第46話 本当の罪人


「娘が殺人を犯そうとして喜ぶ母親がいるか」


 明鳳は冷えた眼差しで琳を睨みつけた。しかし、玉鈴に全てを任せているためか壁から動こうとはしない。


「ああ、明鳳様。申し訳ございません」


 愛らしい仕草で琳は明鳳の胸に擦り寄った。長い睫毛を伏せて、おねだりする仕草は無垢な少女にも見える。けれど周琳という人物に嫌悪を覚える明鳳には「気持ちが悪い」と言う感情しか湧かない。

 玉鈴との約束の手前、その言葉を寸でのところで飲み込むと琳の両肩に手を置いて、距離を取る。


「離せ。罪人と触れ合う趣味はない」


 明鳳にそう言われるという事を理解していたのか、冷たく拒絶されたのに琳は自重げに笑った。


「まあ、酷い言い方ですわ」


 その瞳は一点の曇りもなく、明鳳を見つめている。


「わたくしの全てをご存じのくせに」

「楊寿白の件は申し訳ないと思っている。もっと早く気付くべきだった」

「申し訳ないですって? 口ではどうとでも言えますわ」


 琳はさらに微笑を深め、まるで子供に語りかける母親のように口を開く。


「わたくしは確かに罪を犯しました。けれど本当の罪人は誰かをご存じですか?」

「何がいいたい?」

「罪人の子は罪人です。才林矜を今まで放っておいた陽帝も、その子息である貴方も罪人でしょう? 罪もない父を見殺しにし、今までのうのうと生きて、よくそんな事が言えますわね」


 琳はせせら笑う。

 対する明鳳は懸命に怒りを抑えていた。責める物言いは勘に触るが琳の言いたいことは理解できるし、言っていることは正しい。林矜の悪事にいち早く気付いて対処していればこんなことにはならなかった。自分が生まれるより前の出来事でも、落ち度は十分あると理解している。


「……誰も知らなかった。お前が言えばすぐに父上は対処をしたはずだ」

「わたくしは家が没落した時、父と親交のあった周家に迎えられたわ。周の義父とう様は何度も陽帝に直訴したのに相手にされなかった」


 琳は面を上げ、ふんと鼻で笑う。


「陽帝は父を友と呼んだらしいわね。けれど、それは偽りよ。本当の友人ならば父の汚名を晴らすために尽力してくれるはずだもの」


 険を含む物言いに一番に反応したのは今まで無言を貫いていた玉鈴だった。


「先王様は楊卿を助けられなかった事を酷く悔やんでいました」


 身近で見てきた友の姿を心中で思い浮かべる。何度も悔やみ、涙を流す彼は確かに友の死を悼んでいた。決して偽りなどではない。


「彼は立場もあり、表立って救済する事はできませんでした」


 彼は亜王だった。友として無実だと声高に言いたかったがその地位が邪魔をして庇う事ができなかった。

 その心を代弁するかのように玉鈴は言葉を紡ぐが琳は目尻を険しく吊り上げた。


「だからなんだと言うのです!? 父を見殺しにした事実は変わらないわ!!」


 怒りに任せて琳は牀榻の柱を叩いた。木が唸る音が響き、打つけた右手の芯が痺れる。炎で炙られたように痛いが怒りに身を焦がす琳はさして気にならない。腕よりも全身が、特に頭が今にも溶けてしまいそうになる程の怒りに燃えていた。


「お前はなぜに才家を恨む? 特に才昭媛に対する恨みは一段と強いがなにがあった」


 肩で息をする琳に、明鳳は問いかけた。後宮入りした翠嵐を一番に尋ねたのは琳と聞いていた。ことあるごとに気にかけ、呪詛で気を病む翠嵐に柳貴妃を尋ねるように言ったのも琳のはず。


「玉葉様の件でしょうか」


 その名を聞いて琳は固まった。まさかその名を玉鈴の口から出るとは思わず、琳は怒りを忘れ、しばしの間、金眼を見つめた。

 明鳳は聞いたことのない名前に玉鈴の袖を引っ張った。


「誰だ?」

「御母堂様です。周美人様と——」


 玉鈴が言葉を発した直後、琳はすぐさま間合いをつめ、金釵を白い首に向けて突き立てた。先に琳の行動に気付いた玉鈴は側にいた明鳳を突き飛ばす。

 床に尻餅をついた明鳳は玉鈴の名を呼びながら手を伸ばした。

 誰もが玉鈴の首が真っ赤に染まると思った時。

 闇の中、金属音が鳴り、鮮血の代わりにちゅうに火花が散る。


「流石です。尭」


 玉鈴は満足そうに笑い、腹心である宦官の名を呼んだ。

 何事だろうかと琳が視線をずらした時、凄まじい力で腕を引っ張られた。腕を上に持ち上げられ、関節が悲鳴を上げる。琳は痛み顔を顰めながら叫んだ。


「いや! 離して!!」


 腕を握る手を叩くが拘束する手は鋼鉄のようにびくともしない。暴れれば暴れる程、力は強くなり、耐えきれず琳は悲鳴を上げた。

 琳の悲鳴を聞いて、玉鈴の叱責が飛ぶ。


「尭、力を緩めなさい!」


 尭——自分を押さえつけているのが柳貴妃付きの宦官だと知り、琳は背筋を撫でる嫌悪感に血走った眼で睨み付けた。自分が罪人だとは理解していたが貴族の出である琳は宦官に触れられるなど許せないものだ。


「宦官ごときが触らないで!」


 拘束を解こうと身を捻るが尭は決して許さず、主人を傷付けようとした琳を離さないと力は強くなる一方だ。

 骨や筋肉が軋む音が聞こえた。捕まれた腕が限界だと叫ぶ。

 琳はその美貌を苦痛に染め「痛い!!」と涙を流す。けれど宦官は鉄仮面を崩すことはなく、熱が冷めた瞳で琳を見下ろし続けた。


「尭、離しなさい」


 二度目の命令に尭は素直に応じた。拘束から解放された琳はすぐさま距離をとり、痺れる腕を庇うように摩る。玉鈴を背に隠し己を冷めた眼で見続ける尭を嫌悪と憎悪に濡れた眼差しで睨み付けた。

 どうにか状況を打破しなければと抜け道を探るが入り口は明鳳がいる。力が弱そうな玉鈴は尭に庇われており、襲いかかってもたちまち返り討ちに合うのは火を見るより明らかだ。

 琳が忙しなく視線を彷徨わせていると明鳳が見かねた風に溜息をついた。


「これ以上、罪を重ねるな。才家に危害を加えた挙句、龍の子を傷付けようなど極刑は免れないぞ」

「うるさい! 元より死ぬつもりよ!!」


 琳は声高に叫んだ。


「お前なんかにわたくしの気持ちが分かるわけないわ!」


 無礼な物言いに明鳳は米神こめかみに血管を浮き立たせた。その白粉に塗れた顔を殴りたくなるのを寸での所で我慢し、息を吐き、騒めく心を落ち着かせる。

 ここで怒りに任せて切れては玉鈴との約束に反してしまう。そう、自分に言い聞かせ口を開く。


「落ち着け。怒りに我を忘れるな」

「うるさい! うるさい!! 何も知らない癖に分かったかのような口を聞かないで頂戴!!」


 琳は激昂し、金切り声をあげた。


「お前達にわたくしの気持ちなんて分からないじゃない!」

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