勘弁してくださいよ。……嫌だよ。死神が大勢いるところに連れてって、吊るし上げようってんでしょ?

 そんなことぁしねぇよ。いいから来い。

 来いったって、ど、どこに行くんです。

 降りろ。……ここを降りるんだ。

 え? ……何ですここは。こんなところに、下の方へ石段が。……ここを降りる? 怖いよ、嫌だよ。……ねえ、ご勘弁を。

 いいから降りろって言っているんだ。

 だって、お前さん。暗くって……。

 杖ぇ掴まれ。……さ、早く降りろ。さあさあ、さっさと歩け。

 だめだよ、そんな引っ張って、危ないよ、落っこちるよっ。

 大丈夫だよ。……ビクビクすんじゃねぇやな。どんどん歩け。……ほら、ここを見てみな。

 え? なんですここは。ずいぶんと蝋燭が立っていますねぇ。何なんです?

 こりゃあ、みんな人の寿命だよ。

 はあ、なるほど。人の命は蝋燭の火のようだなんて言いますけど、ずいぶんあるもんですねぇ。長いのや短いのや……。すすけて暗くなってるのもありますね。

 そういうのは病人だよ。蝋を払って炎がまっつぐにすうっと立つようになれば、病気は治る。

 へえ、病人ですか……。


 ひょう、と冷たい風が吹いた気がした。窓ガラスは結露で曇っていて、外の景色は冬の鈍色の中に閉じ込められているのだ。もっとも黒いカーテンが周囲を覆っているせいで、それが見えるはずもないのだけれど。でもなぜだかそんな情景が、彼女の背後に見えるようだった。

 わたしたちはじっと、固唾を飲みながら黒雪の噺に聴き入っていた。男と死神を演じる様を、じっと、ただ見つめていた。黒雪の両側で和蝋燭の明かりがゆらゆらと揺れていた。パラフィンを使った蝋燭よりも、和蝋燭の炎は縦に長くて、風もないのにゆらめく。

 黒雪は廊下でコンタクトを落としたあの一件以来、わたしたちの誰とも口をきかなかった。目を合わせようとしなかった。わたしたちもどう訊ねたらいいのかわからずに、遠巻きに黒雪を見ていただけだった。

 でも、それがいけなかったのだろう。

 高座に上がり、鬼気迫る表情で噺を続ける黒雪は、この世のものとは思えないくらいに……美しかった。美しすぎて、あるいはもう、死んでしまっているのではないかと思った。あそこに座っているのは、すでに死人なのではないかと思った。

 誰かがごくんと唾を飲んだ。その音が確かに聞こえた。

 ……わたしたちは彼女のことを、何も知らない。そのことをまざまざと見せつけられているように思えたのだ。


 このメラッメラ燃えてんのが別れた女房の。あのバケベソの。いや、ずいぶんと憎々しげに燃えてるじゃねえか。てことは、坊の蝋燭もこの辺に……。

 そんなことはどうでもいいじゃねぇか。これを見ろ。

 ん? なんだいこりゃ、今にも消えそうじゃねぇですか。

 それがおめえさんのだよ。

 え?

 だから、お前の寿命だ。

 だって、そんな。お前さん、初めて会ったときに言ったじゃねえか。お前には長い寿命があるって。あれは何かい……う、嘘かい?

 嘘は言わねぇ。

 だって、だってお前さん、こんなに短くなってる……。

 本来のお前ぇの寿命はこっちの半分より長く、勢いのいい、これがお前のだよ。

 死神は冷たい目をしてじっと男を見つめます。

 金に目が眩んで自分の寿命を取っ替ぇたんだ。……ふふ。ふふっ、気の毒に。もうすぐ死ぬよ。

 そ、そんな。知らなかったんだ。金なら返す。なんならそっくり差し上げますから、だから元の寿命に取っ替えてください。ね、頼みますから。

 無駄だよ。

 そんな殺生な。お願いしますよ。

 いっぺん取り替えたものはもう駄目だ。諦めるんだな。

 そんな不人情なことを言わないで、ねえ、お前さんもあたしを助けてくれたことがあるじゃないか。ねえ……頼むからさ、拝むよ。元のじゅ、寿命にさ、取っ替えてくださいよ。ね、お願いだから……頼むよう。

 しょうのねぇ男だ。……ここにまだ長い蝋燭があるだろう。これを消えかかってるのと繋いでみな。うまく繋げられれば寿命は延びるよ。

 あ、ありがてえ。これ、これを……つなぐんですね。

 早くしないと消えるよ。早くしな。

 え、そんな、早くしろったってお前さん。

 何故そうがたがた震えるんだ。……震えると火が消ぇるよ。消ぇれば命はないよ。

 ふ、ふるえてなんか、い、いませんよっ。震えちゃいないが、体が……細かく動くんだから。

 早くしなよ。早くしないと消ぇるよ。消ぇれば死ぬよ。命はないよ。ほら、早くしな。ふふ、ふふ、ふふっ……ほら、ほら、消ぇるよ、消ぇるよ、……ほらぁ。


 ニヤリと笑った黒雪の目は、底のない深淵のようだった。穿たれた真っ黒い穴だった。

 もしかしてわたしたちが見たあの眼は幻だったのだろうか。わたしたちが見た黒雪の翡翠色の瞳……あれこそが幻覚だったのではないだろうか。

 話はもうすぐさげになる。この噺の一番有名なさげは、男が結局蝋燭を繋げられなくて命を落とし、どさりと前のめりになって倒れる、所謂見立て落ちだ。入部するときにもそのさげでやったのだから、当然、今回もそうするのだろう、とわたしたちは思っていた。

 けれど。


 や、やった。ついた、繋がった。


 黒雪が安堵の声を上げた。

「もしかしたら〝誉れの幇間〟かな」

 黄蝶が小さな声で言った。雲母もそのさげは知っている。縁起を担いで生き残る、あるいは生き返るパターンだ。それなら今回の慰問でこの噺をかけたことにも納得がいく。けれど、雲母はひとつ疑問に思っていた。

 黒雪は、どうして子供の蝋燭のくだりを省いたのだろう。


 くっくっく、よかったな。これでお前さんも枕を高くして眠れるだろうよ。

 ありがてえ、ありがてえ。でも、死神さんよ。起きたら枕元にお前さんが座ってるってさげは無しにしてくださいよ。ああ、それにしたって、俺はいったい誰の蝋燭に芯を繋いだんだろう。

 ふふっ、ふふふっ、


 ……お前の倅の蝋燭だよ。

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死神 月庭一花 @alice02AA

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