第26話 一発屋、一発逆転する(後編)

「『いったい何が起きたんだ?』って顔をしているから、優しい優しいこの私が説明をしてあげよう。といっても起きたこと自体は単純な話さ。私がコンピュータウイルスを作って君らにハッキングを仕掛け、動画を撮影したわけだ」


 花咲は腕組みをしながら眼鏡を片手の指で押し上げるポーズで説明を始めた。


 とその時、床から微かな振動音が聞こえてくる。


 そこには僕の携帯電話が転がっていた。先ほど檜原に取り上げられたはずだが、彼らがもめているうちに床に転がり落ちていたらしい。


 発信者は宇田だった。僕はとっさに応対する。


「もしもし。宇田か」

『あっ、草壁。大丈夫なの?』

「ああ、安全とは言えないがどうにか生きているよ。……その調子じゃあこっちで何が起こったのがわかっているみたいだな」

『うん。少し前にあたしの動画アカウントに花咲からメールが届いたんだよ。これからリアルタイムで動画を送るから配信して拡散してくれって』

「なるほどな」


 花咲自身が拘束され、この部屋に連れてこられたこの状況でどうやって動画を編集配信していたのかと思ったが、宇田に連絡してやってもらったのか。


『僕も協力したんだよ』

『俺もいるぜ』

「その声は……鴨井に果部か」


 どうやら三人とも心配して、何かあった時のために協力できるように一緒にいて連携を取ってくれたようだ。


『うん。匿名掲示板に動画リンクを貼ってスレッドを立てたらアクセス数が凄い勢いで伸びたんだ』

『すげえ勢いで拡散しているぜ』

『再生数もあっという間に一万を超えたわ。この調子ならちょっとした広告収入にはなるね』

「そりゃあ良い小遣い稼ぎだな」と僕は相槌を打つ。


 だが、僕が友人と通話しているのをよそに宿木は「ふざけるな!」と花咲にくってかかる。僕は通話をそのままに携帯電話をポケットにしまいこむ。


「ハッキングを仕掛けただと? あの量子コンピュータは世界最速レベルの演算速度を有している。人間の脳をモデルにした高度な機能を備えているとお前も言ったはずだ。どうやってハッキングを仕掛けられるというんだ」


 宿木の肩を持つわけではないが、僕も同じ疑問を抱いていた。


 そもそも僕らは容易にハッキングができないほどの高性能コンピュータが敵に回っていたからこそ、苦境に立たされていたわけである。それをどうやってやってのけたというのだろう。


 だが花咲は宿木の言葉をふふんと鼻で笑って見せる。


「人間の頭脳をモデルにしているということは、即ち人間と同じ間違いも犯すということだ。人間だって判断の前提となる情報が誤っていれば間違った判断をするだろう。量子コンピュータもまた同じということさ」

「……どういう意味だ?」

「こんな話を聞いたことがあるかい? ある地図アプリのナビシステムは『過去のデータよりも早い新ルートが複数回計測されるとそれが適正な経路として』のだそうだ。そのため、地元の人間がタイムアタックよろしく信号のない狭い裏道や土手沿いの道を走った結果、運転しづらい危険な裏道ルートに案内されるようになってしまった、なんて逸話がある」

「だから何の話だ?」

「量子コンピュータの肝となるのはデータの集積と分析なんだよ。つまり誤ったデータが集積すれば当然とんでもない結論を導き出すわけだ。君はさっき量子コンピュータのプロトタイプを見つけた話をしたときにこう言ったね。『稲崎不動産という市内の会社の看板が窓に映りこんでいた。それを基に撮影されたマンションの場所を探して忍び込んだ』とね。しかし実はその会社、同名の会社がもう一軒あったんだなあ、これが。……経営者は違う人間で、関連はない別会社だがね」


 僕はその言葉を聞いてふと思い当たる。


 そうだ。さっき宿木は「市内のマンション」と口にしていたが、僕らが撮影した花咲の別荘は「都内の二十三区内にあるマンション」なのである。


「もうわかっただろう? 配信された動画が撮影された本物の量子コンピュータのプロトタイプがあるのは『稲崎不動産』の近くにあるマンション。しかし君たちが忍び込んだのは『稲崎不動産』近辺のマンションだったんだよ。つまり私は、配信した映像からネットワークによる情報収集で場所を特定しようとするだろうと予想していたので、がわざと映るようにしておいた。そして元々所有していたマンションと間取りや条件が似ていて、かつ『同じ名前の不動産の看板が窓から見えるマンション』を探してダミーを置いておいたんだ」

「都内に同じ名前の会社が存在しただと? そんな、そんな情報は確認できなかった……」


 宿木は呆然と呟く。


 花咲は「そりゃそうだろうね」とにやりと笑って見せた。 


「私が横浜の稲崎不動産のサイトや、それに関連する情報サイトを数十件ほど作成して、大量にアクセスが集中するように仕向けたんだ。ネットワーク情報の検索アルゴリズムはより利用者が多いものが重要と判断されて優先的に表示されるということは知っているだろ? 」


 ふと僕の脳裏にひらめくものがあった。


「花咲。まさか、あの果部にお詫びとして渡したゲームアプリは」

「ああ、そういうことだよ。……君にばらまいてもらうように頼んだあのゲームにはプレイヤーに見えない『裏プログラム』を仕込んであったのさ。『横浜市内にある方の稲崎不動産』のサイトや、そこの物件について言及したサイトにというプログラムだよ」


 僕の脳裏を先ほど花咲が語った「危険なルートを何度も移動する事例が計測されたためにナビの結果がゆがめられる」という話がよぎった。


 ある一定数の集団が特殊な行動をすることでネットワーク上の情報は偏ったものになるのだ。


 つまり、……つまり花咲は。


「サジェスト汚染を仕掛けたってことか!?」

「ご明察!」


 彼女は問いただした僕を見て微笑みながら片目をつぶって見せる。


 量子コンピュータといえども独自のネットワークシステムがない現状では、情報を収集する際には従前のネットワークの情報を参考にせざるを得ない。


 今回のケースで言うならば宿木たちは僕が配信した動画から場所を探すために「稲崎不動産」という会社の看板を手掛かりにしたわけだが、花咲の工作により本当の撮影現場近くである「都内の稲崎不動産」はそれよりも優先されて大量に表示される「横浜市の稲崎不動産」の情報に埋もれてしまったのだ。


 ……でもこれ、都内の方の稲崎不動産からするととんだ営業妨害だな。


「もちろん、東京都内にある方の『稲崎不動産』も検索結果の候補として全く出てこないわけではないが、表示の優先度はかなり低くなる。当然、君たちは『横浜市内にある方の稲崎不動産』に注意を向けられる。しかも実際にその近くには量子コンピュータのプロトタイプが置かれているのだからね。もっとも


 本物の動画撮影場所の近くにあった「都内の稲崎不動産」が検索候補にも表示されづらく、しかも優先されて表示される「横浜の稲崎不動産」の方が近い場所にあるとなれば、当然宿木たちとしても、その周辺の建物をまず調べようとするだろう。そしてそこにお目当てのものもあったとあれば、わざわざもう一つの候補など調べようともしないのだ。


 ましてや、そこで手に入れた戦利品が実は自分たちに牙をむく「トロイの木馬」だとは想像するべくもない。


 宿木は愕然としながらも首を振って、なおも納得できないとばかりに花咲に噛みつく。


「し、しかしだ。たとえウイルスを仕込むのに成功したところで、こっちは圧倒的に演算能力で優る量子コンピュータだろうが。既存のコンピュータで作ったウイルスプログラムなどで簡単にハッキングなど出来るはずがない」


 一方、花咲は宿木を挑発するようにオーバーアクションで肩をすくめて見せる。


「うん、確かに普通のコンピュータでは無理だねえ。……ただね、先ほど私はゲームアプリをばらまいてもらったという話をしたと思うが、実はそのゲームの裏プログラムはネット検索結果を歪めるものだけでなく『もう一つ』あったんだ。ゲームのパズルをプレイヤーがクリアする過程を、ハッキングするためのセキュリティ解析に直結する形で演算に利用するプログラムさ」

「なっ。……まさか」

「ああ。グリッド・コンピューティングだ」


 僕は耳慣れない単語に首をかしげる。


「花咲。……グリッド・コンピューティングって?」

「つまり、ネットワークでつながった複数のパソコンや携帯電話を計算作業の並列処理に組み込んで演算を手伝ってもらうということだ。実際にアメリカの大学ではたんぱく質の立体構造を予測するのに、インターネット上のユーザーにゲームをプレイしてもらうというプロジェクトがあったくらいさ」

『おいおい、俺のお詫びのためにゲームを作ったんじゃなかったのかよ』


 僕の携帯電話の向こう側から果部の呆れたような声が聞こえてきた。


「まあまあ、それなりに儲かったんだから良いだろう? この件が片付いたら改めて謝罪をさせてもらうから。……つまり、通常のコンピュータプログラムでは量子コンピュータのハッキングなど到底できないが、数千数百台のコンピュータが合わされば太刀打ちできるというわけさ。もちろん量子コンピュータ本体は無理だが、宿木くん。きみの量子通信グラス一台をハッキングするくらいなら十分だ」


 そこで宿木は完全に虚を突かれた表情になる。


「そんな。……本体じゃあなく僕の端末がハッキングされていたというのか?」

「ああ。あとは君の端末を踏み台にすれば、他の三人の量子通信グラスを操作することもできたからね。録画機能をこっそりオンにして撮影した動画を外部に……私のクラスメイトに送って拡散してもらった」


 僕は話を聞いていて、驚嘆と同時に笑いがこみ上げてくる思いだった。


 宿木と花咲がやったことは似ているようで対照的だ。


 宿木たちは大衆から情報を自分たちが思うように思考を操り、利益を得ようとしていた。


 だが逆に花咲はゲームという娯楽情報をことで多くのプレイヤーを楽しませつつ、間接的に協力させたのだ。


 花咲は白衣を翻しつつ、髪をかき上げて見せる。


「君の敗因は、草壁くんを一介の凡人にすぎないと見くびっていたことだ。君は私を捕まえるために彼の動きを一度補足しておきながら『私さえ手に入ってしまえばこっちのものだ。彼一人では何もできない』と思い込んで監視から外してしまった。もし君たちがその後も彼の動きをおさえていたら、本物の量子コンピュータのプロトタイプの場所にたどり着いて、私たちの方が負けていただろう」


 花咲はここで人差し指を一本立てながら話を続ける。


「そして、私は君が見下していた大衆という小さな一個人の集まりの力を借りることで君の量子通信グラスを乗っ取ることに成功した。君は自分が『取るに足らない存在』と思い込んでいたものに足をすくわれたということだよ」

「……だ、黙れ」


 とその時、自分の携帯電話を見ていた茨木が僕らと宿木に割って入るように焦って声を上げる。


「ま、まずいです。宿木さん。……ここの倉庫の住所が晒されて、動画の視聴者が集まってくるみたいです。それに警察に通報したという書き込みもありました」


『僕らも警察に友達が監禁されたって通報したから! もう少し持ちこたえて!』


 僕の携帯電話の向こう側から鴨井の激励が聞こえてきた。


 僕は、通話口に「ありがとうな、鴨井」と返す。


 僕らと対峙した宿木は歯ぎしりをしながら、憎悪のこもったギラギラとした目で花咲を睨みつけた。


「もはや大勢は決したな」


 ここで花咲は哀れむように宿木に向かって呟いた。


「君はさっき草壁くんの発言を、『ゼロが一になる瞬間こそが人生を変える一発なのだ』という彼の言葉をくだらない与太話と見下した。最初の一歩を踏み出しただけで何か達成したと勘違いしている凡人の妄言だとね」


 花咲は宿木を射抜くような目で睨んでみせる。


「だけれども、私はね。人間の生きざまに価値があるとすれば、何かをなそうと最初の一歩を踏み出すその瞬間にこそあると思うんだ。未経験の何かにおっかなびっくり踏み出そうとするその姿が美しいと思う。……勿論その先に栄光が待っているとは限らない。待っているのは無様につまずき転び、周りから心無い嘲笑を受ける屈辱かもしれない。だがその『成功』か『失敗』か、『一』か『ゼロ』かが不確定な結果にそれでも懸命に挑むべく進もうとする人間が好きなんだ。だからそんな人間の後押しをしてやりたくて、そういう姿を見守ってやりたくて『一発屋』というのをやっていたのさ」


 そう言って彼女は皮肉気に笑う。


「……君も私のおかげで一度は時代の寵児とばかりにもてはやされたんだろ? 良かったじゃないか。一発は当てられて」


『ヒュー。出ました決め台詞!』


 受話器の向こうで、話を聞いていたらしい宇田が茶々を入れた。


『いやあれ、言われる側からするとかなりカチンとくるぜ?』

『悪意がないのは本当かもしれないけれど、人が転んで失敗したところを満面の笑みを浮かべて見守っている風情だからね……』


 果部と鴨井も花咲の発言を呆れたような調子で寸評する。


 しかしここに至ってもまだ宿木は諦観する様子はなく、それどころか敵意を露わにして僕らと対峙していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る