理想郷

スヴェータ

理想郷

 山道を3人の男女が1列になって歩いていた。先頭の男は喧嘩が強く、素手で熊を斃した話は酒の席での鉄板だった。真ん中の女は医者で、治療はもちろん細かな作業は何でもこなした。少し離れて最後方を歩く男は射撃の名手で、優雅に空を飛ぶ鳥も、遥か彼方にいる鹿も、簡単に仕留めることができた。


 3人が目指しているのはキサンパシ共和国。世界で唯一争いのない国だと言われている。軍隊はなく、対外的な戦争はもちろん、内紛もない。そもそも犯罪自体が起きないのだという。


 一方で、3人の祖国であるニブレスチャ帝国では、ここ10年は特に争いが絶えなかった。先頭の男は弟を、真ん中の女は婚約者を、最後方の男は父を戦争で亡くし、すっかり疲弊していた。


 3人とも軍に属していたから、沢山の死体を見た。初めは目の前のことに必死で気にも留めていなかったが、先頭の男は戦友の死を見た時、真ん中の女は死体の肉片を拾い集める仕事をした時、最後方の男は敵兵が爆弾を抱えて突っ込んで来た時に、争いの愚かさを思い知った。


 歩きながら話をする。特にキサンパシで何をしたいかという話題になるといつも盛り上がった。先頭の男は家族を持ちたがり、真ん中の女は医者を続けたがり、最後方の男は山で静かに暮らしたがった。


 夜になると先頭の男が薪を拾い集め、真ん中の女が火を起こし、それを囲んで最後方の男が獲ってきた野鳥や鹿などを食べた。満腹になる日は少なかったが、皆キサンパシへ辿り着くことだけを希望に耐えた。


 ある時、もう国境が見え始めたというのに、ニブレスチャ帝国軍の一部隊と鉢合わせてしまった。先頭の男が果敢にも突撃すると、その隙をついて最後方の男が相手の目や足を撃ち抜いた。木の陰に隠れながらそれを繰り返し、命からがら逃げ果せた。


 安全な場所に隠れ、真ん中の女が男たちを治療した。真ん中の女は癖で「ニブレスチャに栄光あれ」と言って包帯を止めたから、先頭の男は嫌がった。最後方の男はその様子を微笑ましそうに眺めていた。


 危険な旅だったが、皮肉にも軍での経験が活き、3人は遂にキサンパシ共和国へ辿り着くことができた。その頃先頭の男は精神に異常をきたしており、真ん中の女は右腕を、最後方の男は視力の大半を失っていた。


 どんな目に遭っても3人のキサンパシへの期待が揺らぐことはなかった。争いのない平和な国で人生をやり直したかったから。欠けたものや最初からなかったものは、キサンパシで全て見つかると信じていたから。


 だからこそ森を抜けると、彼らの足は止まった。目の前に見える有刺鉄線とその奥に吊るされた人々、そして祖国の言葉で書かれた「ようこそキサンパシ共和国へ」という粗末な看板が、全てのことを説明していた。


 監視塔からパンッと乾いた音が聞こえると、先頭の男は叫びながら膝から崩れ落ちた。真ん中の女は震え、左手に持っていた医療鞄を落とした。最後方の男は天を仰ぎ、飛ぶ鳥が見えないことをただ悲しんだ。


 そういえば隣国だというのに、3人はキサンパシ人を見たことがなかった。これから彼らは、キサンパシ人となる。

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理想郷 スヴェータ @sveta_ss

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