第36話 昔の記憶


 ――なぜ、周美人様はあのような事を言ったのでしょうか。


 池の辺りに座り込んだ玉鈴は昼間、琳が言った言葉を思い出す。


「翠嵐様のことは実の妹のように思っています」


 琳は確かにそう言った。薔薇の花よりもいっそう妖艶に微笑んで。そんな事、本心では一寸たりとも思ってもない癖に。

 琳は翠嵐のことを恨んでいる。それも酷く、自分を犠牲にしようとしてまで。その気持ちを、玉鈴は分からない。他者を恨むということを。慈しみ、守りたいと思うがわざと傷つけたいとは思わない。


 ——なぜ、才昭媛様をそこまで憎む必要があるのでしょうか。


 考えても答えがでてこず、玉鈴は視線を池へと落とした。すると遠くで何かがキラキラと光を反射させているのに気付く。なんだろう、と池の淵に手を置いて覗いて見れば水面下では肥えた魚が尾びれを揺らし気持ち良さそうに泳いでいた。きっと彼らの鱗が夕陽を反射させたのだろう。

 彼らが動けば波紋が幾重にも現れ、消えていく。顔を近づければ憂う顔が映り込み、玉鈴は顔を顰めた。すると水面の自分も同じくしかめっ面をする。


 気付けば水面を右手で打っていた。


 手の甲がじくじくと痛むが玉鈴はさして気にせず、先程と同様に水面を睨みつけた。波が小さくなると今度は泣きそうな自分の顔が映り込む。

 玉鈴でも嫌いなものは存在する。それがこの金眼だ。この金眼を忌み嫌い両親は自分を棄てた。幼い頃に両親に抱かれた記憶はない。名も与えられることはなかった。


 ——もし、これが無ければ僕は……。


 普通になれたのだろうか。

 この右眼が普通だったら、両親に愛され、龍の半身だと言われることもなかった。亜国に献上され、周囲の人々に厭まれることもなかった。周りを不幸にすることもなかった。


 ——いえ、これが無いと僕はもっと役立たずですね。


 かつて住んでいた村の人間は玉鈴を空っぽだと形容した。何もない、役立たずだと罵った。

 玉鈴は顔を覆うとその場でうずくまった。




 ***




 玉鈴の故郷は深い森や谷に覆われた辺鄙へんぴな地に存在していた。亜国の領地ではあるが村に行くまでには過酷な道のりを行かなくてはならないので役人も寄り付かない。元より、近隣の国から攻め入られた時のための捨て駒のような村だ。亜国としても在っても無くても問題はないらしく、年に一度の納税と作物の献上だけを要求し、他は特に関わろうとしなかったのである種の国として独自の生活を営んでいた。

 外と接する事のない封鎖的な村は古くからの言い伝えを信じている者も多い。生まれたばかりの時、片目が蛇のような玉鈴を「蛇男」と蔑み、殺そうとしたらしい。らしい、というのは世話役の女が玉鈴を馬鹿にするために言ったので真意のほどは分からない。蛇は殺した相手を末代まで祟り殺す執念深い性格をしていると言われているので殺すといっても赤子だった玉鈴を荒屋に閉じ込め、衰弱死するのを待っていた可能性もある。

 さすがの玉鈴も赤子の時の記憶はないので真実は分からない。

 だが五つ頃からの記憶は細々とながらあった。

 思い出すのは楚々そそとしたひとだ。近隣の村から嫁いできた彼女は無条件に他者を愛する人で清廉された動作が美しかった。蔑称べっしょうで呼ばれる玉鈴を憐れんで名を与え、事あるごとに抱きしめて、慈しむように頭を撫で、髪を梳いてくれた。

 周囲の人々に嫌われても彼女がいるから決して寂しくはない。彼女と、彼女の子供達とともにずっとこの生活が続くものだと思っていた。


 しかし、玉鈴が九つを迎える頃、その生活は終わりを迎える事になる。

 納税の時期でないのに亜国から役人が訪れ、災厄に呑まれる亜国が片目が金色の「龍の子」を探しているという御触れがでたからだ。

 村人は大いに喜んだ。忌み嫌う少年が実は龍の子であり、亜国に献上すればこの先、十年ほどの納税が免除され、あまつさえ大金を与えられると言われれば納得である。それに厄介者の処分もできた。

 村の大人達は欲に塗れた眼で小屋に来て、こぞって玉鈴を押さえつけた。「やめて!」と、止めようとする彼女を殴りつけ、大人達は玉鈴の腕を掴むと引きずるように小屋から連れ去り、あの荒屋で去勢を施した。恐怖と肉に刃が食い込む痛みで泣き叫ぶが大人達はうるさいと殴りつけ、抑える力を強くする。彼女の名を呼んでも助けにきてはくれない。抵抗し、暴れるにつれ降り注ぐ暴力が酷くなり、気付けば玉鈴は気を失っていた。

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