(11)忌ま忌ましいお邪魔虫


 ざわざわと謁見室の中で、言葉が交わされている。


「まさかリオス殿下が、陛下の毒殺を企まれるなんて……」


「いやいや、リオス殿下はお小さい頃から、とても兄上の陛下を慕っておられた。だからこそアグリッナ様を嫌っておられたわけだが……。今回のことは、むしろ陛下の毒殺よりアグリッナ様の暗殺を企まれてのことではないのか?」


「しかし、それではアグリッナ嬢の不在中に、陛下のお気に入りの女性に渡した理由がなりたたない――」


 突然の展開に、並んだ貴族達はがやがやと騒がしく言葉を並べたてている。


 けれどその中で、ドレスレッド侯爵は、振り返ったディーナの視線からふいと顔を逸らした。そして、長い白髪を揺らすと、こつこつと後ろの出口へと歩いていく。


「衛兵、疑いは解けた。ディーナとイルディの縄を解いてやれ」


 玉座からの王の言葉に、駆け寄ってきた衛兵がしっかりと縛られていたディーナの縄を、ナイフでぷつりと切ってくれる。解放された腕はひどく軽くて、肉に食い込む縄目がとれたのがすごく楽だ。


 並んで縄を解かれたイルディも同じようで、牢からここまで縛られていただけとはいえ、固まった肩をほぐすように動かしている。


「理由も訊かずに閉じ込めて悪かった。イルディ、今日はもう元いた部屋に戻ってゆっくりと休むとよい」


「はい。ありがとうございます。ですが、その前に心配していると思いますので、王室省で臨時下働きをしております弟のガルディに一度会いたいのですが――。面会は可能でしょうか?」


 イルディの尋ねに、王は少し困った顔をした。


「会うことはできるが……すまん。彼は、一昨日から王室省での仕事を一時休職扱いにされていてな。今は確か、前の通り学校に通っているはずだ。会いたいのなら、中庭の端にある学校に行ってみるとよい」


 王は言葉を伏せたが、きっと兄の疑惑が伝わって、強制的に職を休みにされたということなのだろう。


(時間がないと言っていたのは、このこと!?)


 多分、牢の中のイルディと話した時に、自分が王宮の中を自由に歩ける時間はもう残り少ないと感じていたのだろう。


(解職にされなかったのは、普段握っていた弱みのお蔭なのかもしれないけれど、本当に末恐ろしい子……)


 これで、ガルディが媚薬をリオス王子の服に隠したことに気づかれる可能性は、更に薄くなった。


 ごくりと唾を飲みこんでしまう。


「それとディーナ」


 だから、王が突然かけた声に驚いてしまった。


「は、はい!?」


「少し詫びたいことがある。だから、しばらく休んだら、私のところに来てくれ」


「陛下」


 座っている間にも、段々と白くなっていく王の顔色に、アグリッナが心配そうに声をかける。


「そろそろ休まれた方が――」


 下から見ていても、はっきりとわかるほど王の額には汗が浮いている。口にはしないが苦しそうな王の様子に、いつも冷静なアグリッナの顔に、明らかな焦燥が浮かんでいた。


「うん? そんなに苦しくはないのだが……まだ体力が戻ってないからかな。だが、そうだな。そろそろ部屋に戻ろう」


 アグリッナと侍従に支えられるようにして出て行く王の背中に、ディーナは息をほっとつく。


(どうにか、死刑台は逃れることができたみたい……)


「ディーナ」


 そっと隣から、イルディが手を伸ばしてくれる。


「お互いひどい姿ですね。貴方の折角の美しい黒髪がぼさぼさになっている」


「イルディ」


 呟きながら、髪についていた藁屑を取ってくれる。


「少し部屋に戻って休んだ方がいいですね。顔色もよくない」


「それは、イルディもでしょう?」


 前なら男が伸ばしてくる指なんて、体を固くして、いつでも噛みつける姿勢で見つめていた。それなのに、今はこの伸ばしてくれる指がひどく心地よい。


「私は、ガルディのところに行ってきます。どうしても確かめたいことがありますので」


「そう。じゃあ、私は着替えたら陛下の部屋とアグリッナ様にご挨拶に行って来るわ」


(本当は、考えなくてはいけないことは山のようにある)


 だけど、今だけはこの指にほっとしていたい。


 だから、差し出された指が、藁と共に離れていくのを名残惜しく見ながらディーナは立ち上がった。そして歩き出すと、謁見室を後にする。


 そして、扉を出た瞬間、見た光景に足が凍ったのだ。


「アグリッナ様。今回は、御身の周辺が疑われて大変でしたね」


(ルディオス!)


 王を送っていこうとしているアグリッナを、扉を出たところでルディオスが呼び止めると、凝りもせずに手を握ろうとしているではないか!


「ですがご安心ください。俺はいつでも、アグリッナ様と陛下の御味方です。何かありましたら、すぐに俺を」


「アグリッナ様! 陛下の御前でほかの男の手を取られたら、陛下の血管が切れて今度こそ出血多量で危険になります!」


 全力で駆け寄ると、アグリッナの手を取って慰めようとしていたルディオスの脛を思い切り蹴ってやる。


「何をするんだ、てめえ……!」


「あんた、私の前で誰が陛下に毒をもったと言ったか忘れたの!?」


「え――……」


 アグリッナが突然飛び込んできたディーナの言葉に、目を開いている。けれど、ルディオスは優しく笑ってアグリッナを見つめた。


「だったら、怖いなというたとえ話ですよ。俺だって、まさか本当にアグリッナ様の親戚が陛下に毒をもったなんて思っていませんよ」


「ああ」


 ほっとしたようにアグリッナは笑っているが、ディーナからすればそんな笑顔をさせること自体が許せない。


「よくも、ぬけぬけと……」


「俺はアグリッナ様を信じていますからね。王妃としてアグリッナ様以上の方はいない。だから、そんなアグリッナ様をお守りするのが俺の夢です」


(この男! 牢の中であれだけ暴露しておきながら、よくもそんな二枚舌が使えるもんだわ!)


「ありがとうございます。私も、貴方のことは誰よりも信頼しております」


「アグリッナ」


 ほかの男と話しているのに苛立ったのだろう。先に行きかけていた王が振り返ると、片手を伸ばす。


「まだ歩きにくい。手を持ってくれ」


「はい、すぐに。ありがとう、今回のことでますます私を見る宮中の目が厳しくなった中で、昔と変わらない態度で接してくれる貴方を嬉しく思います」


 花のような微笑みを浮かべると、急いで待っている王の側へと歩いていく。


 そして、大きな背中を片手で支えると、出されていた王の掌をもう片手で握った。駆けつけてくれた白い手に、王の表情が明らかにほっとしている。


 並んで歩いていく二人の背を見送り、ディーナは隣に立つルディオスを振り返った。


 そして、強く睨みあげる。


「どういうつもりよ……」


 自分でも予想しなかったほど低い声が出た。けれど、ルディオスは、さっきまでアグリッナに見せていた貴公子のような表情は引っ込めて、冷淡にディーナを見下ろしている。


「ふん。一回の失敗で、俺が諦めると思っていたのか」


「私を嵌めて、アグリッナ様の失脚を狙うと言っていたくせに……!」


「それは、あくまでおまけだ。今の本命は寵姫の座を争っているお前。あの令嬢は、ニフネリア嬢が寵姫になってから、ゆっくり失脚させたのでも十分に間に合うからな。なにしろ、俺はアグリッナ様に信頼されている。チャンスはこれからだっていくらでもある」


「最低……!」


(なに、この男!)


 元からろくでなしだと知ってはいたが、まさかここまで人として最低だとは思わなかった。


 ぶんと手を振り上げる。


「これからもアグリッナ様の純情を利用するつもり!?」


 それなのに、軽々と背を逸らしてかわされてしまう。


「当たり前だろう! なんのために、あんな貧相な体の公爵令嬢に近づいたと思っているんだ!?」


「この外道が!」


 怒りで目の前が赤くなる。


(私を利用して嵌めただけでは飽き足らず……!)


 また、女を利用しようとしている!


「お前がやったこと、全てアグリッナ様に伝えるわ!」


 けれど、ルディオスはふんと笑った。


「いいぜ、話しても? だけど信じてもらえるかな?」


「なっ……!」


「いいか、ディーナ。人間ってのは、真実より自分が信じたい方を信じる生き物なんだよ! そんなこと詐欺師をやっていたお前なら、よく知っていることだろうが!?」


 そして、くすりと笑う。


「最近来たばかりのお前と、辛い時にずっと励ましていた俺。果たして令嬢はどちらを信じるかな?」


 ぐっと拳を握りこむ。


(確かに。私はアグリッナ様を尊敬しているけれど、アグリッナ様の中での私は、最近来た依頼請負人以外の何者でもない)


 信頼されていないとは思わない。けれど、そこにルディオスからの甘い誘惑さえ振り切れるほどの強固な絆があるかと言われれば、あまりにも覚束ない。


 目を開いたまま動きを止めてしまったディーナの様子に、ルディオスは鼻で笑った。


「わかったら、俺のことを訴えるのは諦めるんだな。どうせ、証拠なんてどこにもないんだ!」


 そして、くっと笑う。


「まあ、今回のことで懲りたら、お前も諦めて宮廷を出るんだな。オリスデンでなくても、オーリオなら、いくらでも騙す相手には事欠かないだろう?」


(許せない)


 ニフネリアの元へと歩いていくルディオスの後ろ姿を見ながら、心の奥からふつふつと怒りがこみあげて来る。


(女を食い物にするのも! 私にまた男を騙せと言うのも!)


 誰のせいで、泣きそうな気持ちで男を嫌い続けたと思っているのか――。


「ねえ、どうなったの? 私を王妃にまでしてくれると言っていたのに」


「あーそれは、また今度の機会に……」


(許さない!)


 だから、ディーナは、ばっと二人の背にドレスの裾を翻すと、まだ乱れた髪さえ直していない姿で、さっきアグリッナと王が去って行った方向へと急いだ。




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