第30話 懺悔と感謝、そして慕情
その日の夜中。痛む身体を押して部屋を抜け出したレイチェルは、ブラッドの部屋まで赴く。隣にはエイプリルの姿もあった。
「ママ、おじさん大丈夫かな?」
廊下を歩いている時に、不安になったのかエイプリルが小声で尋ねてきた。レイチェルはかぶりを振る。
「……きっと大丈夫よ。今日の夕方には応急処置が終わって、大体の選手は部屋に戻ったみたいだし」
レイチェルが夕方に医務室の前を通ってチラッと確認した時にはもうブラッドの姿はなかった。他の連中などどうなろうと知ったことではない。
いずれにせよ行けば解る事だ。前に通ったルートを辿ってブラッドの部屋の前までたどり着くと、小さくノックをする。
しばらくすると施錠を外す音がして、静かにドアが開いた。
「……!」
中からはブラッドが現れた。しかしその端正な顔には痛々しい痣が浮かび、左腕は脱臼の固定措置を受けていた。巻かれた添え木と包帯が非常に痛々しかった。
「……早く入れ」
ブラッドの様子に一瞬絶句して硬直してしまった母娘に、彼は苦虫を噛み潰したような顔と声で促す。
2人が部屋に入るとドアが静かに閉められた。
「ブラッド……。本当に……ごめんなさい! 私のせいで……」
部屋が密閉されるのを待っていたようにレイチェルが口火を切った。その目に涙が浮かぶ。だが彼は右肩を竦めた。
「気にするな。どの道最終的にはお前に折らせるつもりだった。相手が代わっただけだ」
「……っ!」
レイチェルは思わず彼の胸に頭を預けていた。ブラッドがそっと右腕で彼女を抱きしめる。
「そ、それなら……せめてお礼を言わせて。ありがとう。あなたがいなかったら、絶対にあの試合を勝ち残る事は出来なかった」
それは紛れもない事実だ。だがやはり彼は頭を振った。
「……俺が手助けしたのは途中までだ。最後はお前自身が決めた。……見事だった」
「……ッ!」
レイチェルは再び涙が込み上げてきてしまう。彼はあんな状態になりながらも、レイチェルの試合を最後まで見届けてくれたのだ。
観客や他の選手達にどれだけ悪意をぶつけられようとも、ブラッドが自分を認めてくれる……。それだけで不思議と嬉しさと満足感に満たされ、レイチェルに活力を与えてくれた。
2人はしばらくそうやって身体を預けあっていたが、
「……ママ。おじさんとお話ししないの?」
「……!」
娘から若干ジトッとした目を向けられて我に返ったレイチェルは、急に気恥ずかしくなって慌ててブラッドの胸から頭を離した。ブラッドは苦笑しているようだ。
3人は部屋の中央にあるソファに腰掛けて向き合った。
「さて……今回のバトルロイヤルの勝利で、参加選手たちはほぼ下した形になった。アナウンスが言っていたように、あのルーカノスとの対戦が目前に迫っている。その前になんとしても計画を実行し、脱出しなければならん」
ブラッドがそう切り出す。レイチェルは少し自分の意見を言ってみる。
「でも……連中は銃も持ってるだろうし、無理に危険を冒して脱出するより、このまま何とか頑張って大会で優勝できれば……」
対戦相手が残り僅かとなった事で、レイチェルの中にもそんな考えが芽生え始めた。残りの選手は二人のみだ。そう無茶な試合形式も出来ないはずだし、一対一ならやりようによっては勝てるのではないか……。そんな風にも思い始めていた。
だがブラッドは断固として首を横に振った。
「いや、駄目だ。クラヴ・マガのエフードとやらは知らんが、あのルーカノスは……危険過ぎる。奴と戦えばお前は確実に死ぬ事になる。奴との対戦だけは何としてでも避けねばならん」
「……っ」
レイチェルは息を呑んだ。ブラッドの顔は真剣そのものだ。横で聞いていたエイプリルも頷いている。
「ママ。あの人、すごく怖かった。ママがあの人と喧嘩するのやだよ……。おじさんの言う通りにしよ? ね?」
「エ、エイプリル……」
不安そうにレイチェルの服を掴んで見上げてくる愛娘の様子に絶句してしまう。二人がここまで言うなら、あのルーカノスは本当に危険な相手なのだろう。
レイチェルは慢心し掛かっていた自らの心を戒める。そしてエイプリルを抱き寄せた。
「ええ……そうね。ごめんなさい二人共。あのバトルロイヤルを生き残ってちょっと気が大きくなってたみたい。お蔭で目が覚めたわ」
「ママ……!」
エイプリルが喜んで抱き着いてくる。ブラッドも安心したように頷く。
「よし……。あの大掛かりな試合の後だ。明日は恐らく『休み』になるはずだ」
「じゃあ明日決行を……?」
「いや、流石に昨日の今日だからな。俺はこの有様だし、お前もダメージは大きいはずだ。『計画』では荒事になる可能性も高い。お前は明日一日、今日の試合でのダメージをしっかり回復させておくんだ。俺も明日は『計画』の最終チェックに費やす」
『休み』の日はレイチェル達も自由に動けるので、組織の警備や監視が厚くなる傾向があるそうだ。なので具体的な『決行日』は、休み明けの明後日、試合開始直前のタイミングが最適という事になった。
ブラッドが今まで観察してきた限りでは、試合がある日はまず会員達が軒並みアリーナに詰めている上、組織のメンバーも大半がアリーナの警備だったり、非番の者もレイチェルの試合見たさにアリーナに集まっているのだそうだ。
つまり警備が一番薄くなるのがレイチェルの試合中との事らしい。ブラッドはその隙に重要区画へ侵入して外部と通信を行う。
そしてレイチェルは観客や警備達の目を惹き付けつつ、何としてもクラヴ・マガのエフードとの対戦に勝利する。
そして試合からの帰り道でブラッドと合流して、資材搬入用のエレベーターを目指す。時間的に丁度搬入の時間と重なるので、そこで場合によってはエレベーターを『制圧』して地上に脱出する。勿論エイプリルも一緒にだ。
地上に逃れてさえしまえば、後は司法の手が入るまで隠れてやり過ごす事は難しくない。
「で、でもそんなに早く来てくれるのかしら?」
レイチェルにはそこがどうも疑問だった。仮に通報できたとしてもそんなに簡単には信じてもらえそうにないし、そこから出動までとなると相当に時間が掛かりそうな気がしてしまう。
そんなレイチェルの不安にブラッドが頷いた。
「その懸念は尤もだ。だが心配はいらん」
ブラッドによると『パトリキの集い』は国家を跨ぐ非合法組織として、かなり前から
ブラッドは警察の友人の伝手でそれを知り、今回の計画を友人に持ちかけた。ブラッドから位置情報の連絡があったら即座にその友人がインターポールに連絡。そしてインターポールは最寄りの国の国家警察を動かして一斉摘発に乗り出す、という寸法だ。
「インターポールが……」
思っていたよりも更にスケールの大きい事態だったらしい。だが確かにそれなら行けるかも知れない。というより他に方法は無いだろう。
「そうだ。だからお前にとっては実質次の試合が『最終戦』となる。……何としてでも勝ち残れ」
「……!」
レイチェルは表情を引き締める。これに勝てばようやくこの悪夢から逃れる事が出来るのだ。エイプリルが強く手を握ってきたのでしっかりと握り返す。
「大丈夫よ、私の可愛い天使。ママは絶対に負けないわ。だから……最後まで応援してね? あなたの応援があればママは無敵なんだから」
「ママ……! うん! 解った!」
エイプリルは目を細めて頷く。レイチェルにとって最後の試練が始まろうとしていた……
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