アルカディアの指示を律儀に守り、プレイヤーハウスに閉じ籠っているが、人々が安心して眠れる夜は一度も訪れていない。


 これまでは、プレイヤーハウスの扉はシステムが常時ロックして、壁も窓も当然《破壊不能オブジェクト》に設定されていたから、居住者が許可しない限り、プレイヤーハウスには誰一人入ることができなかった。このシステムこそが、どんなセキュリティよりも人々に安眠を与えていたのだ。


 しかし、ハナミヅキによるテロ行為でGM権限が強奪された結果、システムによる施錠は消滅してしまった。家屋の窓や壁は普通のアイテムと同じように耐久値が設定され、簡単に壊せるようになった。


 悪意ある者がその気になれば、いつでも、どこにでも侵略行為を働くことができる世界。幸いにもワールドチャットにまだ耳を覆いたくなるようなニュースは掲載されていないが、時間の問題だろう。


 一週間で、世論は既に、「力をつけるしかない」という風潮に傾きつつあった。レベルを上げてステータスを鍛えることでしか、己や大切な人の身を守る手段はないという考え方だ。アルカディアはこれに対し、繰り返し「危険すぎる」と警鐘を鳴らした。


 この世界が楽しいゲームのままなら、それも良かっただろう。だが現実と同等かそれ以上の痛みが脳にダイレクトで届く今、モンスターとの戦闘でレベルを上げようとするのは自殺行為だ。


 俺の知る限りでも、ワールドチャットに意気揚々と「外に出てモンスターを倒してくる」と書き込んだきり、消息を絶っているプレイヤーが数名いる。


 たった一発でも攻撃をもらえば、我慢できるレベルを完全に越えた激痛と恐怖が、体の自由を奪う。ただでさえ、この世界は画面越しに映像を眺めるテレビゲームとはわけが違う。


 RPGとは普通、『コンティニュー前提』のゲームジャンルだ。二度、三度と死亡を経験しながらスキル構成やパーティーメンバーを吟味し、攻略法を模索していくのが醍醐味。『ただの一度も死ねないRPG』がどれほど無理難題かは、強いて言うまでもない。


 そんな世界で、まさか単身で旅に出るような大馬鹿者は、俺ぐらいのものだろう。


 『初見ノーコンティニュークリア』……この旅の難しさを一番承知しているのは、他ならぬ俺だ。


 だから交戦するモンスターはレベルが俺より下であるものに限定し、コートのポケットの中には緊急用に物質化したポーション類を必ず常備することを徹底した。最低ラインの安全管理だ。


 とは言え遭遇するモンスターの大半は俺より随分レベルの低いザコで、たまに大物がいても、《イージス・リング》によって超強化された俺の耐久力を前にろくなダメージは与えられなかった。


 そもそも刀で一発二発斬れば、どんなモンスターもHPを余すことなく失くして、その巨体を四散させてしまう。一週間の旅のなかで、俺が身の危険を覚えるような狩りは、ついに一度としてなかった。


 ほら、見ろ。これだけのレベルと装備に恵まれたアバターを、この俺が操れば、危険なことなんて何一つないじゃないか。モンスターを一つ砕くたび、俺は詰まらない気持ちで刀を鞘に納めながら、何かを証明した気になった。


 日に日に、何をしても心が動かなくなっていった。マップを開くたびに遠ざかる故郷との距離にも、灯り一つない夜の森で一人眠ることにも、不安さえ覚えなくなった。


 規則的に足を動かし続けながら、ただ黙々と旅路をった。道中、美しい景色をいくつも目の当たりにした。長い川を下る渡し船に乗れた日は、目的地までの距離を随分稼げた。なぜ外をほっつき歩いていたのか、モンスターの群れに襲われかけていた女の子を助けた。切り立った断崖絶壁を進んでいたとき、足を滑らせて死にかけた。


 そのいずれも、俺の心を動かすことはなかった。美しいものを見ても、人と触れあっても、死にかけても、俺のリアクションはどこか他人事だった。これまで俺は、この世界を現実だと、信じて疑わなかったのに、今では全ての輪郭がぼやけて、どこか滑稽こっけいに見えて仕方がない。


 仮想のモノに囲まれて歩くうち、心まで偽物になってしまったのかもしれない。


 出発から八日目。十一月の寒さが、途端に乾いた熱風に切り裂かれた。


「……ここが」


 マップを確認した俺は、どこからともなく現れた灼熱の太陽に焦がされる額を、ぐいっと拭った。


 あたり一面、金色の大砂丘。一分も経たぬうちに全身湯だって、立っていられないほどになる。目がおかしくなるような陽炎かげろうで、ろくに遠くも見通せない。


 マップによれば、この先に目的地の《デザーティア》があるはずなのだが。


「……そっちのdesert砂漠かよ」


 甘いもので溢れるリゾート地を想像していた俺は、カラカラの舌を出して辟易へきえきした。

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