第7話 少年、一発屋の家に招かれる

「やあやあ! 頼み事は決まったのかい?」


 一発屋こと花咲から「どんなことでも一発当てさせてやる」と告げられてから早一週間が過ぎた。だが、僕はいまだに彼女に願うことを決めることができなかった。


 そして何の音沙汰もない僕にしびれを切らしたのか、白衣を羽織った少女は放課後に一人廊下を歩いていた僕に声をかけてきたというわけだ。


「それが……思いつかなくてね。もう少し待ってくれないか」


 叶えたいと思えるほどの夢もないということ。


 色々考えたが何を叶えたところで自分の器では結局、人生を変えることもできないようにしか思えなかったということ。


 それを正直に説明するのは流石に情けなく思えて、僕は適当に言葉を濁していた。


 だが、そんな僕の逡巡を彼女は別な方向に解釈したらしい。


「あの、さ。もしかして私のこと、信用できないか?」

「え?」


 彼女は伏し目がちに、どこか不安そうな様子で僕の表情を窺っていた。


「そりゃ確かにうちのクラスの何人かは私に一発当ててもらった結果、裏目に出た奴も何人かいるかもしれないが。……別に全員が全員そうだったわけじゃない。私だって、決して自分の客が欲望を暴走させて悪い結果になったのを見て愉悦に浸っていたわけじゃない」


 どうやら彼女は先日クラスメイトに糾弾された一件から、僕に「他人が破滅するのをみて楽しむ人間」と思われていることを危惧していたらしい。


 そういえば一昔前の漫画で怪しげな雰囲気の主人公が欲望や劣等感を抱えている人間に近づいて、願いを叶える商品を売りつける代わりにその人間が破滅するまで追い込む、なんてものがあった。


 確か「笑うセールスマン」だったか。


 彼女にどこか陰のある妖しげな雰囲気が漂っているようにも思えたことはある。しかし今目の前の少しすねたようにも見える花咲の顔は、年相応の普通の女の子のように僕には見えた。


「いや、別にそんな風な目で花咲を見てはいないよ」

「……じゃあ。私が本当に君の願いを叶える力を持っているのか判らないということかな?」

「え? うん。まあ、確かにどんな願いを叶えられるのか判れば参考にはなるかもしれないが」

「よし。わかった」


 花咲はポンと手を叩いた。


「そういうことなら、うちに遊びに来ないか?」

「花咲の家に?」


 唐突な申し出に僕は戸惑うが、しかし特段断る理由は思いつかなかった。


「いいのか?」

「構わないさ。……スポーツでも音楽でも読書でも食べ物でもそうだが、ある程度知識と経験を積まないと『自分が好きなものが何なのかすらわからない』なんて話はよくあるものだ。まず私の開発したコンピュータで何ができるのかを知れば、君の叶えたいものが何かもわかってくるだろ?」

「……うん」

「よし。それじゃあ早速、今日の放課後に駅で待ち合わせだ」


 こうして僕は一発屋こと花咲美空の家に足を踏み入れることとなったのだ。





「ここが花咲の家なのか」

「ああ。遠慮することはない。入ってくれ」


 数時間後の学校帰り。


 僕は彼女に案内されるままに普段とは違う路線の電車に乗り、ある私鉄沿線の駅で下車をした。


 駅から歩くこと十五分。そこにあったのは邸宅と言って良いような雰囲気の瀟洒な一軒家だった。


 そもそも都内で便利な沿線近くの一軒家を所有しているという時点で、ある程度の富裕層ともいえる。


 ただ、僕としてはいかにも研究所というような風情の高級ビルディングを予想していたので、そこに関してはほんの少し拍子抜けした思いだった。


「お邪魔します」


 僕は少し緊張しつつ、恐る恐る様子を伺うように玄関に上がり込む。


「私以外は誰もいないから、そんなに気を遣わなくてもいいよ」


 相も変わらず制服の上に白衣を羽織った花咲はそう言って僕をリビングルームに案内する。


 フローリングの床に絨毯がしかれ、ふかふかのソファーとテーブルが僕を出迎える。


「コーヒーでも入れよう。インスタントだがね」

「ああ。ありがとう」


 キッチンの方へ向かった彼女を見届けた後で、僕はなんとなく周りを観察する。


 掃除は行き届いて小綺麗ではあるが、何だか殺風景で女の子の暮らしている家という感じがしない。


 いや、そもそも家族はこの家に暮らしていないのだろうか。


 そんなことを考えていた時、ふと壁際のキャビネットに一枚の写真が飾られているのが目に入る。僕は気になって近づいた。


 写っているのは、笑みを浮かべて小さな女の子を抱き上げている穏やかな雰囲気の中年男性だった。女の子の方は花咲美空だろう。


 写真の中の彼女はまだ小学生のようだったが面影はある。また、首からは薄紫色の透き通った石がついたペンダントをぶら下げている。


「それは、父だよ」


 背後からの声に振り返ると、いつの間にか花咲が戻ってきてコーヒーが入ったカップをテーブルの上に並べていた。彼女は制服から着替えてきたようでボーダー柄のタートルネックに白いスカートの私服に着替えていた。


「……優しそうな人だな」

「ああ。人が良くて本当に優しい人だった」

「今は仕事中か?」

「いや。……何年か前に過労で亡くなった」


 僕は一瞬言葉に詰まる。


「悪かった」

「別にいいさ。君が気にすることはない」


 ふと花咲の胸元に薄紫色の小さな光が揺れているのに気が付いた。


「そのペンダントは……」


 さっきの写真の中の彼女がつけていたものだ。普段からずっと身に着けているらしい。


「父がくれたプレゼントだ。今では形見になってしまった。お守りみたいなものだ」


 彼女にとって父親は本当に大切な存在だったのだろう。


 花咲が「どうぞ」とソファーを指さすので、僕は勧められるままに腰かけてコーヒーを口にした。


 苦みと香りが口の中に広がる。


 花咲もコーヒーカップを片手に向かいのソファーに腰かけた。


「それにしても。こういってはなんだけど研究所という感じじゃあないな」

「まあね。……研究所と言っても私がそう言っているだけだ。父が研究機関に勤務していたのは本当だが」

「でも、量子コンピュータとかいうのはこの家にあるんだろ?」

「ああ。あれは私が開発した」

「え?」


 思わず耳を疑う。


「そんな費用がどこに。……いやそもそも、そんな技術も持っているのか?」

「私の父は脳神経関係の研究をしていた。その時に開発した医薬品とかのパテントでまとまった金が働かなくても入ってくる状態だったんだ。おかげで今でもどうにか暮らせているわけだが、まあ、それを運用するなりして増やして量子コンピュータも開発したんだ」

「花咲って、……いったい何者なんだ?」


 彼女はここでフンと鼻を鳴らして肩をすくめる。


「そんな奇異なものを見るような顔をするな。……ただ父が、脳の発達に良いとされる音楽やら食べ物やらを小さいころから私に与えていたのは確かだ。その中の何かに効果があったのかもしれないが」

「その辺りのノウハウを本にでもすればさぞ売れそうだけどな」

「どうかな? どちらかというとそういう健康療法まがいの手法より小学生の時分から父が生体工学の研究の話をして、私に色々な知識を施してくれたのが大きいのかもしれないな」


 元々の才能なのか環境なのかはわからないが、尋常でない頭脳の持ち主なのは確かだ。うちのようなごく普通の進学校に在籍しているのが不思議なくらいである。


「それじゃあ、そろそろ案内しようか。私の研究室へ」


 そう言って彼女はソファーから立ち上がった。

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