グルメハンター赫

柳 真佐域

第1話「赫という男」~カエデ・ミカエリスより~

 私の名前はカエデ=ミカエリス。軍の兵糧課に勤めていた一兵卒。その任務で、ある一人の男と出会った。彼の名は赫。日系だが異国の血が混じり、瞳は黒いが、髪は、燃えるような赤い色をしていた。彼は、腕利きの傭兵だった。仲間内では、ラージクライと、疎ましく呼ばれていて、いつも一人だった。確かにいつも飯時には、人一倍腹を空かせているのか、他人の分を横取りすることも多くて、それが原因で、いざこざも絶えなかった。それでも、いつもどこか遠くを見ている男で、どこか雰囲気があった。言葉の少ない男だった。周りの者が、男の心情を何とか読み取ってやることで、初めて人と付き合うことが出来ているような、そんな感じだった。


 そんな彼も戦いになれば、いつも先陣を切って剣を振るった。魔物の返り血を、舌なめずりして切り倒す姿と、誰よりも戦果を上げて帰ってきては、腹を鳴らして大飯を食らう姿は、確かに大食らいと呼ぶに相応しかった。女の私には、彼が何を考えているのか分からなかった。彼には命よりも大事なものがあるように思えた。私はそれが知りたくなった。


「あれはね、食うことしか考えてないケダモノよ」

 兵站のチェックリストに目を通しながらイザベラが言った。

「顔はいいけど、女の事なんかこれっぽっちも考えちゃいない。肉食系といってもあっちの方はてんで駄目ね」

 イザベラは、あたしそんなに魅力ないかしらと、自信を無くしたようなため息をついた。

「イザベラさんに落とせない男がいたんですね。やっぱり気になるな」

「やめときな、あんたみたいな野暮ったいのはそれこそ眼中にないわよ。もっと太っててポチャッとしている方が良いのかしら。はい、納品完了。じゃ、何か進展があったらあたしにも教えてね」

 イザベラは、チェックリストの挟まったバインダーを私に渡すと、ひらひらと手を振って、持ち場に戻った。その姿はたまたま気分が乗って、飼い主に身を寄せたが、忙しくて相手にされずに、寂しく尻尾を振る気まぐれな猫みたいだった。私はずり落ちそうな丸眼鏡を外して、ポケットにしまっていたコンパクトを開く。鏡に映る、三つ編みに纏めた栗色のくせ毛と、そばかすの浮かんだ顔は、お世辞にも端麗なイザベラとは、比べられるものではない。

――もっと美味しそうな感じだったらよかったのかな。

 イザベラと同じ類のため息が、私の口からもこぼれる。

 その時だった、私の臀部に、ムンズっと、スケベ親父の手の、厭らしい感触が這い上がった。ゾクゾクゾクっと背筋に不快感が走る。腹から上がってきた悲鳴が倉庫にこだました。

「キャー!」

「カッカッカ!やっぱり若い女の尻はいいな!特にカエデちゃんの尻は格別だ!」

 手の正体は兵課長のカルデラだった。

「課長!いい加減私のお尻を挨拶代わりに撫でまわすのやめてもらえますか!? 上長に報告しますよ!」

「そんなこと言うなよ。カエデちゃんの尻を撫でまわして、俺の一日は始まるんだ」

「もうお昼前ですよ。また飲んでたんですか?お酒臭いですよ」

「仕事がなきゃ男が酒を呑むのは道理だぜ? それより鏡なんか見つめてどうした? 恋の相談だったら俺が乗ってやろう。あ、乗ってやろうって言ってもベットの上での話だからな。誤解のないように」

「完全にセクハラです」

 シラーとした視線で、私は課長を見た。課長はカッカッカと、高笑いを決め込んだ。

「課長は赫さんについて何か知っていますか?」

「おぉ、お相手はあの赫か。お前も物好きだな」

「いいから、知っているんですか?知らないんですか?」

「知っているとも、あいつとは古い仲だ。何から話せばいい?歳は確か35だったかな。出身はカエデちゃんよりも東方だぜ?」

「好きな食べ物とかわかりますか?」

「あいつの好みは旨いものだ」

「そんなの誰だって美味しいものが好きに決まってるじゃないですか」

「そうじゃねぇ、あいつの食へのこだわりが尋常じゃないんだ。あいつの倒したモンスターはどれもその場でしめられるように、急所を的確にとらえて、最高の保存状態にする。カエデちゃんは入ったばっかで知らないと思うが、あいつは新鮮な肉、清潔な水、食べられる野草やキノコを見分けるのも得意でな。おかげで俺たちの兵糧も途切れずに済んでいる。配給されたものより、あいつが調達する獲物の方が旨いもんだからこっちが楽できているのさ」

「そうだったんですか。こんな辺境の部隊の食事だけやけに美味しいのにはそんな訳があったんですね」

「それだけじゃねぇぞ、料理の腕だって一級品だ。あいつはそれをひけらかさないが、ここまで旨いものが人間に作れるのかと思ったくらいだよ。またそれが酒が呑みたくなるような料理を作るんだよ。まぁもう二度と食えることはないんだがな」

「どうしてですか?」 

「あいつは一度作った料理を二度とは作らないんだ。一度食わせたやつにも二度と料理を振舞わない。あいつとは10年来の付き合いだが、食べさせてもらったのは一度きりだ」

「なにか、わけがあるんですか?」

「さぁ。そこまでのことは教えてもらえなかったよ。カエデちゃんも食べたらコロッと落ちちゃうと思うよ」

「ご教授ありがとうございました。職務に戻ります」

「つれないな~」

 私は課長に敬礼をしてその場を後にした。私はその後、他の人からも彼のことを聞いて回った。ほとんどが配給の取り分で因縁をつけられて、喧嘩になったり、飯を奪われてぶん殴ってやった、なんて荒っぽいことばかりだった。

 私は、彼を観察してみることにした。遠くの物陰に隠れてこっそりと様子を覗く。ちょうど昼寝から起きたようで、大欠伸をしながら伸びをしていた。そこで、ノヅチの悲鳴なんじゃないか、というほどの大きな音が鳴った。私は最初、魔物が出たのかと思ったが、それは赫の腹の虫の音だった。配給の時間にはまだ少し時間がある。私は期待の眼差しで彼の動向を窺った。

 赫は痒いのかガリガリと頭を掻いた。毛じらみが飛び散る。不潔だなと思ったが、その手がピタリと止まった。首をもたげ、山の遠くの方の一点を凝視していた。スンスンと、鼻を利かせる音が聞こえた。そこで勢いよく立ち上がると、一目散に、その視線の先に走っていった。私は後を追った。

 ものすごい勢いだったので、赫は米粒のように小さくなってしまったが、一直線に向かってくれたので、何とか視界の隅に捉えることが出来た。山の麓で、赫が見止めたのは、一本のキノコだった。それはクエルペコスと呼ばれる、トリュフに似た、独特の強い匂いを放つ、食用のキノコだ。あの距離から、一本のキノコの匂いを嗅ぎ分けたのなら、犬並みの嗅覚があることになる。

 そのキノコを大事そうに取った赫の顔は、少年のように輝いていて、およそいつもは言葉少なで、感情表現が乏しい人のようには見えなかった。草木の茂みに隠れて見ていた私は、見てはいけないものを見たような、思わずドキリとした気持ちになった。

 私は不注意で、足元に合った小枝を踏んでしまった。その僅かな音に反応して、赫は神経を尖らせた。形相が、先ほどとは打って変わって、獲物を横取りされるのを警戒した、虎のような鋭い視線。四つん這いになって、凶暴な殺気も隠そうとせず、まるで獰猛な猛獣のように見える。私は怖くなって息を殺した。ゆっくりと赫が、こちらへ近づいてくる。剣を抜く音が聞こえた。

 私はやぶれかぶれで「にゃ~」と鳴いてみた。それでやり過ごせるほど、赫は甘くなかった。私の隠れている茂みに手をかけ、かき分けると同時に剣を向ける。剣先が私の喉元で止まり、束の間の静寂が訪れる。私は気が動転してまた、「にゃ~ん」と言ってしまった。

 赫はそれから顔を、私に接してしまうほどに近づけた。その眼は先ほど見た少年のような輝きとは、また違う輝きがあった。私は思わず目を瞑って、事が過ぎていくことを待った。赫はそんな私を他所に、何やら私の奥の方で、ごそごそとやってから剣をしまい、「なんだ、人間か」とでも言わんばかりに、鼻を一つ鳴らして去っていった。私は高まる動悸を抑えながら、命拾いしたことに安堵した。


 そしてその夜、魔物による襲撃が起きた。倉庫が襲われ、大量のモンスターが兵糧を食い漁った。私は逃げるのに必死だったが、闇の中で嚇怒した赫の姿が見えた。

 荒れ果てた陣営で、私は途方に暮れていた。この拠点は、もう復興出来ないだろう。当然、ここではお払い箱で、別の部署に再配属になることだろう。殉死した者の中には、兵課長も含まれていた。

 臨時のバラックを建てた焼野原で、私は赫を見つけた。血まみれの彼は、この惨状で、僅かに残った兵糧で、最後の配給を貰うべく列に並んでいた。私は涙で通った黒い筋を拭いながら、その列の後ろに並んだ。悲しみに暮れていても、腹は減るものだ。配給は倒した魔物の肉で作った、肉料理がほとんどだった。私はそれを、泣きながら食べた。心に染みわたるほどに、美味しかったからだ。ふと半分くらい手を付けた料理の器が、横から乱暴にむしり取られた。私は咄嗟に料理を庇い、物凄い形相で、そちらを睨みつけた。視線の先には赫がいた。私の顔は、あの時の赫の顔とそっくりな顔をしていたに違いない。赫は困ったのか、苛立っているのか、何とも言えない表情をして器を引っ張る。

「なんですか?こんな時に横取りなんてはしたない真似!」

「ち、違う…これ」

 赫の反対側の手には、自分の配給の料理があった。よく見ると具材が違うし、漂ってくる香りも芳しい。それを赫は私に向かって突き出す。どうやら交換しろということらしい。

「お前のおかげで見つけられた…だから…お前にも…やる」

 私がそれを受け取ると、赫は恥ずかしそうにして去っていった。私はなんだと思って、その料理を良く見た。そこにはトリートキングのキノコが入っていた。トリートキングはクエルペコスより外気に発している匂いは少ないが、食べた時の味は、格段に勝り『キノコの王様』と呼ばれている。もしかして、私が隠れていた茂みに生えていたのだろうか。

 私はそれを一口頬張った。その時さっきよりも、清らかな感動からくる涙が、私の頬を伝った。それが赫という男との出会いだった。

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