死んでいたあの猫に捧ぐ

稲光颯太/ライト

死んでいたあの猫に捧ぐ

 高校からの帰り道、自転車を漕いでいると死んでいる猫が道端に倒れていた。私は創り物ならグロテスクなシーンや生き物が死んだり血が出たりするのは平気なのだが、現実になると滅法弱い。その猫は黒い猫で、時間帯や角度の関係ではっきりとは見えなかったので、血を吐いているとかどんな状態で死んでいるとかは判別が出来なかった。でも、猫が道端で横になって動かないなんて普通は有り得ない。しかも横になって四肢を広げているあの状態。死んだ猫のポーズはみんな一緒だ。どうしてだろう?とにかく、私はその猫が死んでいることをすぐに感じ取って、自転車で避けて通った。

 小さい頃、おじいちゃんの妹さんが亡くなったのでその人の家に行ったことがある。すでにその人は布団に寝かせられ白い布を被されていた。誰かが顔の部分の布を取って顔を見せてくれたけど、鼻に白い何かを詰めていること以外は普通に寝ているような顔だった。私は触ってもみなかったし、会ったことの記憶もない人だったから特別な感情も湧かないでいた。年齢を重ねた今の方が現実の死に恐怖を感じ、弱くなったのはどうしてだろう?そもそも死に強くならなくてはいけないのか。弱くてもいいじゃないか。

 何とも言えない気分で家に帰り着いて、急いで夕飯を食べた。夕飯を食べながら、この後猫の元に向かおうと思っていた。だから急いで食べないと、猫をちゃんと見た後じゃ食べ物が喉に通るかわからない。ハンバーグなんて食べられないかもしれないという予感がしていた。味なんて気にすることもなく急いで夕飯を食べて家を出た。

 走って猫の元まで行くと、死んでいる猫の側に別のネコ(便宜上こう呼ぶ)がいた。茶色い毛のその子は猫の様子を窺うように見ている。悲しそうな雰囲気がにじみ出ている、と私は思う。私が近づくと素早く逃げて、少し離れた場所で私を見ている。

 死んでいる猫の方に目を向けると、すぐに目を逸らしてしまった。顔の部分が潰されて血が出ていたのだ。いくら映像やゲームで見慣れていても、現実の血は怖い。猫の潰れた顔なんて初めて見た。今まで見たどんなものよりも怖くて嫌だった。

 それでも冷静になることを意識しながら近寄って、恐る恐る手を出して触れてみた。もっと冷たくなっているのかと思っていたが、黒い毛に覆われた猫の身体は想像していたよりも冷たくなかった。道路の端の方で倒れていたので、もっと車が通らない場所に動かそうかとも思ったけど、顔が潰れている猫を抱く勇気は湧いてこないし、真っ白いセーラー服が血で汚れるのは嫌だった。

 猫から離れて近くのコンクリートの上に腰を下ろし、スマホで猫が死んでいた時はどこに電話すればいいのかを調べ、#9910という番号に電話をかけた。電話で対応してくれた男性は、場合によっては時間がかかるかもしれないと言って、最後に私に礼を述べた。「通報」をしたのも初めてだった。

 電話を終えてネコの方に目をやると、暗くていまいち見えなかったが私に対して怯えているようだった。手を伸ばしても寄ってこない。何度か近寄って見た後、諦めてコンクリートに座った。

 何度か猫の方を見てみたがとても直視は出来なかった。ただただ怖い。虫の死骸や切り刻まれた豚の肉なんかをみてもこんな感情は抱かない。牛の肉も鶏の肉も魚も、料理として出てくるあの姿には全然何も思わない。マグロの解体ショーなんて残酷なもののはずだけどそんな風に思ったことはない。どうしてだろう?

 夏、蚊を叩いた後に何も思わなかったことがあって、なんとなくその日から虫もなるべく殺さないようにしていた。蚊もゴキブリも、なるべく外に逃がす。そうしていた理由は何だろう?

 このまま処理してくてる人たちが来るのを待とうかとも思ったけど、私がここにいても何もならないと思ってしまったので帰ろうと思った。ネコも死んでいる猫に近づけない。彼らに感情はあるのかわからないけど、仲間の死を悼んでいるようにみえたから邪魔はしない方がいい。そう思って家に帰ったけど、何か食べ物をあげた方がいい気がしてきて、目についたバウムクーヘンを手に取って再び猫の元へと向かった。

 猫は依然として死んでいる。血も吐いて、顔は潰れている。そのことを確認してから顔を背け、ネコの姿を探した。でも、近くにはネコはいなかった。どこかへ行ってしまったのか、探そうか迷ったけど止めることにした。これ以上私が関わることもない。

 辺りは真っ暗だったので、処理してくれる人たちを待たずに帰ろうと思った。場所が公園とかならずっと座って待っていたかもしれない。近くを通り過ぎて行く人たちに見られるのを少し恥ずかしく思ってしまったことを、少し恥ずかしく少し残念に思った。

 猫が死んでいる場所のすぐ側に歯科医院があって、そこの駐車場に生えていた花を一輪取って(本当に申し訳ない)、勇気を出して猫の身体の上に置いて、手を合わせて私は帰った。

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