第47話 亡き母の姿


 琳は激しい怒りを押さえつける術が分からないらしい。怒りの矛先を明鳳に替え、感情のまま罵った。対する明鳳は苛立ちを滲ませた面持ちだが琳に寄り添おうと言葉を連ねる。しかし、肝心の琳には届かない。


 その様子を玉鈴は静かに見つめていた。否、見つめているのは琳ではない。琳を背後から抱きしめる玉葉の姿を見つめていた。

 玉葉は折れた腕で娘を抱きしめ、腫れ上がり曲がった指先で髪を梳き、声にならない言葉で「落ち着きなさい」と囁いている。だが、どんなに囁き、触れようとも見鬼けんきの才を持たない娘は玉葉に気づかない。

 琳の肩ごしに玉葉と視線が合った。玉葉はくしゃりと顔を歪ませ、はくはくと口を開閉させた。


『お願い。姿を』


 この世ならざる声が玉鈴の耳に届く。玉葉の声だ。

 彼女が何をいいたいのか察し、玉鈴は頷いた。


「亜王様、尭、下がってください。代わります」


 落ちた金釵を拾い上げ、宥め役に徹する二人に近寄ると耳打ちする。

 玉鈴が握る金釵を見て考えを悟った尭はすぐさま身を引いた。その隣で琳を宥めるのに集中していたのか明鳳は驚き、小さく飛び跳ねた。


「考えがあるのか」


 驚いたなど知られたくないので明鳳は平然を装った。琳に聞こえないように玉鈴に問いかけると、玉鈴は「ええ」と言い淀み、睫毛を伏せる。


「成功するかは、その、分かりませんが」

「任せるぞ」


 歯切れ悪く呟かれた言葉だが、ここは自分よりも玉鈴の方が適任だろうと思い、明鳳は壁際まで下がった。


「今度はどんな甘言をいうつもりですの……?」


 二人に代わり、玉鈴が前に出ると琳はきっと目尻を吊り上げた。


「何も。ただ、会わせたい方がいます」

「会わせたい?」


 琳は首を捻った。誰に、と問おうとした時、玉鈴の手に先ほど凶器に使用しようとしていた金釵が握られていることに気付く。


「それでわたくしを殺すつもり?」


 怒りで真っ赤に染まる顔を青くさせ、琳はさっと後ろに下がった。


「いいえ。違います」


 玉鈴は首を振ると金釵を目の前まで持ち上げた。先を左の人差し指に押し当て、一気に押し込むと肉を穿つ痛みが伝わった。そのまま金釵を下に引き、傷口を大きく開けると指先からしとどに血が流れ、肌理きめの細かい肌を濡らす。

 玉鈴は傷口から金釵を引き抜くと琳へと指先を向けた。

 指先から滴り落ちた血は床に触れるとすぐさま綻び、炎へと変貌する。闇夜を照らす炎は臥房の床一面に広がった。

 琳と明鳳の悲鳴をあげた。二人は衣服に燃えうつらないように袖で炎を払おうとしている。

 そんな二人を尻目に玉鈴は難しい表情で玉葉の姿を見つめた。自らの血液を媒介にすることで従来より精度を増してはいるが玉鈴は反魂の術があまり得意ではない。

 できれば琳が改心するまで、玉葉が思いを伝えきるまでは保って欲しいと願う。

 そんな玉鈴の心配を他所に風もないのに炎が大きく揺らめき、琳の目の前に収束する。炎はやがて人型となり、玉葉の姿をこの世に映し出した。


「覚えていますか? 彼女のことを」

「……いえ」


 玉鈴の問いかけに琳は静かに否定した。


「彼女の名は玉葉」


 その名を聞いて、琳は息を止めた。

 一度、二度、瞬きをする。目の前に立つ女人が玉葉——母と信じられなくて。


「嘘よ」


 そう、信じたくて小さく呟いた。

 物心つく前に死に別れたので琳に母の記憶はない。引き取られた周家の義父から「美しい人」だと聞いていたが目の前の女人が母だと信じられなかった。殴られ腫れ、紫色に変色した顔。折れ曲がった腕に爪が剥がされ、肉が露出した指先。ぼろぼろの緑の嬬裙に身を包む、美しさとはかけ離れたこの女人が母だと?


「違うわ。違う。だって、母様は……」


 とても美しい人のはずだもの。






 ***






「こんな醜くないわっ!」


 慟哭にも似た叫びに玉葉は静かに涙を流した。抱きしめることも、話すこともできないがずっと側にいた。それなのに娘は自分を拒絶する。

 玉葉が一歩近づけば琳は嫌悪を隠さず一歩下がる。触れようと腕を持ち上げれば汚物のように睨み付けられる。

 やっと、会えたのに、


「近付かないで。偽物のくせに」


 娘は冷たい眼差しで、冷たい口調で拒絶する。

 玉葉は俯いた。もう、その目を見たくなくて。


「偽物ではありません」


 玉鈴は玉葉の側に控えるとその肩を優しく抱いた。


「嘘。だって、母様は美しいはずよ」

「美しい人です。子を守るために負った傷を醜いと言いません」


 子、という単語に琳の瞳に不安と憎悪が宿る。


「ああ、そういう事ですか」


 玉鈴の言葉に何か納得する仕草を見せた。


「その怪我、才林矜のせいだったのね」


 琳は一歩、前に進む。


「酷いわ」


 もう一歩、もう一歩と玉葉に近づく。


「ごめんなさい」


 玉葉の前に立つと琳は泣きそうに顔を歪めた。


「母様だと思わなくて、酷いことを言ってしまったわ」


 琳は腕を持ち上げた。母親の頬に触れようとするが。


「——あっ」


 指先が触れる前に玉葉の姿は炎に変わる。玻璃が砕けるように炎の欠片はちゅうを散り、床に触れ、消え去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る