旅立ち-2

 閑散とした露店街を突っ切り、規則的に足を動かし続け、ついに噴水広場を越えた。朝ぼらけの町には、NPCも含めて人っ子一人の気配もない。もはや日常の一部となっていたBGMも途絶え、閑寂かんじゃくとした有り様である。アルカディアが絶対に外にでるなと警告を繰り返しているから、それも当然だろうか。


 たとえNPCがいたとしても、彼らは俺がこの町を出ていこうとしているのに気づくこともなければ、それを阻止することもあり得ない。関係のないことだった。


 もう門は目の前、というところに来て、俺はあれから初めて立ち止まった。死んだように静かな町の終わりで、見知った顔に遭遇したからだ。


「……どうしたんだよ、そんなところに座り込んで。風邪引くぞ――ケント」


 固く閉ざされた門扉の前に、金髪の少年がどっかり腰を下ろしていた。顔を上げて俺と目が合っても、表情を変えない。俺がここに来ると予期していたと、言わんばかりだ。


「……やぁ、君にしては随分早起きだね。セツナ」


 ゆらりと立ち上がったケントの顔色は悪く、足もとも覚束ない。寝ずの門番をしていたのか。


「昨日は……いきなり、驚いたね。シンジさんの放送、本当なのかな。なんていうか、にわかに信じられないっていうか……」


 俺がなにも言わないでいると、ケントはいよいよ顔を真っ青にして、祈るような声で、俺に問いかけた。


「……シュン君……何か、あった?」


 俺が答えるまでもなく、ケントなら既に、最悪の可能性を予想していたはずだ。ゲイルとの戦闘中、俺に大量の不在着信を残していたのは母だけではなかったから。フレンド一覧画面に、シュンの名前が灰色に濁って表示されていることにも、きっと気づいたはずだ。


 ケントからは、夜中の間もコールが鳴りやまなかった。それで俺が、ケントとのフレンド登録を解除したのが、余計に彼を心配させたらしい。


 だからと言って、まさかこの町唯一の門で張り続けるなんて、そこまでするとは思っていなかった。


「……死んだよ」


 俺の言葉にケントは言葉をなくし、何か俺に向かって最適な一言を探す素振りを見せた。俺は構わずケントを素通りしようとして──すっ、と伸ばされた腕に行く手を遮られる。


「どこに行くつもりだよ」


「お前には関係ない」


「……あるよ。友だちだろ」


 ケントは泣きそうな顔を至近距離に近づけて、俺を睨んだ。俺は友の変わらぬ誠実さに、心底うんざりした。


「冷静になれよ。相手は何百人もいて、ボスはGM権限を持ってるんだぞ。君一人でいったいなにができるんだ。シンジさんだって、絶対に外にでるなって言ってたじゃないか。復讐なんて……そんなこと、シュン君は望まないだろ!?」


 今俺に必要なのは、そんな綺麗な言葉じゃない。友だちでもない。そういうものは全部、ひどく居心地悪かった。


「死ぬことだって、望んじゃいなかった」


 腕を振り払って強引に先へ進もうとした俺の行く手を、冷たい金属が遮った。


「力ずくでも……止めるぞ」


 見たことのないほど追い込まれた表情で、ケントは背の鞘から鋼鉄剣を抜き、それで俺の進行方向を塞いだのだ。俺は意外に思ってケントを見つめた。


「ずいぶん必死だな」


「僕だってこんなことしたくないさ……こんな……ハナミヅキの仕様変更にあやかるような真似なんて……」


 決死の形相で、ケントは俺を睨み付けた。


「でも、これぐらいしないと、君は止まりそうにないくらい怖い顔をしてるから……」


 俺は微かに笑って、剣の刃を、無造作に素手で掴んだ。


 しっかり握力を込めると、焼けるような痛みが手のひらに刻まれる。ぬらりとした赤い血がしたたって、ぼたり、ぼたりと石畳の上に落ちる。


「なっ……!?」


 俺の行動に絶句し、思わず手を離したケントが、憔悴しょうすいした顔で、知らない男を見るように俺を見つめた。逆向きに持った剣をその場に投げ捨てると、カランカラン、と空虚な音が響いた。


「心外だな。こんなもんで、止まると思われたのか」


 俺のHPの減少は、ほんの1%程度。それもすぐに、《イージス・リング》によって十倍となった自然回復力が全回復させてしまう。


「俺のレベルは61。ジョブは《シノビ》。武器と防具、ジョブでさらにステータスがかさ増しされてる。力ずくでも、俺を止めるのは無理だぞ」


 ケントは呆然と俺を見つめていたが、俺が一歩進もうとすると必死で掴みかかった。


「待てよ! ……何があったのか、僕は知らないけど。行かせられるわけないだろ……こんなに、辛そうな顔をしている君を!」


 友の涙に、それまで氷のように動かなかった心が、激しく揺らいだ。一瞬足が止まる。昨日の夜に棄てたはずの弱い自分が、今すぐケントにすがりついて弱音をこぼしそうになる。


 ――だめだよ、ケント……。


 ぐっと固めた右拳を、友の鳩尾みぞおちに叩き込んだ。


 大砲を撃ったような衝撃が大気を震わせ、ケントの肉と骨が、凄惨な悲鳴を上げる。目を激痛に見開き、盛大に咳き込んで両ひざを折ったケントは、俺の足元にうずくまり声もなく震えた。


 ケントのHPが、恐ろしい早さで減っていく。あっという間に半分を切り、イエローに変色し、全くペースを落とさないままレッドゾーンへ。


「ぁ……ぅぐ、ぁぁぁ……!?」


 信じられないペースで減っていく己のライフに、可視化された命の残量に、ケントの目が悲愴に震える。なおも赤いゲージは、ぴゅるるる……と風船の空気が抜けるような音を鳴らしながら減り続ける。ケントは金切り声を上げて頭を抱え、その時を拒絶するかのように、石畳に顔を埋めた。


 ピタリ――あとほんの赤い一欠片を残して、HPバーは減少を止めた。痛いほどの静寂の中で、ケントの荒い息遣いだけが響く。やがて涙でぐちゃぐちゃの顔が上がり、震える目で俺を見上げた。


「……痛いだろ。シュンはこんな風にいたぶられて、殺されたんだ。俺は痛くて、怖くて、なにもできなかった」


 黒いライトエフェクトに包まれた拳を、少しだけ掲げてケントに見せる。


 刀スキル、【峰打ち】。


 発動後の最初の一撃に『相手のHPを全損させる攻撃を与えても、1残す』効果を付与する。峰打ちという名だが、刀での攻撃には限定されない。


 本来は、以前のウサギのような捕獲クエストや、モンスターの手懐けテイムなど、殺してしまうと都合の悪い相手に対して有用なスキルだ。


 しばらく無敵時間が付与されるのでHPの残り1がうっかり減る心配はないが、一応、範囲回復アイテム《ミストポーション》の瓶を空中に散布した。瓶の口から飛び出した緑色の粉塵が、空気中に一瞬エメラルドグリーンの霧を作って消えた。俺から範囲五メートル以内にいたケントのHPは、それで30%ほど回復した。


 ライフが回復すると、痛みも和らぐ仕様なのだろうか。ケントは苦悶の表情を僅かに落ち着かせて、掠れた声で俺の名を呼んだ。


「せ……つな……」


「……ごめんな。もう、フリーバトルも、楽しくなくなっちまったな」


 昨日まではケントを倒すのが悲願だったのに、込み上げてくるのは言葉にできない虚しさばかりだ。


 今の俺のステータスは、ただシュンから引き継いだ経験値と、父から与えられた刀の性能で補正されたものにすぎない。気の遠くなるような苦労と地道な努力によって、ようやく少しだけ強くなれたあの頃には、もう戻れない。


 もう俺は、この素晴らしいゲームを、ゲームとして楽しむことはできないのかもしれない。


 それでいい。どんなに汚い力だろうと構わない。俺はこれからも、最短ルートで強くなり続ける。ただ、仇を皆殺しにするためだけに。


「セツナ……だめだ、いくな……」


「お前は、俺にはもったいないくらいの友だちだったよ。母さんを、よろしく頼む」


 泣きながら俺に手を伸ばすケントを置いて、俺は門扉をこじ開けた。心でどれだけ思ってくれようと、ケントはもう、俺を追ってはこないだろう。殺されようとするシュンを前に動けなかった俺と、全く同じように。


 背後で門の閉まる重い音が、何か大切な繋がりを隔てるように轟いた。俺は一つ、張り詰めていた息を吐くと、腰の刀にそっと手を触れた。


 シュンのコートはとても暖かいのに、体の芯だけが妙に寒い。


「……いくか」


 吹っ切るように踏み出すと同時、午前五時を告げる鐘が朗らかに鳴り響いた。

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