第31話 【準決勝】vsクラヴ・マガ
そしてレイチェルにとっての運命の日……。
黒のスポーツブラとショーツ。素足にアンクルサポーターを着け、指貫きのグローブを填める。試合用のコスチュームに着替えたレイチェルを迎えに現れたのは、いつものジョンではなかった。その男の顔に見覚えがある事に気付いた。
「あ、あなたは……!?」
「やあ、お久しぶりですね、ブロンディ。こうしてお会いするのはいつぞやのスクールバス以来ですね」
「……!」
それは忘れもしない、スクールバスの臨時の運転手を装ってエイプリルを誘拐した、ビリーと名乗る若い男であった。
その時の事を思い出したのか、エイプリルがレイチェルの後ろに隠れてビリーを睨み付ける。勿論睨んでいるのはレイチェルも同じだ。ビリーは肩を竦めた。
「あはは、嫌われたものですねぇ。僕はただ組織の命令を実行しただけで、別にあなた方に恨みはないんですがねぇ」
「いつもの彼……ジョンはどうしたの?」
「彼はちょっと所用がありましてね。代理で僕がお迎えに窺ったんです。あの時と同じですねぇ?」
「……っ」
スクールバスの代理の運転手として現れたこの男を見抜けなかった事で、むざむざエイプリルを誘拐される事になった。それを揶揄されてレイチェルは唇を噛み締める。
「ふふふ、さあ、それじゃ『準決勝』が始まります。参りましょうか?」
ビリーはそう言ってレイチェルを促す。思いがけない再会に若干動揺したが、どの道やる事は変わらない。
(……見ていなさい。そうやって余裕ぶって私達を弄んでいられるのも今の内よ。私は絶対にあなた達を出し抜いてみせる)
心の中で固く決意したレイチェルは、黙って後について歩き出す。
今回は再び一対一用のリングでの試合となる。いつものアリーナに入ったレイチェルは、やはり既に満員の観客達の無数の視線と歓声、野次に出迎えられた。しかし流石に何回も繰り返していれば慣れてくるもの。
悪意ある視線と野次を浴びながら、ただリングだけを見据えて歩く。あそこで戦うのも今日が最後だ。
「ママ、気を付けて……頑張って!」
「ええ、ありがとう、エイプリル。……行ってくるわね」
いつも通りチャールズとおなざりなハグをした後、エイプリルとしっかりハグをして力を貰ったレイチェルは、意を決してリングへと登る。
リングの中央に立ってスポットライトを浴びながら、深呼吸をして気持ちを整えながら対戦相手を待つレイチェル。相手はあの『開会式』を欠場していたので、どんな人物なのか全く不明だ。
だがどんな相手であろうと関係ない。どうせレイチェルを甚振って喜びを感じるクズである事に違いはないので、彼女からすれば誰であろうと大差はなかった。
今頃はブラッドが計画を遂行に向けて動き出してるはずだ。レイチェルはただ彼を信じて、自らの役目を全うするのみだ。即ち……ブラッドが通信を成功させられるように観客の会員達や組織の人間、それにルーカノスの目を試合に惹き付けつつ、何としても試合に勝利し生き延びる事。それだけを考える。
そして反対側の通用門から『対戦相手』が姿を現した。
「……!」
それは黒っぽいスウェットのような上下に身を固め、やはり黒いスニーカーのような靴を履いている。そして顔は大きなフードですっぽり覆っていて見えない。怪しげな風体の男であった。
リングに上がってきた男はフードに手を掛けると、それを一気に取り去った!
「な……!?」
レイチェルの目が驚愕に見開かれた。誰が相手でも同じ。その気持ちに嘘はない。しかしそれでも『コレ』は少々予想外であったのは確かだ。
「ふふふ……まさかあなたとこうして、リングの上で相対する事になろうとは思ってもみませんでしたよ?」
「あ、あなた……ジョンッ!?」
いつものスーツ姿でこそないものの、それは紛れもなくこれまでの間レイチェルの案内人を務めてきた、ジョンその人であった!
『紳士淑女の皆様! お待たせ致しました! 快進撃を続けるブロンディは遂にルーカノス様の目前にまで辿り着いた! 彼女がここまで勝ち上がれる事を誰が予想したでありましょうか! しかし今日、『決勝』の前に最後の関門が立ち塞がる! 中東はイスラエル出身! 我々『パトリキの集い』の構成員にして武術指南役でもある、超実戦護身術クラヴ・マガの達人、エフード・カラヴァンだぁぁぁっ!!!』
――ワアァァァァァァァァァァァァッ!!!
大歓声に両手を広げて答えるジョン。最早間違いようがない。
「エフード……ですって?」
「ククク……ジョンとは勿論偽名ですよ。組織上のコードネームのような物です。当然でしょう?」
ジョン……いや、エフードは、それだけは相変わらずの人を食ったような酷薄な笑みを浮かべる。なるほど、開会式には参加しなかった訳だ。
この男は最初から、いざとなれば自分が直接レイチェルを潰す心積もりで、彼女の苦闘を間近で嘲笑っていたのだ。悪趣味ここに極まれりだ。
『それでは、『セミファイナル』戦…………始めェェェッ!!』
開始のゴングが鳴る。いよいよだ。レイチェルは素早くファイティングポーズを取って警戒する。エフードは特に構えを取る事無く自然体のままだ。
「……?」
「クラヴ・マガに決まった構えなどはありません。どうぞご自由に攻めてきて下さい」
そう言って両手を広げるエフード。隙だらけだ。勝つ為には目の前の相手を倒さなければならない。レイチェルは警戒しつつも、姿勢を低くして自分から距離を詰める。
クラヴ・マガがどういう格闘技なのか詳しくは知らないレイチェルだが、少なくともサンボやレスリングのような寝技系ではないはずだ。
であればレイチェルの取るスタンスは決まっている。打撃で牽制しつつ、隙を見て組み付くのだ。これまでの経験から相手がグラップラーでなければ、組み付いてさえしまえばかなり有利に戦えるはずだと解っていた。
相手が動かないのでこちらから仕掛ける。まずは牽制のジャブだ。エフードはまるで流れるような動きでジャブを回避。続いて放たれたレイチェルのストレートも空を打った。
「く……!」
レイチェルは続けざまにローキックを放つ。するとエフードは逆に前に出てきた。そして彼女のローキックの威力を殺しつつ、軸足の方を掬い上げるように足払いを仕掛けてきた!
「な……!?」
体勢を崩して転倒してしまうレイチェル。無様な姿に観客達の嘲笑が被さる。エフードは追撃してこなかった。
「総合格闘技の選手にマウントを仕掛ける程愚かではありません。その痴態を見せつけたいのでなければ、早く立ち上がったらどうです?」
「くそ……!」
レイチェルは羞恥に頬を赤らめ毒づきながら急いで立ち上がる。エフードはニヤニヤと笑いながらその姿を眺めている。
カッとなったレイチェルは強引に肉薄して組技に持ち込もうとする。掴んでしまえばこっちのものだ。そう思って伸ばした手が……
「ふっ!」
相手の服を掴んだ瞬間、上から叩きつけるように手首を強打された。思わず怯んだ所にエフードは身体を捻じるようにしてレイチェルの突進のパワーを受け流す。
「……!」
前のめりに体勢が崩れるレイチェル。そこに下からエフードの掌底が彼女の顎に打ち付けられる。
「がっ……!」
衝撃で視界に火花が散る。そこに再び足払いを仕掛けられ、うつ伏せに組み伏せられる。最初に打たれた腕は掴まれたまま、背中に捻じり上げられた状態だ。抵抗する間もない一瞬の出来事だった。
更に上から膝頭で押さえつけられる。まるで犯人が警察に制圧された時のような屈辱的な体勢だ。
「ぐ、ううぅぅぅっ!」
腕を捻じり上げられ、更に体重を乗せた膝で押さえつけられる苦痛と屈辱にレイチェルは呻いた。
「この体勢で極められては抵抗できないでしょう? このまま腕を折って差し上げましょうか?」
「……っ!」
酷薄な声に、レイチェルの背筋に寒気が走る。必死に残った手で背中を掻き毟ろうとするが、勿論届かない。徐々に高まる極められた肩への圧力。
(お、折られる……!!)
その恐怖が彼女を支配した。だが……
「クク……」
エフードはあの酷薄な笑いと共に、技を解いて立ち上がった。
「こんなにすぐ終わってしまっては、会員の皆様が満足しません。もう少し我々に付き合って頂きますよ?」
やはりそれが理由か。自分の愉しみの為か観客の愉しみの為かという違いはあるが、この男も基本的なスタンスはこれまでの闇格闘家達と同じだ。ならばレイチェルとしてはそこに勝機を見出す以外に無い。
「く……」
レイチェルはよろめきつつ立ち上がった。技は解かれたが、無理な体勢で極められていた右肩にかなりの痛みが残った。この後の試合に差し障りがある程の痛みだった。
(い、痛い……でも、負ける訳には行かない。エイプリル……ブラッド……私に力を貸して!)
痛む腕を動かしてファイティングポーズを取る。だが迂闊に掴みかかるのも危険だと判明した以上、どのように攻めればいいのかが解らない。
「クク、来ないのですか? ならばこちらから行きますよ?」
「……!」
レイチェルの逡巡を見抜いたエフードが、初めて自分から動いた。やはり構えなどを取らずに自然体のままスタスタと歩いてくる。まるでこのまま散歩にでも出掛けそうな気安い歩き方だ。
だがこの自然体こそが危険なのだと既にレイチェルにも解っていた。無意識の内に後ずさってしまう。エフードの笑みが増々深くなる。
と、それまで歩いていたエフードがいきなり走り出した。突然の素早い行動にレイチェルは焦る。咄嗟に左腕でパンチを繰り出すが、どんな動体視力をしているのか軽々と払われ、掴み取られた。
そのまま引き寄せられて体勢を崩され、脇腹にエフードの拳が打ち付けられる。
「っ!」
怯んだ所に間髪入れず今度は下からの蹴り上げが、レイチェルの股間にヒットした!
「あがっ……!」
思わず全身が硬直してしまう。勘違いされがちだが、股間を蹴られれば女性でも普通に痛い。男性の急所というイメージばかりが先行しているが、女性としても薄い肉を挟んで骨盤を直接蹴られてるような物なのだ。むしろ『体内への衝撃の浸透』という観点では、睾丸という『緩衝材』の無い女性の方が効果が大きいくらいだ。
そして股間に痛打を受けた人間は、防御反応により反射的に前かがみの姿勢を取ってしまう。そこに追撃で足払いを掛けられると、とても堪え切れずに転倒してしまう。
無様にうつ伏せに転倒するレイチェル。今度はアームロックの要領で左腕を捻じり上げられる。勿論先程と同じように膝で体重を掛けて背中を押さえつけられている。
「……クラヴ・マガは本来銃やナイフを持った敵相手を想定した軍隊格闘技ですので、ましてや素手の人間相手など文字通り赤子の手を捻るようなものです」
そう言いながら言葉通りにレイチェルの左腕を捻り上げる。
「うぐ……ああぁぁっ!!」
レイチェルは立て続けの苦痛に悲鳴をあげる。既にダメージを受けている右腕に続き、左腕も痛めつけられている。エフードは恐らくこうしてじわじわと彼女を痛めつけていくつもりなのだ。
だが無理に暴れればその瞬間腕が折れるかもしれないと思うと、迂闊に抵抗する事も出来ない。苦痛と苦悩に呻吟するレイチェルの耳元にエフードが口を寄せる。そして呟いた。
「ククク……いい声です。そう言えば、あなたの『元』夫も中々いい獲物でしたよ?」
「…………ぇ?」
唐突に聞こえてきた全く予期しなかった単語は、苦痛に呻くばかりであったレイチェルの意識を僅かに覚醒させた。
「ジュリアン・グレイヴス……でしたか? 六年前、彼も我々が主催する格闘大会に出場したんですよ」
「……!」
以前にブラッドもそれを疑う旨の発言をしていた。やはり事実であったのだ。
「クク、あなたやあなたのお腹の中の子に言及して脅したら、実に素直に出場してくれたようですね」
「……っ!」
「あの時はまだ私も組織では『新人』でしてねぇ。実績が欲しかったんですよ。だから決勝まで勝ち上がってきたあなたの夫と戦い、この手で殺して差し上げたのです」
「ッ!!」
「お陰で総帥の覚えも目出度くなり、組織の武術指南役の座を手にする事も出来ました。ククク、あなたのご夫君には感謝してもし切れませんよ」
(この……この、男が! ジュリアンを……!!)
彼を出場に追い込んだという意味では『パトリキの集い』自体が仇と言えるが、彼を直接手に掛けた下手人が遂に判明したのだ!
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