─常日の幻辺幽・偵探─忌禁國帝

笹師匠

元年

ぷろろをぐ

その日、号外が『聖上崩御』を知らせ、世間が一頻ひとしきり騒がしくなっていた。

幽辺かすかべまほろ上野驛うえのえきで号外を手にし、鮭むすびを片手にその記事を読んでいた。


「────変わるのか」


それだけ呟いて、号外をその場に置いて何処かへ行ってしまった。




「素人目に見ても駄作です」

「全く以て心が弾まない。ここまで酷い三流作家が良く居たものだ」


只管ひたすら選考に落ち、れど根の腐らぬ少年がいた。いずれ國を代表する雑誌を作らんとする編集部に、原稿を持ち込んでは幾度となく落選した少年だ。

文才は人並み、構成も人並み、展開が少し人より劣るという作家には不向きな奴だったが、どうしても諦めが悪かった。


「その弛まぬ努力、異なる分野なら受け入れて貰えるだろうな。だがそれ此処ここでは無い。悪い事は言わない、筆を絶ちなさい」


彼はしかし諦めなかった。誰か一人でも良い、自分の綴る言葉が刺されば────。


だが世の中とは茨の園の様なもので、防具を持たぬ者に厳しいものである。

彼は書き始めて四年、いよいよ一人として目を留める者は現れなかった。

親との約束を一年無視してもこのざま、最早帰る場所も無かった。


「もう、辞めても良いよな……。俺頑張ったし、疲れちまったよ……」


彼の目の前には麻縄を結って作った輪っかがプラプラとぶら下がっていた。彼は今から絞首しようと言うのだ。


「思えば色んなの書いたよな。本格的なミステリーから恋物語まで、本当に色々」

「ぺんねえむ【馬面うまづら狂之心きょうのしん】、ミステリーのタネは詰めが甘く、恋物語は展開が単調!冒険活劇に至っては非常につまらない!!」

「仕方ないでしょう、自分には才っていうものが無いのですから」


振り向かず、少年は答える。


「というか、貴方は誰ですか?突然他人の家に勝手に現れてどうしようと言うのです」

「君も他人の家に無断で立ち入って勝手に取り付けたその麻縄の輪に手を掛けて、一体どうしようと言うのです」


そう、此処はこの少年──夢仁ゆめひと──の家でも、突然現れた青年──まほろ──の家でも無い。

誰の物とも知れない家に、二人共が無断で侵入しているという奇妙な状況だった。


「俺の事はどうぞ放っておいて下さい。どうせ無価値の命を無駄遣いしている様な男なのです」

「では君に問おう。無価値の命とは本当に有るのか?有って良いのか?少なくとも私はそうは思わなんだよ」


その言葉は夢仁にとって衝撃以外の何物でもなかった。彼は親や教師から『命は神様から与えられたものであって、その神の子こそおわす陛下であり、國の大事の際には神とその子の思し召しを果たす事が臣民の使命』と習っていたから、まほろの言葉は彼の持つ常識の外にあったのである。


「自分の命を、自由にして良いものか?」

「もちろん。その為の人生だ」


その様に言うまほろの顔はやけに誇らしげであった。彼の眼に、夢仁は新時代の容貌を垣間見たのである。


「貴方を、取材させて下さい。自分は小説家だが、あまり巧い文章を書けないのです」

「そんなもの拙くて結構。読む側が楽しければな」


この人、文章の巧拙と話の面白さは異なると言うのか?

つくづく変な人だ。


「さて少年や、私と来るかい?時代も変わる様だし、これから私は自分の愉しいと思う事をやろうと思っているのだが」

「────例えば、どんな?」

「悪を以て巨悪を潰す試み、とでも言おう」


悪。少年にとって悪とは『恒久的に消えぬ、赦されてはならないもの』でしか無く、この時のまほろの言葉を理解し得なかった。


「どうする少年。多分話のタネは幾つか提供出来ると思うぞ」


よわいにしてじゅうななつ、三流の文学少年は決断を迫られる。人生を自分の為に棒に振るか、この青年の為に棒に振るかの二択である。


「俺は────」

「愉しそうな方を選べば善いと思うぞ」

「強制はしないんですね」

「君の人生を導いて責任負うのは嫌なのさ。君が自分で決めたら君の責任だからな」


この青年、性格がクズだ……!!

だが不思議と正論に聞こえもする。

如何してなのか、これを皮切りに今まで夢仁の中にあった将来の像は急に色を失って、自分は認められる小説なぞ書けないでは無いか、そんなものでは食い扶持ぶちどころかまともに生きていけるかも怪しいでは無いか、と自己嫌悪の渦に飲み込まれて、とうとう自分でも将来の形が分からなくなってしまった。

気が付けば夢仁は、彼の中にただ一つ残った選択肢をボソリとつぶやいていた。


「……けよ」

「うん?はっきり言っておくれ」

「……俺の事、連れてけよ」

「……それが君の選択なら歓迎するよ」


彼はそう言い微笑んだ。

病的に白く触れてはならない気のする細い腕を藍色の羽織からちらと覗かせながら、まほろは夢仁の手首を優しく掴んで、今まで立っていた木の椅子から降ろさせた。

そうすると夢仁は何だか自分のやろうとしていた事がひどく情けなくなってしまって、せきを切った様にあふれて止まらぬ涙を幻の羽織でぬぐう。彼は何も言わず、夢仁の頭をでた。


しばらく経って夢仁の嗚咽も落ち着いた頃、まほろは彼に告げる。


「早速で悪いのだけれど、君に一つ仕事を頼んでも良いかな?探偵らしくない仕事なのだが……」

「着いていくと決めたんだ、やりますよ」

「迷い猫の捜索だ。名前はポチ」


探偵の小説ではよく見る気がする依頼だが、本当にあるのか。しかも猫なのに名前がポチとは、これ如何に。


「嫌なら断っても良いのだよ」

「いや、男に二言はありません。その依頼、引き受けますよ」


こうして小説家志望の少年・聿名いちな夢仁ゆめひとは、探偵・幽辺かすかべまほろの助手として職を手に入れる事が出来た。この事が彼の人生をどう変えるのか、それとも変わらないのか……。


奇妙な日常が、新時代と共に始まろうとしていた。

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