第3話 くまあ(夢じゃない)

 狙ってんのかと思うほど絶妙なタイミングだったけど、確かに床に十八歳くらいの女の子が仰向けに寝っ転がっていた。

 俺の時は意識がハッキリしていたんだけど、彼女はスヤスヤと眠っているようで規則的に胸が上下している。

 

 ブルーミスリルと呼ばれる青みががかった白銀の袖の無い鎧に、同じ色をした小手と具足。俺と同じように鎧の下にはアンダーウェアを着ていて、色は淡いブルーだった。

 下はお約束なのか分からないけど、ファンタジー風異世界ぽい短いスカートに革ベルトとポーチを身に着けている。

 目を開けていないから目の色は分からないけど、髪の毛は金色。

 装備からしてなんとなくだが、彼女の名前が予想できた。メタモルフォーゼオンラインは古いネトゲだから、プレイヤーキャラクターはデフォルメされた形だ。

 それでも、装備の色合いや大雑把な形くらいなら把握できる。

 

「スイなのかな……」


 俺の呟きに鈴木が大仰な仕草で頷きを返す。


「うむ。我が確信とピタリと一致する。彼女が最後の転移者だな」

「起こした方がいいかな」

「そのうち目覚めるだろう」


 確かに。見た感じどこも怪我をしている様子はないし。気持ちよく眠っているだけに見える。

 起きたら俺と同じように大混乱するだろうけど、せめて今だけは幸せな気持ちのまま眠っていてもよいよな。

 

 んじゃま。その間に俺は脳内メニューの確認をするか。

 目を瞑ってメニューと念じると脳内に毎日見ていたメニュー一覧が現れる。

 

 まずはステータスを見てみるか。

 脳内マウスを動かしてステータスをクリックするイメージ。

 お、うまくいった。

 

『名前:ソウシ・エランツゥオ

 種族:人間

 レベル:九十二

 HP:三百十

 MP:ゼロ

 変身トランス:シロクマ(レア度 SS)

 変身時レベル:八百八十九

 HP:五千二百

 MP:ゼロ

 カルマ:二千五百』

 

 エランツゥオってのは現実となった今は恥ずかしい……。適当につけた名前だものなあ。

 ま、いい。装備一覧もみるか。

 

『装備一覧

 通常時:はじまりの服一式

 変身時:無』

 

 うん。ゲームの時そのままだ。ログアウト直前に通常時の装備を初期装備にしていたからな。

 変身時はシロクマだと何一つ装備できないので、「無」以外に選択肢がない……。

 

トランス変身も一度試しておくといい」


 珍しく鈴木が的確な助言をしてきた。


「そうだな。いざという時に焦ってトランス変身できなかったら困るしな」

「うむ」

「……」

「どうした?」

「いや、あの恥ずかしいセリフを言わなきゃトランスはできないのかな?」

「恥ずかしいとは何だ。もう少し練って欲しかったところだとは思うが……」


 あー。やっぱり言わなきゃならないのね。

 ゲーム内でトランスをすると、必ずキャラクターがとあるセリフを呟いていたんだよ。

 椅子から立ち上がり、鈴木から背を向ける。

 はああと息を吐き出し、ゆっくりと息を吸い込む。

 

「真の姿を開放せよ『トランス』」


 羞恥心を抑えつつ呟くと、体の中から大きな力が湧き上がってきたかのように熱くなる。

 同時に体から白い煙が立ち上がり、一瞬で俺の体に変化が訪れた。

 

 腕を前にもってきて目をやると……白いふさふさした毛皮が見えた。

 黒い爪に大きな黒の肉球も確認できる。

 頭に手をやり……と、届かねえ。

 仕方ないから頭をひょいと下げて頭頂部に触れる。

 耳だな。うん。

 鏡があれば全身を確認できるのだけど、近くにあったかなあ。

 

 キョロキョロと辺りを見回した時、ピクリとスイの指先が動く。

 お、目覚めたのかな。

 彼女の顔を覗き込んだところで、彼女の目がパチリと開いた。

 目が合う。

 大きな目を精一杯見開いて凝視されたから、思わず目を逸らす。

 

「……」

 

 スイは寝ころんだまま口だけをパクパクとさせる。驚きが過ぎると叫び声さえでなくなってしまうよな。

 分かる分かる。

 

「くまあ」


 優しく「大丈夫だよ」と言ったつもりが、口をついて出たら「くまあ」になってしまった。

 ひょ、ひょっとして……ゲーム時の仕様を引き継いでいるのかよ!

 シロクマに変身していた時は、何を打とうがチャットは全て「くまあ」やら「くまあああ!」に変換されてしまっていた。

 これが現実になると、俺が喋った言葉は全て「くま」になるってことか……。かなり不便なんだけど……。

 

「シロクマが『くま』って。それに直立してるし……」


 すぐに襲い掛かってきそうもないとでも思ったのか、スイは体を起こしブツブツと何やら呟いている。


「案ずるな。スイよ。我々は敵ではない」


 鈴木が腕を組み偉そうに呟く。

 

「……夢。これは夢」

「くまあ(夢じゃない)」


 ……くまあだけじゃ何も通じねえよ!

 冷静になって考えてみると、人間に戻ったらいいだけじゃねえか。


「くまああああ(トランス解除)!」


 俺の体から白い煙があがり、人の姿に戻る。

 装備もシロクマに変身した時のままだから裸になったりするハプニングはなかった。

 

「シロクマが人間に! この夢はメタモルフォーゼオンライン?」

「あ、いや。はじめましてでいいのかな。スイ。俺はソウシ」

「ソウシ?」


 強い視線をスイから感じる。ちらっと横目で彼女の顔を見やると、キッと俺を睨みつけているじゃねえかよ。

 なんかしたっけ……俺。

 ぼーっとしたまま少しだけ頬を赤くした彼女であったが、すぐに再起動する。

 頭の後ろで結んだポニーテールを揺らし、ワザとらしくコホンと可愛らしい咳払いをした彼女は、ゴソゴソと懐へ手を持っていく。

 しかし、思っていた服装と異なったのか青い目を見開き、自分の鎧へ指先を当てコンコンと叩いた。


「本物の鎧……? い、いや。まさか……ソウシ、鏡を持ってる?」

「俺も鏡を見たいんだけど……」

「えっと、そこの影はほし……じゃなかった、レンでいいのよね?」

「いかにも」


 ほしで思いっきり吹き出しそうになったが、なんとか耐える。

 と同時にこの人はスイの中の人で間違いないと確信した。

 彼女はレン★ノイバンシュタインの「★」から彼のことをほしと呼んでいたのだ。

 

「えっと、信じられないと思うけど俺がさっき鈴木から聞いた情報を説明するよ」

「うん」


 スイは未だにふわふわした感じで夢なのか現実なのか計りかねている様子だった。

 どうしたものかと一瞬迷うが鈴木に目配せし頷き合った後、淡々と事の次第を彼女に語り聞かせる。

 

「――というわけなんだ。俺もつい先ほどここに来たばかりで大したことは分かってないけど」

「……一つだけ聞いていい? ほしは鈴木が本名なの?」

「ゲーム内ではその名で呼んでくれるな」


 スイの問いかけにすかさず鈴木が突っ込みを入れて来る。ほしはいいのに鈴木がダメとか意味が分からん。

 分かろうという気持ちは毛頭ないけどな。

 彼の反応を見たスイは、目を瞑り大きく息を吐く。


「信じる。ここは夢じゃなくて現実で私たちはメタモルフォーゼオンラインによく似た異世界に転移してきたってわけね」

「おう」

「いやでも、転移なのか転生なのか迷うところね」


 ぶつぶつと呟くスイへ問い返す。

 

「転移? 転生?」

「ごめんね。細かいことは気にしなくていいよね。子供になっていたりしたら困ったところだけど……」

「うん。この世界の人と言葉が通じるかとか心配事はあるけど、庇護を受けずとも動けるのは幸いだ」


 スイもいつもの調子が戻ってきたみたいだな。彼女は現状分析が得意なんだ。

 ゲーム内でもモンスターの出方とかどう戦ったらいいのかとかキャラクターの成長やらを詳しく調べてたよなあ。

 聞けばいろいろ教えてくれる頼れる面倒見のいい人となりだった。

 

「スイも一度トランスを試しておくといい」

「うん。試してみるわ」


 鈴木にしては気が利くことを言うじゃないか。

 変身すれば否が応でも現実を認識できると思うからさ。

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