【KAC3】お題:シチュエーションラブコメ

第3話 今日、初めて幼馴染みの自宅の部屋に【カレシ】として上がり込みます!

「どうぞ上がってー」


 玄関のインターホンを押すと程なくしてドアがガチャリと開き、笑顔のみちるが俺を出迎えた。


「お、お邪魔します……ッ」


 新興住宅街にある、俺の自宅の斜め向かい。

 来慣れた家のはずなのに、俺の声は意図せず上ずってしまった。


 落ち着け、落ち着くんだ、俺。

 いつもテスト期間の一日か二日は、どっちかの部屋でテスト勉強してるじゃないか。

 今回も普段どおりに振る舞えばいいんだ。


 そう己に言い聞かせつつも、これまでとは明らかに異なる点をどうしても意識してしまう俺。


 前回のテスト勉強から今日までの間に、俺たちは異世界転生を果たし、魔王を倒して現実世界へと戻り、晴れて彼氏彼女になるという、ハードモードの紆余曲折を経た。


 つまり、本日俺はみちるの【カレシ】として、初めて【カノジョ】の部屋を訪れるということになる。


「みちるママいる? うちのおかんからジャガイモをお裾分けするように預かってきたんだけど」

「ママはさっきDAPU〇Pのコンサートに出かけちゃったんだ。夜まで戻ってこないから、あたしが預かっとくね」


 みちるは事も無げにそう告げると、俺の差し出した紙袋を持って廊下の奥のLDKへと入っていく。


 と言うことは────


 みちると夜まで二人っきり!?


 いきなり判明した事実に、平常運転に近づけようとしていた俺の精神がぐわんぐわんと揺さぶられる。


 なんというお誂え向きのシチュエーション……!!

 神は俺に味方してくれるというのか……!!


「お待たせー。ついでだから、買っといたドリンク冷蔵庫から出してきたよ!」

「あ、ああ」


 トントンと軽快に階段を上がる彼女に続き、俺は暴れ出しそうな心臓を押さえつけるべく、一段一段を踏みしめてみちるの部屋へと向かった。


 大きさも種類も様々な動物のぬいぐるみが置かれたみちるの部屋。

 教科書や参考書の類が増えているものの、その雰囲気は小学校の頃から変わらない。

 なのに【カノジョ】フィルターがかかった途端、ここが女の子の部屋だと意識してしまい、妙に居住まいを正してしまう。


「ひっひっ、ふぅ~……」

「ハルト、なんで正座でラマーズ法の呼吸してんの?」


 緊張しまくりのみっともない俺の姿に、至って平常心のみちるが訝しげに首を傾げる。


 だって、この部屋には女の子特有の甘い匂いが充満してるんだぜ?

 深く吸い込んだが最後、理性が弾け飛んでいきなりみちるに抱きついてしまいそうだ。


 みちるはあくまでもテスト勉強のために俺を部屋に誘ったんだ。

 俺の目的は後回しにして、まずはテスト勉強に取り掛からなくては。


 今日の俺の目的────

 それは、みちるとキスをすること。


 先日、校舎の屋上で、俺たちはファーストキスを経験した。

 けれど、その時はみちるが俺の唇に軽く触れただけで、俺は突然の出来事に動揺してしまい、キスの感触を味わう余裕などなかった。


 今日は俺からキスをしたい。

 彼女の艶やかで柔らかな唇を存分に味わいたい。

 長袖Tシャツ一枚きりのみちるを抱きしめたい。

 華奢なのに柔らかそうな体に触れてみたい。

 二度目のキスで舌を入れるのはまだ早いんだろうか。

 もしもみちるが嫌がらなかったら、もしかしてその先まで行け──


「ねえ、ハルトってば聞いてるの!? ドリンクどっちがいーい?」


 加速度を増して止まらなくなった俺の妄想を、ドン! という音が遮った。

 みちるが二本のペットボトルをテーブルに置き直したのだ。

 妄想の中身を勘づかれてはいないだろうかと焦った俺は再び居住まいを正す。


「あっ、俺はどっちでもいーよ。みちるが先に選びなよ」

「そーお? あたし的にはどっちも捨て難くて選べないんだよねー。……じゃあ、あたしはトムヤムクン味にしよっと!」

「はあっ!!? 一体何を買ってきたんだよっ」

「ファン〇の期間限定味だよ。ハルトはこっちの豚の角煮味ね!」


 突き抜けたファン〇の攻めっぷりに、暴発寸前だった俺の理性が冷水を浴びたように落ち着いた。


 キャップを開けた瞬間から、ジューシーな角煮の芳香が二酸化炭素に混じって立ち上ってくるんだが……。


 一口含んでみたが、甘じょっぱさと豚の旨みが口の中に広がっていく。

 咀嚼する固形物がないというのが、この液体を逆に飲み込みづらくさせている。

 加えて炭酸のなんというミスマッチ。


 顔を顰める俺の横で、みちるがぷはぁっとペットボトルから口を離した。

「トムヤムクンは意外とありかも!」

「マジでか。まあ、元がスープだから、ドリンクとの相性は角煮より良さそうだよな」

「じゃあスイッチしよ! ハルトもトムヤムクン味飲んでみてよ」

「え……? あ、うん」


 ありえないファン〇で賢者に戻ったはずの俺は、みちるの提案によって再び理性を揺さぶられる。


 みちるの飲んだペットボトルに俺が口つけて、俺の飲んだのにみちるが口つけて、そんで俺の飲んだのにみちるが口つけたのを俺がまた口つけて────って、それじゃ間接キスじゃねえか!!


 いやいや、間接キスで動揺している場合じゃねえ。

 俺たちはすでに直接キスも済ませてるんだ。

 しかも、今日はこの後にもっと濃厚なキスをする予定であって。

 このくらいでドキマギしてるのをみちるに知られたら、今後のイニシアチブが──


「うわー、これはマジでないわー」


 トムヤムクン味のペットボトルを握りしめて煩悶する俺を横目に、間接キスを終えたみちるがさばさばした感想を言い放った。


「ハルト、トムヤムクン味の感想は?」

「まだ飲んでねーし」

「早く飲んで感想聞かせてよ。口直しにウーロン茶持ってくるね!」


 立ち上がって部屋を出ていくみちるを見送り、ため息を一つ吐く。




 情けねえな、俺。


 幼馴染みから彼氏に立場が変わったってだけで、いつもどおりに振る舞うことがこんなに難しくなるなんて。


 俺にとって一番大事なのは何だ?

 笑顔のみちるの隣にいることだろう?

 己の欲望にとらわれ過ぎて、大切なものを見失うな。


 自分にそう言い聞かせながら煽ったファン〇は、酸味と辛味のインパクトに加えて強烈な炭酸が攻撃力を半端なく増幅させていて、一瞬にして俺の煩悩をかき消してくれた。


「『意外とアリ』って、みちるの味覚はどうなってんだ……」


 みちるがウーロン茶のグラス二つを持って部屋に戻ってきた時には、俺はすっかり賢者モードに戻り、数学のテキストとノートを広げてテスト勉強に取り組み始めていたのだった。


 ☆


「ねえ、ハルト。この問題ってどうやって解けばいいの?」


 向かい合ってしばらく黙々と問題を解いていたが、ふとみちるがテーブル越しに体を乗り出して問題集を差し出してきた。


「あー。これな。ここはこの公式を使って……」


 俺が自分のノートの空きスペースを使って数字を公式に当てはめていくと、ふんふんと頷くみちるがさらに身を乗り出してきた。

 ふと視線をそちらに移した途端、俺の心臓が飛び出そうになった。

 Tシャツの首元が開いて、みちるの胸元が目の前に迫っているのだ。


 まずいっ! せっかく賢者モードになっているのに、また煩悩が俺を支配してしまう!!


 思わず手を止めて顔を背けると、みちるが浅いため息を吐いた。


「ねえ、ハルト……どうして今日はあたしと目を合わせてくれないの?」

「え……っ?」

「今日のハルト、なんかずっと変だよ? あたし、ハルトになんかした?」


 視線を戻すと、そこにあるのは不安げなみちるの顔。

 みちるを笑顔にすることが大切だと、俺はさっき悟ったはずじゃないか。


「ごめん……。俺、今日はずっとよこしまなことばっか考えてて――」

「邪なことって……?」

「……みちるとキスしたいとか、みちるを抱きしめたいとか、テスト勉強そっちのけでそんなことばっか考えてたんだ」

「そっか……。よかった。なら、あたしとおんなじだ」

「え……?」


 情けなくて俯きかけた顔を再び上げる。

 みちるの頬が上気している。

 俺の体温もみるみる上がっていく。


「あたし、今日ママが夜までいないのわかってたからハルトにうちに来てもらったの。二人きりでゆっくりしたかったし……その……今度はハルトからキスしてほしかった」

「みちる……っ」


 思わず俺もテーブルから身を乗り出して、みちるを抱きしめた。

 思ったとおり細いのに、やわらかくて甘い匂いがする。


 腕の力を少し緩めて、お互いの顔を向き合わせた。

 濃い茶の瞳に長い睫毛を被せて、みちるが俺の口づけを待つ。


 肩を抱く手が少し震えているのが自分でもわかったけれど、みっともなくたっていいんだ。

 俺はみちるの恥じらう笑顔が見たい。


 繊細なガラス細工に触れるように、ゆっくりと優しく彼女の唇に触れ――――


「はーい。お取込み中に失礼しますねー」


 キスの寸前にぶち込まれた恐縮の欠片すらない無遠慮な声に、俺とみちるは弾かれたように体を離した。


 見ると、いつの間にかベッドの上に、俺たちを異世界に転生させたあの女神セイシェルが寝そべっている。


「なっ、なんだよ、お前! 今さら何しに来たんだよ!!」


「あ、うん、実はこっちの世界異世界でちょっとトラブっちゃってさ。悪いけど、君たち臨時でヘルプに入ってくんないかなー」


「ファミレスバイトの台詞かよ!? 今さら行くわけねーだろ!」

「そうだよっ! テスト前の大事な時期に、異世界なんて行ってられないよ!」

「テスト前の大事な時期にイチャコラやってる暇はあるのにねー」

「失せろ駄女神!!」


 思わずテーブルに放置したままのファン〇を投げつけると、駄女神は高らかな笑い声を残して姿を消した。


 程なくして、甘い空気が充満していたはずのみちるの部屋に、トムヤムクンの酸いぃ香りが漂い始める。


「あっ、ハルト、ペットボトルのキャップちゃんと閉めてなかったでしょ!? やだー! 布団にファン〇がしみてるーっ!」」


「やっべ! ごめんっ!!」


 イチャコラムードはどこへやら、結局テスト勉強もロクにできないまま、俺とみちるはトムヤムクン味の液体が染み込んだ布団の片付けに追われてしまったのだった。

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