(12)気づいた後悔
大階段を駆け上る。
きっと今の自分の格好は、この壮麗な宮殿の階段を上るのに、とても不似合いな姿だろう。
黒い髪は、四日も梳かさなかったことでぼさぼさだし、体には寝る時に転がった床の藁屑が幾つもついている。
化粧も剥げてほとんどすっぴんだし、ドレスはあちこち汚れて茶色いしみだらけだ。
それでも!
(今、伝えなければ!)
これ以上、あの男にアグリッナ様と王が傷つけられないように!
確かに、ルディオスがやったという証拠はどこにもないだろう。ルディオスが捕まえられない以上、後ろにいるドレスレッド侯爵を捕まえることもできない。
そして、アグリッナ様と王を、パブリットとドレスレッド侯爵の先鋒となったニフネリアから守ることもできない!
だから周りが目を大きくしているのもかまわずに、ディーナは必死に大階段を昇り続けた。
そして、やっと王の部屋の前で、今扉の中へ入ろうとしている姿を見つけたのだ。
「陛下!」
声の限りの呼びかけに、王が驚いて振り返る。
「なんだ、ディーナ。早かったな」
振り向いた声は少し驚いているが、ひどく優しい。
だから、今まで怒りを湛えていた顔を隠して、ディーナは必死に微笑んだ。
「申し訳ありません。陛下にお礼を申したくて――。それに、証言してくださった衛兵の方達にも」
扉の横に並んでいるいつも挨拶を交わしていた顔を、今日はゆっくりと笑顔で見つめる。
「ありがとうございました。お蔭で、牢から出ることができました」
そして、深く膝を折る。すると並んでいた衛兵達が、明らかに破顔した。
「いや、疑いが晴れたのならよかったです」
「あの時、確かにメイドから頼まれたのを見ていたので。後からみんなでおかしいなと話していたんです」
(信じてくれたのだ……)
毎日、挨拶を交わしていただけの間だったのに。
ひょっとして嵌められたのではないかと心配して、リオス王子の怒りに触れる可能性もあるのに、証言をしてくれた。
「ありがとうございます」
(この人達だって、男なのに……)
世の中には、きちんと誠実な男性だっている。ただ自分が必死に嫌い続けただけなのだ。
目頭が熱くなった。
(信じなかったのは、私)
男に騙されるのを嫌い続けて、人を騙し続けたのも私。
「ありがとうございます……!」
今までの全てが、こんな後悔で許されるとは思わない。
(だけど、せめて)
これからは、人から自分を守るために生きるのではなく、人を守って生きてみよう。
だから深く頭を下げた。
「ディーナ……」
まだ、少し涙が滲んでいるディーナの肩を背の低いアグリッナが下から抱くようにして、王の部屋へと連れて行ってくれる。
そして、中に入ると、王は紫色のビロードが張られたソファへとゆっくりと凭れた。
きっと、随分と無理をしていたのだろう。横になるのと同時に、大きな息をつき、額に滲んだ汗を手の甲で拭っている。
侍従が持って来た着替えに、アグリッナが王の服を緩めようと手を伸ばした時だった。
「いい。それより、ここから下がったらすぐにディーナが休めるように、部屋に治療の準備とお湯を用意してやってくれ」
(陛下。自制心との戦いなんですね……)
何も言われなくても、赤くなった王の顔を見れば一目でわかる。
「ですが、陛下のご様子が……」
いつもなら、はきはきとしているアグリッナなのに、今日はひどく歯切れが悪い。まるで今、少しでも王から離れるのを心配しているみたいだ。
「大丈夫だ。それに、私のことで疑われたディーナに謝りたいことがある。その――あんまり情けない姿は、貴女には見せたくない」
「そうですか? ……では」
まだ納得しきれていない様子だったが、笑った王の顔に安心したのだろう。
少しほっとした顔で頷くと、アグリッナは一礼をして立ち去っていく。
「信じられないだろう? あのアグリッナが私が倒れたと聞いて、髪を振り乱して公爵邸から駆けつけてきてくれたんだ。しかも、それからずっと看病してくれている」
扉を出て行く令嬢の小柄な姿に幸せそうに笑うと、王はゆっくりとディーナの方を向き直った。
「ああ、ひどい姿だな……。私のせいで」
きっと、このぼろぼろの姿のことを言っているのだろう。けれど、逆に深刻そうに王に言われた事で、笑う余裕ができた。
「これぐらいなんでもありません。小さい頃は、木登りとか土いじりが好きで、今よりずっとぼさぼさでしたもの」
「貴女でも、そんな遊びをしたのだな。少し意外だ」
「いえ、私は陛下が思っておられるほど、深窓の令嬢じゃないんですよ。本当は、とてもはねっかえりですし」
「それは、今回貴女のことを詳しく調査した時に出てきた。小さい頃は、オーリオの富裕層でも、有名なはねっかえり娘。まあ、大きくなってからも、なかなかの戦歴でびっくりしたが――」
「ご存知だったんですか……」
王の口ぶりは、明らかにディーナの過去を洗い出したと言外に告げている。
「まあ、こんな騒動があったからにはな。アグリッナにはオーリオの遠縁との行き来はないはずだから、以前から少し不思議には思っていたんだが」
それなのに話す王の表情は、なぜかとても面白そうだ。
「騙していて申し訳ございません!」
「いや、かまわない。どちらにしても、アグリッナに紹介されたら、嫌と言える私ではないし。それに貴女は側にいても、とても魅力的な女性だったからな」
「それを知って、なお信じてくださったのですね……」
騙していたと王は知っていた。それなのに、暗殺事件でまだディーナを信用してくれたことが信じられない。
「まあ、確かにこういう事件があった場合、身元を誤魔化した人物が関わっていれば、一番に疑うのが当たり前だ。だけど、疑いたくなかった。いや、信じたかったと言う方が正しいか」
「陛下……」
信じられない言葉に、大きく瞳を開いてしまう。
けれど、ディーナの前で、王は横の低い棚から取り上げていた報告書を、ぐしゃっと握り潰した。
「だって、貴女が私を殺そうとしたのなら、アグリッナの命令になってしまうじゃないか!」
(あ、そういうこと)
思わず目が点になってしまう。
「いやいや、陛下。いくらなんでも、そこまで自信をなくされなくても……」
「貴女はそんなことを言うが、私はアグリッナに関しては自信なんて欠片もないんだ! だから、本当にアグリッナが私と別れたくて貴女に暗殺を頼んだのか、それこそ宮殿中の人物に聞き込み調査をしたぞ!? お蔭で、あの日の貴女の行動は、朝起きてから牢に入るまで、分単位で把握済みだ!」
「だから、なんで有能さを違う方向に発揮しているんですか……」
(絶対に今回の事件の深刻さが違う方向にいっている)
それなのに、王は報告書を掴んだまま、くわっとディーナの方を向いた。
「貴女に私の気持ちがわかるか!? だいたいアグリッナはかわいいんだ! だから、さっきも私の知らない男に話しかけられてるし……! 婚約しても、十年振り向いてくれないどころか、ほかの女性を勧められるし! しかも、寵姫として抱けと言われて! もう、男としての私の自信はぼろぼろなんだ!」
うううっと、そのままソファに泣き崩れてしまった。あまりに本音を晒けだした王の姿に、思わず溜息が出てしまう。
「でも――それなら、なんでさっきのイルディの言葉を真に受けられたのです? そこまで調査されているのなら。ましてやあの夜のことをご存知なら、毒を盛ったのがリオス殿下でないことなど、十分におわかりでしょうに」
(そうだ。あの夜のは、媚薬であって毒薬ではなかった)
イルディはそこまでは言わなかったけれど、あれは王がのってくれて初めて成立するお芝居だ。
けれど、話しながら軽く背を叩くと、王の背中がぴくりと揺れた。
「リオスが――陰で、アグリッナに嫌がらせをしていたと聞いたからだ。弟だからと甘やかしすぎた。あいつは少し反省するといい」
「なるほど。それが、アグリッナ様が婚約を嫌がられている理由の一つと気づかれたというわけですね」
「ほかにも、貴族達が口さがないことも知っている。だがさすがに、これ以上のアグリッナへの暴言は捨ておけない」
(なるほど。イルディは、きっとこうなると見込んで、王に茶番劇をもちかけたのね)
互いの信頼がなければできないことだ。きっと王は、最初からイルディが自分に毒を盛ることだけは絶対にないと信じて、アグリッナとディーナの無実を調べたのだろう。
「陛下はイルディを信頼されているのですね」
「あいつが私を毒殺するのなら、私が飲んだ直後に薄く笑いながら宣言する」
「いや、そんな信頼もどうかと思いますけれど……」
だけど、今回のことではドレスレッド侯爵を捕まえる根拠はない。
「陛下――信じてもらえるかはわかりませんが。今回のことは、ドレスレッド侯爵と配下のルディオスという男が、陛下毒殺の疑いを私にかけて、死刑になるように仕向けたものです。寵姫争いで、私のことが余程邪魔なのでしょう」
「ドレスレッド? それに、ルディオスとは誰だ?」
「先程、アグリッナ様に近づいていた男です。あの男はアグリッナ様を惑わし、利用しようと企んでいるのです」
「あの男――許せん……!」
ちっと王が指を噛んだ。
「証拠さえあれば、一網打尽に捕まえてやるものを……!」
(そうだわ、証拠)
だけど、それがない。
たとえリオス王子を捕まえても、今回のことを全く知らなかったらしいリオス王子から、ドレスレッド侯爵の名前は出てこないだろう。
(ドレスレッド侯爵が関わっているのを知っているのは、ルディオスだけだわ……!)
そして、ドレスレッド侯爵を捕まえることができれば、寵姫問題も全て解決することができる。
(でも、ルディオスが素直にしゃべるとは思えない)
出世と引き換えにすれば、寝返るかもしれない。けれど、ルディオスの存在は後々まで、アグリッナと王との間に禍根を残すだろう。
(どうすればいいの!?)
強く目を閉じた瞬間、はっとした。
「陛下、ご相談したいことが……」
(思いついた方法でうまくいくかなんてわからない)
けれど、今はこの方法しかない気がする。
だからディーナは、怪訝そうな王の耳に顔を近づけた。
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